90年の時を超えつながる山形市七日町の歴史 巨大再開発で「歩くほど幸せになるまち」へ
旧大沼跡地を中心とした巨大再開発プロジェクトが進んでいます。そこには、およそ90年前から続く『街の記憶』と『驚きの巡り合わせ』が隠されていました。
山形市は、中心市街地のグランドデザインに『歩くほど幸せになるまち』を掲げています。
その中核となる旧大沼とアズ七日町などが立地する一帯の再整備がいよいよ動き出します。
計画では、商業機能や宿泊機能、公民館などの公共機能が入る2つのビルと、人々の回遊をもたらす広場を2期に分けて一体的に整備。
さらに将来を見据え、隣接する山形市立病院・済生館の新病院整備とも、一体的な街区を目指して足並みをそろえます。
1911年(明治44年)。山形市恒例の「薬師祭り」当日の5月8日に発生した市北大火は、七日町、旅篭町、六日町などに渡って1300戸を焼いたばかりでなく、官庁街の県庁、警察署市役所、山形中学なども焼失しました。
こうした大火などを乗り越えてきた七日町。山形のシンボルだった百貨店の閉店から6年。いまこの場所から、新たな未来図が描き出されようとしています。
この再開発を支援をしているのが、まちづくりのコンサルティングで国内トップクラスの実績を誇る『RIA』です。
組織設計事務所のアール・アイ・エーは、山形市の歴史的資源でもある「水の町屋七日町御殿堰」と景観的にマッチするよう、和モダンなデザインの「七日町ルルタス」を手掛け2021年に完成。
また隣のエリアに2026年7月にオープンした山形銀行本店の設計においても、「にぎわい広場」や「多目的ホール」、「シェアスペース」といった“にぎわい”を創り出す役割を、山形銀行そのものが身に纏う様子を形に現しています。
「あれが七日町とうちの会社の関係の始まりとなった『梅月堂ビル』です」
1936年(昭和11年)。七日町の交差点に誕生した「梅月堂ビル」です。屋上庭園とガラス張りの大きな開口部を持つ当時の最先端の建物。このモダンなビルを設計した人物こそ、のちにRIAを創設する建築家・山口文象です。
RIA東北支社金原信支社長「山形のみなさんが大切にしてきた歴史や伝統、そういったものとこういった気候の中でも、みんなが『あの街に昔行ったよね』と集えるようなスペースを生み出していくと…やはり、“デザイン1本”ということでは無くて、周りとの調和というものを大切にしていたかと思うし、そういった思いを我々も引き継いでいるつもりでございます」
整備のスケジュールは、どうなっているのでしょうか。
山形市まちなみデザイン課担当「まずは開発エリアをA・B・Cと3つの街区に分けて、エリア内の建物を一度に壊すのではなくて段階的に壊していくと。まず第1期につきましては、旧大沼あたりになりますけれども2031年度に解体工事に着手し、2034年度竣工を目指します。竣工後には、早期に施設をオープンさせて、まちにぎわいを図っていきたいと思います。第2期につきましては、2035年度に解体工事に着手し、2040年度に竣工を想定しています。これに向けて、これまで関係する地権者の皆さまや、近隣の町内会、商店街、市民の皆さま、多くの方々に意見を伺ってきました。こういった意見を踏まえながら、良い開発を目指していきたいという風に思っています」
新しく生まれ変わる街の未来に、かつての記憶がそっと寄り添う…。それは、山形の歴史が手繰り寄せた不思議な運命の巡り合わせなのかもしれません。
旧大沼前の目抜き通りから東へ200メートルほど、共に歴史を刻んだ料亭「千歳館」や「のゝ村」前の通りを、『紅花通り(こうかどおり)』といいます。
周辺は、かつて芸妓が活躍した花街の歴史を彩る多くの飲食店や「旭座」をはじめとする“昭和の映画文化”が交差する、七日町の中心的な繁華街でした。
いま一帯は「粋を感じる、新たな七日町」を目指して整備が進められています。
「旭座」。のちのシネマ旭があった場所の目の前でメガネ店を営む蜂屋孝司さん。還暦を迎えた頃、商店街の記録集を作ってまちに貢献したい…と、蜂屋さんは新聞の切り抜きや写真をスクラップし続けています。
蜂屋孝司さん「その一枚の写真が、原稿10枚より勝る!って事をよく言ってますけど、ちっちゃな端っこに載っていたものが、非常に他のものと関連して色んな面白いものが見えてくる…と。」
明治44年の市北大火で、七日町はすべて焼けてしまいました。それでも打ちひしがれること無く、のちに「眠らない街」とも呼ばれるほどとなる一帯を作り上げたのは、「意思のあるまちの人たちの存在だ」と蜂屋さんは話します。
蜂屋孝司さん「関東大震災があって、飲食店街が大きく変貌を遂げる。その流れが山形にも来て、澤渡吉兵衛さんが、カフエーヤマガタと楽天地というカフエーを買い求めてところが数年で灯は消えてしまうわけ…戦後、何といっても娯楽っていえば映画しかない時代ですから、入場するに行列を作って入らなくてはならない程の時代だった。昭和36年には14の映画館があって最大のものになります」
100年以上にわたって多くの市民らに親しまれてきた料亭や飲み屋。その跡地は一体、どう整備されるのでしょうか。
計画では、目抜き通りから粋七エリアまで延長して御殿堰沿いの整備を進めます。
旧大沼跡地周辺をしっかり整備して「人が暮らす・集まる拠点」にすることで、そこから東側の紅花(こうか)通りや花小路周辺に昼も夜も人が自然に流れ込む、回遊性を生み出すことが狙いです。
歴史ある食文化や路地裏の情緒を活かしながらどう魅力的なエリアに連動させていくか、民間とも連携して進めていきます。
蜂屋孝司さん「どうしても、市北大火の事が話の中に出てくる訳ですけども、そのために市の中心部には古い樹木は1本も残ってないわけです。ただ一つ料亭のゝ村さんのエドヒガンザクラの大木が残っていたわけです。それをこの七日町の都市改造のプランの中にミニ公園を造るという話を起こしまして、その中心に添えたわけです。立派な公園がたぶん、出来るんでしょう。その日の事を非常に楽しみにしております」

