なぜ「ゆで太郎」は駅前だけを狙わなかった? ライバル不在の“郊外”で見つけた勝ち筋
立ち食いそばといえば、駅前やオフィス街の一等地で競い合うのが一般的。しかし、ゆで太郎は「町のそば屋なら駅前である必要はない」と考え、郊外のロードサイドへと出店先を広げていきました。
最初は自信がなかったという大幹線道路沿いの店舗も、ふたを開ければ好調。「そば屋は駅前」という常識を疑った先に見つけた、ライバルの少ない市場とは。『ゆで太郎の儲かる仕組み - 22年連続黒字を支えるがっちり経営術 -』(池田智昭/ワニブックス)から抜粋してご紹介します。
○ロードサイドというブルーオーシャン
そば屋はレッドオーシャンだと思われています。
高級店はさておき、町にあるそば屋はどんどん減っていて、絶滅寸前の業態という認識が一般的です。
立ち食いそばは駅前やオフィス街で戦う商売です。富士そばさんは」自分たちは不動産屋だ」とおっしゃっていますが、まさにその通りで、いかに駅前の一等地を押さえるかが勝負になります。
私たちがそこで戦おうとすれば、富士そばさんや、駅の中にある箱根そばさんと同じ土俵に上がることになる。これは資金力や長年の経験がものをいうでしょう。
しかし、町のそば屋として設計すれば、駅前である必要がない。そう気がついた時に、私たちの商売から見える景色が一気に変わりました。
最初のロードサイド出店は、2007年10月。千葉県の五井白金通り店でした。初めての挑戦で、実際にやってみないとわかりません。万が一うまくいかなくても会社が倒れない状況になった時に出店に踏み切りました。
結果は成功。というより大当たりです。それが今のゆで太郎の新たな出発点となりました。
ただ、ロードサイドといっても最初は大幹線道路を避けていました。それには明確な理由があって、弁当屋出身としての思い込みがあったからです。
弁当屋さんは基本的に大幹線道路沿いには出店しません。車が止めづらいですし、そもそも駐車場も要らないことがコンパクトな経営につながっていたからです。ゆで太郎のロードサイド出店計画も、最初は生活幹線と呼ばれるような、片側一車線の地元の道を中心に進めていました。
それを変えたのは加盟店のオーナーさんです。自分の持ち物件が大幹線道路沿いにあり、「ここでゆで太郎をやりたい」と言ってきたのです。
私は正直に「あまり自信がない」と伝えました。それまでに条件が似た店舗がないため、売り上げの推測もできません。しかし、オーナーさんは自分の建物で家賃がかからないからと言って出店してくれました。
これが今の茨城県つくばみらい市の谷和原店です。片側3車線、車がブンブン通る大幹線道路沿いの店でしたが、ここも素晴らしい売り上げを見せてくれました。
今考えてみれば、牛丼家もラーメン屋も幹線道路沿いに出店していますから、ゆで太郎が売れないわけはなかったんです。
後からならなんとでも言えますが、当時は自信がなかったんですね。大きな賭けでしたが、それを提言して実際に行動に移してくれた加盟店のオーナーさんにはとても感謝しています。
大幹線道路でも戦えると確信できた私たちは、その後、国道50号、18号、環七、甲州街道といった主要道路にも出店を続けていきます。
ゆで太郎の歴史とは、オフィス街から始まり、生活幹線道路、住宅地、駅前、そして大幹線道路と、立地の選択肢がどんどん広がっていった歴史でもあります。極端な話、どこでも出店できるだろうという状態です。
地域によって特性がありますから、こちらの想定以上に売れたり、あるいはその逆もあります。しかし、そば屋というカテゴリーで見ればライバルはほとんどいない。
決して、競争を避けたのではありません。駅前という常識を疑ったら、そこに競合店が存在しない空白地帯があった。
駅前はレッドオーシャンに見えたけれど、私たちが出ていった場所にはライバルがいなかった。郊外こそがゆで太郎が見つけたブルーオーシャンだったのです。
まとめ
競争を回避するのではなく最初から空白地帯を狙う

○『ゆで太郎の儲かる仕組み - 22年連続黒字を支えるがっちり経営術 -』(池田智昭/ワニブックス)
「駅前一等地には出店しない」「職人は育てない」「薄利多売にも頼らない」外食産業の常識を次々と覆し、全国200店舗超へと成長した「ゆで太郎」。その成功の裏には、競争しない立地戦略、職人技を分解して誰でも再現できる仕組み化、利益率より来店頻度を重視する価格設計があった。本書では、22年連続黒字を支えた経営の考え方を初公開。人手不足時代の組織づくり、フランチャイズ運営、商品開発、価格戦略、外国人雇用まで、「再現性のある経営」の本質を余すことなく明かす。外食業はもちろん、あらゆる業種の経営者・管理職に役立つ一冊。
最初は自信がなかったという大幹線道路沿いの店舗も、ふたを開ければ好調。「そば屋は駅前」という常識を疑った先に見つけた、ライバルの少ない市場とは。『ゆで太郎の儲かる仕組み - 22年連続黒字を支えるがっちり経営術 -』(池田智昭/ワニブックス)から抜粋してご紹介します。
そば屋はレッドオーシャンだと思われています。
高級店はさておき、町にあるそば屋はどんどん減っていて、絶滅寸前の業態という認識が一般的です。
立ち食いそばは駅前やオフィス街で戦う商売です。富士そばさんは」自分たちは不動産屋だ」とおっしゃっていますが、まさにその通りで、いかに駅前の一等地を押さえるかが勝負になります。
私たちがそこで戦おうとすれば、富士そばさんや、駅の中にある箱根そばさんと同じ土俵に上がることになる。これは資金力や長年の経験がものをいうでしょう。
しかし、町のそば屋として設計すれば、駅前である必要がない。そう気がついた時に、私たちの商売から見える景色が一気に変わりました。
最初のロードサイド出店は、2007年10月。千葉県の五井白金通り店でした。初めての挑戦で、実際にやってみないとわかりません。万が一うまくいかなくても会社が倒れない状況になった時に出店に踏み切りました。
結果は成功。というより大当たりです。それが今のゆで太郎の新たな出発点となりました。
ただ、ロードサイドといっても最初は大幹線道路を避けていました。それには明確な理由があって、弁当屋出身としての思い込みがあったからです。
弁当屋さんは基本的に大幹線道路沿いには出店しません。車が止めづらいですし、そもそも駐車場も要らないことがコンパクトな経営につながっていたからです。ゆで太郎のロードサイド出店計画も、最初は生活幹線と呼ばれるような、片側一車線の地元の道を中心に進めていました。
それを変えたのは加盟店のオーナーさんです。自分の持ち物件が大幹線道路沿いにあり、「ここでゆで太郎をやりたい」と言ってきたのです。
私は正直に「あまり自信がない」と伝えました。それまでに条件が似た店舗がないため、売り上げの推測もできません。しかし、オーナーさんは自分の建物で家賃がかからないからと言って出店してくれました。
これが今の茨城県つくばみらい市の谷和原店です。片側3車線、車がブンブン通る大幹線道路沿いの店でしたが、ここも素晴らしい売り上げを見せてくれました。
今考えてみれば、牛丼家もラーメン屋も幹線道路沿いに出店していますから、ゆで太郎が売れないわけはなかったんです。
後からならなんとでも言えますが、当時は自信がなかったんですね。大きな賭けでしたが、それを提言して実際に行動に移してくれた加盟店のオーナーさんにはとても感謝しています。
大幹線道路でも戦えると確信できた私たちは、その後、国道50号、18号、環七、甲州街道といった主要道路にも出店を続けていきます。
ゆで太郎の歴史とは、オフィス街から始まり、生活幹線道路、住宅地、駅前、そして大幹線道路と、立地の選択肢がどんどん広がっていった歴史でもあります。極端な話、どこでも出店できるだろうという状態です。
地域によって特性がありますから、こちらの想定以上に売れたり、あるいはその逆もあります。しかし、そば屋というカテゴリーで見ればライバルはほとんどいない。
決して、競争を避けたのではありません。駅前という常識を疑ったら、そこに競合店が存在しない空白地帯があった。
駅前はレッドオーシャンに見えたけれど、私たちが出ていった場所にはライバルがいなかった。郊外こそがゆで太郎が見つけたブルーオーシャンだったのです。
まとめ
競争を回避するのではなく最初から空白地帯を狙う

○『ゆで太郎の儲かる仕組み - 22年連続黒字を支えるがっちり経営術 -』(池田智昭/ワニブックス)
「駅前一等地には出店しない」「職人は育てない」「薄利多売にも頼らない」外食産業の常識を次々と覆し、全国200店舗超へと成長した「ゆで太郎」。その成功の裏には、競争しない立地戦略、職人技を分解して誰でも再現できる仕組み化、利益率より来店頻度を重視する価格設計があった。本書では、22年連続黒字を支えた経営の考え方を初公開。人手不足時代の組織づくり、フランチャイズ運営、商品開発、価格戦略、外国人雇用まで、「再現性のある経営」の本質を余すことなく明かす。外食業はもちろん、あらゆる業種の経営者・管理職に役立つ一冊。

