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厚生労働省が2025年に実施した「国民生活基礎調査」によると、65歳以上の者のいる世帯のうち、一人暮らし(単独世帯)の割合は全体の33.8%で最も多い形となっているそうです。そんな中、東北大学名誉教授であり脳神経科学を専門とされている虫明元先生は「今、日本のみならず世界中で『孤独』が大きな問題になっている」と警鐘を鳴らします。そこで今回は虫明先生の著書『孤独脳 脳のSOSに気づき心と体を壊さない30の方法』より一部を抜粋し、「孤独感に振り回されず、健康で自分らしく生きるヒント」をお届けします。

【図】孤立と孤独の関係

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孤独感は脳の「命の危険」アラートである

当たり前ですが、私たち人間が生きていくためには、水と食料が不可欠です。そのような生きるために不可欠なものが欠落あるいは不足すると、私たちの脳はある種の危険信号を発します。

たとえば、体内の水分が不足していれば「喉の渇き」という形で危険信号を発して、私たちに水を飲むよう促します。エネルギー源や身体を構成する栄養素が不足していれば、「空腹感」という危険信号を発して、食べ物を食べて栄養を摂取するよう促します。

原始の世界では、群れから離れて孤立することは「死」に直結する、社会的動物にとっては最も恐るべきリスクのひとつでした。

それゆえ、人が群れから離れてひとりぼっちになってしまったときにも、脳は「このままでは命が危ない!」というアラートを発し、群れあるいは他者とつながりを求めるよう促します。

実は、このアラート、危険信号こそが「孤独感」の正体なのです。

ここで皆さんの中には、「いやしかし、原始の時代には『群れから離れる=死』だっただろうけれど、現代ではそうは言えないのでは?」と疑問をもつ方もいらっしゃることでしょう。

確かに、孤独死や、いじめによる孤立に悩んだ末の自殺などといったことが社会問題になる時代ではありますが、原始時代のように孤立することそのものが今日明日の命にもかかわる危険というわけではありません。なんでもオンラインで完結できる昨今ではなおさらそういえるでしょう。

それでも、孤立や孤立と似たような状況に立たされたときに、私たち現代人が孤独感をおぼえるのは、人間の脳の構造や基本的な機能が、数万年前の原始時代からほとんど変わっていないからです。

原始時代の恐怖システム

野性の中での生活で、飢えや外敵による危険と隣り合わせだった原始時代と、高度に科学・文明が発達し、進化した現代社会とでは、環境もライフスタイルも比べるべくもなく大きく変容しています。そうであるにもかかわらず、その中で生き延びる術を担う脳のシステムが、現実に相応するようにアップデートされていないのです。

つまり、現代の最新ソフトウェアを、原始時代の旧式ハードウェアで無理やり動かしているような状態です。


『孤独脳 脳のSOSに気づき心と体を壊さない30の方法』(著:虫明元/ディスカヴァー・トゥエンティワン)

このようなソフトフェアである環境と、ハードウェアである脳内システムのミスマッチは、身体や心にさまざまな弊害をもたらし、ストレスや心身の疾患、また「生きづらさ」の原因になることがあるのです。

一例を挙げると、食料の確保に苦労していた原始時代には必須で最適な機能であった「高カロリー食でエネルギー源をため込む」機能は、飽食の時代にあっては、甘いものや脂肪分たっぷりの食べ物の摂りすぎを招き、肥満やメタボ、ひいては生活習慣病の一因になっていること。また、人間を襲う野生動物から逃れるための恐怖システム(危険検知、闘争・逃走反応)の名残りで、日常的な事柄に対しても過剰反応を起こしてしまうことがあります。

たとえば、上司から呼び出しを受けると、「叱られるのではないか」とか「ひょっとすると左遷されるのではないか」などと、恐怖や不安を感じてしまう人もいます。

冷静に考えれば、ただ単に仕事上の指示を受けるだけのことかもしれないのに、ついつい悪いほうに、悲観的に考えてしまう……。これも実は、“原始時代の脳”によるものです。

過酷な環境で生き延びるためには「良いこと」より「悪いこと」「危険なこと」に注意を向けるようになります。そのため、脳は悪い情報や好ましくない事態の予測に反応しやすく、ネガティブ思考に陥りがちになるのです。

さらに、SNSでの過剰反応や炎上も、この原始時代の恐怖システムが引き起こしているともいわれています。

SNS上で一般的な見解とは異なるコメントや批判的な投稿をする人がいると、脳は「異質で、社会的に危険な人」とみなしてアラートを発します。それを受けて、人々はそのような人を、集団で過剰にバッシングしたり、排除しようとしたりするというわけです。

孤立と孤独の違いとは

ところで、「孤立」と「孤独」は、一見似た言葉だと思います。一緒に語られたり、順番を入れ替えたり、どちらか一方の言葉だけで両方を指しているような使い方も見受けられます。実際両者は密接に関連しています。

しかし正確には、実はこの2つは異なる概念です。

「孤立」は、人とのつながりの少なさや社会的な接点の少なさなど、つまり、友人や知人が少ないとか人と過ごす時間が少ないなど、客観的に測ることができるものです。

一方、「孤独」は、たとえば「寂しい」「ひとりぼっちで悲しい」といった感情など、主観的な感覚です。それゆえ孤独は「孤独感」という言葉で表現されることもあります。

下図は、この「孤立」と「孤独」の相互の関係を示したものです。孤立を横軸、孤独を縦軸にすると、

1「孤立かつ孤独」

2「孤立だが孤独ではない」

3「孤立ではないが孤独」

4「孤立でも孤独でもない」

の4つの事象に分かれます。

社会的動物である人間としては、4「孤立でも孤独でもない」が理想の状態で、1「孤立かつ孤独」は避けたい、避けるべき状態でしょう。こういう状態では、脳からのアラートがけたたましく鳴らされているはずです。

さて、皆さんご自身はどの事象に当てはまると思われますか?

案外、3「孤立ではないが孤独」に当てはまるように感じている方も少なくないと思います。あるいは、2「孤立だが孤独ではない」という方もいらっしゃることでしょう。

いずれにせよ、ひとりでいること自体が、悪いわけではありません。

孤独感が生じる原因を探る

ちなみに、ドイツ系ユダヤ人でアメリカに亡命した政治哲学者・思想家のハンナ・アーレント(1906~1975年)は、著書『全体主義の起源』の中で、ひとりであることを「隔離」「孤立」「孤独」という3つの言葉で区別しています。

このうち「孤独」は、ひとりになることを自ら必要とし、自分自身と向き合う、いわば前向きな時間を意味するとされます。そうした状態は、ひとりでいたとしても、それは他者に依存しない自律性と自分なりの確固たる美学や価値観に支えられた豊かな時間だといえるでしょう。

たとえば、哲学者や科学者、芸術家の中には、自ら人や社会との距離をとり、ひとりで考える時間の中で才能や独創性を発揮した人がいます。もちろん、職業や才能にかかわらず、あえて人と群れず、好きなことに没頭したり、自分と向き合ったりして、ひとりの時間を大切にする人もいます。

最近よく話題になる「ソロ活」も、その良い例です。ソロ活はしばしば「孤独を楽しむこと」と表現されますが、ここでの「孤独」は、苦痛を伴う孤独感ではなく、自分の意思でひとりの時間を選ぶことを指します。脳が危険信号を出している状態としての「孤独感」とは、必ずしも同じではありません。

たとえば、寂しさをまぎらわすために始めたソロ活でも、ひとりの時間を楽しめるようになれば、孤独感が和らぐことがあります。そのとき、ひとりでいるという状況は同じでも、心の状態は変わっています。

つまり、ひとりで過ごしているという事実だけで、それが望ましくない状態だとは一概に決めつけられないのです。

話を戻します。「孤独」を、脳からのアラートが発されている状態、つまり「孤独感」ととらえるなら、前ページの図に挙げた4つの事象の中で、現代人は特に3「孤立ではないが孤独」の状態に立たされやすいといえます。

周囲に人がいるのに、ひとりぼっちだと感じる--そんな経験に心当たりはないでしょうか。

ひとりでも孤独感を抱かないことがある一方、人とのつながりがあっても孤独感が生じることがある……孤独感の有無は、周囲に人が多いか少ないか、ひとりでいるかどうかとは、必ずしも一致しないのです。では、何が孤独感を生むのでしょうか?

孤独感とは、「他者とのつながりがない、あるいは足りない」また「自分は理解されていない」と感じたときに生じる、つらく不快な感情です。

そうなると、人はどんな場合に「他者とのつながりがない、あるいは足りない」「自分は理解されていない」と感じるのか、という視点で、孤独感が生じる原因を探る必要があります。

※本稿は、『孤独脳 脳のSOSに気づき心と体を壊さない30の方法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。