〈「皆さん、さようなら」SNSに残して失踪〉小4から不登校も“大手IT企業”に就職…「不登校の星」と呼ばれた宗教2世に何があった?

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クリスマスも誕生日も祝えず、校歌を歌うことさえ許されない。厳しい宗教一家で育った石崎智展さん(48)は、小学4年生から不登校になり、高校も半年で中退した。そんな孤独な少年時代に唯一の逃げ場となったのが、パソコンだった。独学で磨いたスキルを武器に大手IT企業への就職を果たし、“不登校の星”と呼ばれるまでになったが、職場での孤立から再びひきこもることに。さらに転職先でも追い詰められ、SNSに「皆さん、さようなら」と残して失踪した。宗教2世として生きづらさを抱えてきた男性が語る、壮絶な半生とは――。(前後編の前編)

【画像】ブラック企業に耐えかねてSNSに「さようなら」と書き込んで失踪した石崎智展さん

クリスマスも誕生日も祝えない…校歌を歌うのも禁止

現在、AIエンジニアとして働く石崎智展さん(48)が学校に行けなくなったのは、小学4年生のときだった。その背景には家庭環境が特殊だったことがある。

父親の転勤が多く、地方を転々として育った石崎さん。母親は、輸血を受け入れないなど独自の教えを持つキリスト教系宗教団体の信者だった。石崎さんも幼いころから宗教団体の集会に連れて行かれ、一家で信仰するようになった。

「母は体が弱く、うつ気味だったので、宗教に救いを求めたみたいです。私が集会でじっとしていられずゴソゴソしたり、聖書に落書きしたりすると、家に帰ってムチでお尻を20回、30回叩かれました。

その後は、しばらく座れないっす。イテテテって。ひどいときだと、週に2、3回はムチで打たれた。愛のムチだとか言ってたけど、半分虐待ですよね。本当に恐怖でした。

子どもだから、なんでその教義が大事なのかわからない。ハテナマークだらけのまま、『あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ』って言われて。知らず知らずのうちに親の顔色をうかがうようになっちゃいましたね。

あと、母親に『神様はずっと見ているから、悪いことしたらすぐにバレるよ』と言われていた影響か、監視されているような感覚もずっとありました」

教義では暴力的な行為・娯楽を避けることが重視され、石崎さんの家庭では子ども同士のチャンバラごっこも禁止。小学校に入ると、石崎さんは日常生活のあまりの制限の多さに苦しんだ。

「戦隊シリーズはもちろん、『キン肉マン』や『ドラゴンボール』など、みんなが見ているテレビやアニメも暴力的だからダメ。見ると母親からムチで打たれました。だから、友だちと話が合わないし、『変なヤツ』みたいに扱われて、寂しかったです。

神以外を賛美するのはダメだから、クリスマスや誕生日も祝えない。校歌も歌えない。口パクして歌っているふりをする信者の2世もいたけど、私は変に生真面目というか、しっかり教義を守っていたから、悪目立ちしちゃって。先生にも『石崎は歌わないけどな』って、みんなの前でいじられることもありました」

真っ当な道を外れた自分はダメな人間

不登校になった大きなきっかけは、両親の不仲だった。

石崎さんが7歳のころに弟が生まれると、両親の喧嘩が絶えなくなった。母親から父親の愚痴を頻繁に聞かされるようになり、小学4年生のころには、朝起きると腹痛に襲われたり、めまいや頭痛がしたりするようになった。

「まだ子どもなのに、一生懸命、両親の間を取り持つようなことをしていて。今思うと、私自身もストレスで、うつ病みたいになっていたのかな。学校でも浮いていたし、そのまま部屋にひきこもりました。

でも、学校に行けないって、周りとの決定的なズレじゃないですか。自分はなんて不幸せなんだと思っていたし、真っ当な道を外れた焦りとか、『やっぱり自分はダメな人間なのかな』とか自責の念が強かったですね」

そんな石崎さんを救ったのが、パソコンだった。

父親はコンピュータが好きで、当時としては珍しくノートパソコンやポケコン(ポケットコンピュータ)などを使っていた。石崎さんが6歳のころ、ブームになっていたファミコンが欲しいとねだると、父親が代わりに渡したのがパソコンだった。

「没頭しているとイヤなことも全部忘れられたので、不登校になってからはずっとパソコンを触っていました。『48時間戦えますか?』という感じで(笑)。

両親も最初は学校に行かせようとしたけど、無理だとわかると『行けないなら行かなくてもいいよ』みたいな感じで、自由を認めてくれたんです」

もともと新しいものが好きで、好奇心旺盛だったという石崎さん。まだアルファベットもわからなかったが、見よう見まねでキーボードを叩き、うまく動くまで何度も試した。

パソコンでゲームをして遊ぶにも自分でプログラムを書かないといけない。それで、このコマンドはなんのためにあるのかとか、このプログラムはなんでこう動くのかとかを考えて、『じゃあ、こうしてみよう』という感じで。ずっと『なんで?』を突き詰めていたんですね」

当時は市販ソフトも存在したが、石崎さんのようにプログラムを自分で入力してゲームを動かす楽しみ方も一般的だった。

ITバブルの波に乗り、“不登校の星”に

パソコンにのめり込む一方、小学校、中学校にはほとんど通わないまま卒業した。親に勧められて高校に進学したものの、結局、半年で中退した。

「高校でリセットされた感じがして、最初はやる気がすごく強かったんです。でも、不良の多い学校だったので、クラスの最下層のヤツはいじめてもいいんだみたいな感じで。

友だちになった子が不良に絡まれて殴る蹴るの暴行を受けているのを見て、自分も殴られるんじゃないかとすごく怖くなって、行けなくなったんです。

でも、そのときは家にひきこもるより、自分を救ってくれたゲームを作りたいという思いが強かったので、行動に移せました」

当時住んでいた仙台でゲームプログラムを学べる学校を探したものの石崎さんには物足りなく感じられた。そこで、単身上京し、東京に住む祖父母の家に居候しながら専門学校に通うことにした。

「オタク友だちがいっぱいできて、パソコンの話をするのが楽しくて。初めての青春という感じでした。親の目もないしって、ちょうど出始めた格闘ゲームとか好き放題やって(笑)。

でも、結局、1年で親元に戻っちゃったんです。純真だったので、親に心配かけるのは嫌だったし、ちゃんと信者をやるかと」

19歳のとき、父親の転勤を機に一家で東京に転居した。ちょうどWindows95が流行り始めたころで、石崎さんはアルバイトには困らなかった。

というのも、パソコンのセットアップやインターネットの使い方の指導、ホームページの制作代行など、個人でできる仕事がたくさんあったのだ。

ある日、パソコンのセットアップに行った人材紹介の会社で、「石崎さんほどのスキルがあったら正社員で働けますよ」と大手のIT企業を紹介された。

「学歴がないし、絶対に無理だと思って面接を受けたら、翌日『合格です』って。本当に好きなことだけを追い求めてきたので、数学のテストを受けても絶対0点なのに(笑)。

当時はITバブルで、いろんなところから人材を集めている状態だったので、たまたまその波に乗れたんですね。友だちには『不登校の星だよ』みたいに言われました」

「神様助けて!」と祈ったが、誰も助けてくれない

こうして大手IT企業への就職を果たした石崎さん。だが、楽しく働けたのは、4、5年だった。勤務先が買収した会社で働くことになると、買収された側のエンジニアたちが反発し、子どもじみた嫌がらせをされたのだ。仕事に必要な情報を渡してもらえない、休むと連絡をしているのに無断欠勤だと責められる……。

「そんな状況なのに上司は守ってくれないし、むしろ『石崎が悪い』と責めてきて。まさに孤立した状態になっちゃって。それで、うつになってしまい、ひきこもったんです。

めまい、頭痛がひどくて起きられない。ほとんど話すこともできなくて、4ヵ月くらい寝たきりみたいになっちゃって。しばらくまともに動けない状況が続きました」

結局、1年ほど休職した末、会社を辞めた。

「そろそろ社会復帰しなきゃ」と思っているとき、宗教2世の友人に誘われ、不登校やニートを支援するNPOでパソコンを教えるようになった。

しかし、そこでのバイト代だけでは自立できなかったため、31歳のときに社員5人ほどの会社に就職した。親元を離れることはできたが、そこは“超”が付くブラック企業だった。

「私ひとりで営業、開発、外注先の手配、外注の中継ぎ役、お客様対応と5役やってたんです。法律的にグレーな仕事を振られることもあって。でも、それを断ると、お客さんから責められるし、社長からも『おまえが悪い』と言われて、守ってもらえなくて……。

そのときは宗教を信じていたので、『神様助けて!』と必死に祈りました。でも、その神さえも助けてくれない。ほかの信者も助けてくれない。逃げ道がない状態に追い詰められて、もう海に消えちゃおうかなと……」

SNSに「皆さん、さようなら」と書き込むと、石崎さんはスマホの電源を切り、失踪した――。

<後編を読む『〈「不登校だった自分、ありがとう!」〉宗教2世で失踪、うつ、ひきこもり…“道を外れまくった”48歳男性が最先端AIエンジニアになるまで』>

取材・文/萩原絹代