Benjamin Sellier

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白状すると、僕はヨットについて何も知らなかった。フランスに20年以上暮らしていながら、この国の人間なら誰もが知っているヴァンデ・グローブという名すら、正確には知らないままでいた。

【画像】技術の粋が注ぎ込まれた「DMG MORI GLOBAL ONE」で世界の海に挑む白石康次郎氏(写真20点)

その人間が、白石康次郎に迎えられ、話を聞くことになった。

帆で世界を回るというのは、もっとゆったりとした営みだと思っていた。優雅で、自由で、水平線を眺めながら風に任せて進む。そういう絵を勝手に描いていた。その想像は、艇に近づいた瞬間から音を立てて崩れていった。

たとえるなら、F1マシンでパリダカールラリーに挑むようなものである。頭の中が完全にバグを起こした。以下に記すのは、その驚きの一部始終である。

ロリアン。ブルターニュの南岸にあるこの街は、かつてドイツ海軍のUボート基地が置かれ、いまは外洋レース艇の一大拠点になっている。ラ・バースと呼ばれる区画には各チームの格納庫が並び、その先のポンツーンに、まだ誰も見たことのない形をした船が浮かんでいた。

艇に乗り込んだ瞬間に、それが分かった。のんびり過ごすための船であれば、当然そこには平らな床があるはずだ。ところがこの船の内側は、曲線と曲面だけで構成されている。人がくつろぐことではなく、いかに速く走るかという一点から生まれた形である。

設計者のギヨーム・ヴェルディエは、この船をこう位置づけている。2016年世代のIMOCAにフォイルが載ったときと同等の、技術的な革命である、と。直近4回のヴァンデ・グローブを制した艇を手がけてきた男が言うのだから、軽い言葉ではない。

道路の反対側へ渡る

ヴェルディエの説明は、白石が好む比喩の話法を借りたものだった。これまでIMOCAは、一本の道路の片側だけを進んできた。途方もない性能の船が生まれたが、その代償として、乗り手にとってあまりに暴力的な乗り物になった。ならば道路を渡って、反対側を歩いてみればいい。

具体的には、船を飛ばせる手順そのものを逆にする。従来は、まず船体を風下側に傾けて片舷で水を捉え、その次の段階でフォイルが効きはじめる。新しい艇では、フォイルに十分な剛性と復元力を持たせ、傾く前に支えてしまう。前提が一つ入れ替わるだけで、それまで積み上げてきた設計の作法をすべて書き直す必要が生じた。

発想の出どころが興味深い。ヴェルディエと彼のチームがこの船に注ぎ込んだのは、これまでIMOCAの世界で使われてこなかった技術、すなわちアメリカズカップの艇と、フェラーリが進めるハイパーセイル計画で培われた知見だった。チームはこれを「コンバージェンス(収斂)」と呼ぶ。異なる分野で別々に磨かれてきた解が、一隻の船の上で出会う。

モノマランという発想

外から見て真っ先に目を奪われるのは、船底に走る大きな膨らみである。バッスルと呼ばれるこの縦方向の隆起について、ボートキャプテンのスタン・デルバールは「モノマラン」という言い方をしている。単胴艇でありながら、多胴艇の利点をいくらか引き出そうという試みだ。

主船体の下にもう一つの船体を抱えたような構造は、弱い風でも早い段階で船を浮かせることを狙っている。高く飛ぶのではない。低いところで安定して飛び、速度だけを素早く積み上げる。純粋な抵抗の削減や空力的な出力の追求に向かった前の世代とは、狙いどころが違う。

高速域では、フォイルが大きな揚力を生み、船体の接水面積を大幅に減らす。艇が完全に飛び上がるわけではなく、キールとラダーは水中に残り、水面すれすれの低い姿勢を保ちながら走る。この翼は流木に当たれば折れる。損傷は大幅な性能低下を招き、程度によってはリタイアにつながる。それを乗り手は毎日、時速数十kmで水面に叩きつけながら走らせることになる。

代償もある。振り子式のキールが左右に振れるたびに船底の流れが乱れては、せっかくの船底形状が意味をなさない。チームはキールの動きに追従して船底の連続性を保つ専用の機構を開発した。複雑な形状を採りながら、水の流れを乱さない。新世代IMOCAが直面している課題が、ここに凝縮されている。

副産物として、艇内容積は先代よりはっきりと増えた。バラストは船首、両舷、船尾の4つに分かれ、船底の低い位置に設けた取水口から水を採り込む。数百リットルの水を移動させて姿勢を作り、フォイルの出力を引き出す。この操作が現代のIMOCAの速さを決めている。

コックピットは、前に出た

歴史を振り返ると、IMOCAの操作区画は少しずつ後方へ下がってきた。この船は逆をやった。作業位置はマストのすぐ後ろ、艇のかなり前方に置かれている。乗り手を重心と主要な調整系の近くに引き寄せる配置である。

操船、セールの制御、艇内システムの管理が一つの空間に集まる代わりに、そこは波をかぶる濡れた場所になる。乗るたびに入ってくる海水を、いかに手早く抜くか。速さの設計と生活の設計が、同じ図面の上で綱引きをしている。

艇内に降りると、内装が白いことに気づく。外殻はカーボンの黒に覆われているのに、人が動く区画だけが白く塗られている。窓は細く小さく、光はほとんど入らない。その乏しい光を少しでも回すための白である。速さのためではなく、乗り手が手元を見失わないための色だ。IMOCAの性能は艇の速さだけで決まらない。何週間も、この暗さの中で人間が集中を保てるかどうかが、同じだけ効いてくる。

フォイルもほぼ全体が複合材で作られ、低い高度で飛行を安定させる形状が与えられた。調整機構は複数の要素に同時に働きかけ、フォイルが生む力と挙動を細かく変えられる。海面に叩きつけられたときの衝撃には、エラストマーの緩衝材で応じる。さらに調整用シリンダーには圧力の上限が設定されていて、それを超えると自動的に力を逃がす。何日も高速で走り続ける船にとって、壊れないための機構は速さと同じだけ重い。

カーボンと、紐

甲板の上に立つと、奇妙な感覚に襲われる。足元にあるのは、幾何学的な限界まで押し込まれたカーボンの塊である。設計にはアメリカズカップとフェラーリの知見が注ぎ込まれ、艇内には軍用の系譜を引く航法装置まで収まっている。

ところが、この船を進ませているのは風だ。そして風を捉えるためにやることといえば、人間が紐を引くことである。

索は数十本に及ぶ。それを取り違えないための工夫が、色分けだ。暗闇の中で手探りしても、指が触れた太さと編み目で見分けがつくようになっている。この解決策は、帆船の時代からほとんど変わっていない。

撮影のあいだ、艇の先端で黙々と手を動かしている男がいた。この日、整備に訪れたロープの専門家である。彼の仕事は、索を仕立てることだ。1本のロープの中でも、荷重のかからない箇所は細く軽くし、力の集まる箇所は太くして強度を上げる。必要なところにだけ材料を置き、余分を削る。船体を4分割してまで形を追い込んだ設計思想が、そのまま紐の上で繰り返されている。

仕立て上がった索を、白石が手に取って見せてくれた。最先端の複合材で組まれた船を託されている男が、紐の太さの話をしている。世界を5度回ってきた乗り手にとって、この1本がどこで細く、どこで太いかは、船体の形と同じだけ重要な情報なのだろう。

索が集まる整列板を覗き込むと、面白いものが見えた。DMG MORIの刻印が入ったチタンの削り出しに、穴が一列に並び、それぞれ機能を示す符号が刻まれている。工作機械メーカーの精度が、そのまま船の部品になった箇所である。ところが、どの索をどの穴に通すのか、その並び順はまだ決まっていないのだという。それぞれが何に繋がっているかを示すシールが貼られたのは、取材の前日だった。これから海に出て、走らせながら、使いやすい並びを探していく。

操舵の仕組みも同じことを言っている。この船を曲げるのは、左右に1本ずつ伸びたティラー、つまり手で握る棒である。棒を振ると、カーボンのシャフトとワイヤーを介して舵が動く。水面すれすれの姿勢で走る船の進路が、最終的にはディンギーと同じ原理で決まっている。舵とティラーの配置は艇ごとに異なり、乗り手の体格や癖に合わせて設計される。船は、それを操る人間の寸法に合わせて仕立てられる。

セールも同じだ。積み込める枚数はレースごとの規定によって異なり、艇内に持ち込めるのは7枚から8枚。これを風向きと風速に応じて使い分ける。1枚の重さは80kgから130kg。それを、傾いた甲板の上で人間が引きずり上げる。時には1日のうちに何度も張り替えることになり、ヴァンデ・グローブではそのすべてを一人でこなす。

マストの高さは29mある。航行中にその頂上で不具合が起きれば、荒れた海の上を、自力で登って直すしかない。誰も助けに来ない。この船に積まれたあらゆる先端技術は、最後にはその一点に行き着く。

工作機械メーカーが、船を削る

この船をオクタンの読者に紹介する理由の一つが、造り手の顔ぶれにある。タイトルパートナーのDMG MORIは、世界有数の工作機械メーカーである。同社は建造の初期から関わり、自社の高精度機械で船の主要部品を削り出した。

素材はチタン。キールの軸受け、コックピットのフィロワール、コンストリクター、バックステーとジェネカーのシーブボックス。外洋で極端な荷重を受け止める箇所ばかりである。硬い材料から薄肉の部品を挽くには、工具にも機械にも高い水準が要る。

なかでもキールの軸受けは、船の生死に関わる部位である。船底から吊り下げた重りを油圧で左右に振り、艇を起こし続ける。万一の転覆から復原するのも、この機構の役目だ。ここに重大な損傷が生じれば、艇の復原性が大きく損なわれ、安全な航行が困難になる。

船体はヴァンヌのマルチプラストで成形された。通常は2分割で作るところを、今回は4分割にしている。複雑な形状を追い込んだ結果である。「この船は既存のものをなぞって済ませられない」とデルバールは言う。40年近くこの世界を見てきた男の実感だ。設計事務所のエンジニアたちは、あらゆる指標で幾何学的な限界まで押したと語っている。

徹底ぶりは主機にも及んでいる。港を出入りする際の推進と、艇内の電力をまかなう発電のために積まれるディーゼル機関は、市販の製品をこの艇のために手直ししたものだ。部材の一部をカーボンに置き換えている。船体を4分割してまで形を追い込んだチームは、帆走中はほとんど動かさない機械にも、同じ物差しを当てた。

艇内に収まる装備にも、この船の出自が現れている。詳細を明かすことはできないが、カーボンの隔壁に並ぶ機器のいくつかは、航空宇宙の分野で磨かれた技術を出自としている。なかでも印象に残ったのは、慣性計測によって艇の姿勢や進行方向の把握を補助する航法装置だった。衛星測位が一時的に途絶える事態を想定して積まれている。大洋の只中では、外から届く信号が絶たれることもありうるという前提が、この一台に形を与えている。

舵を握っているのも、多くの時間は人間ではない。風と艇の挙動を高い分解能で読み取り、人間の手より細かく舵を当て続ける装置が積まれている。人間は30分なら上手く舵を引ける。だが機械は決して手を止めない。外洋レースで実際に舵が動いている時間の大半は、この装置が担っている。

その一切を支えているのが電気である。この艇は太陽電池、水力発電機、そしてディーゼル機関という3つの手段で電気を作る。航法も、自動操舵も、飲み水を作る装置も、すべてそこにぶら下がっている。数か月にわたって陸から補給を受けられない船にとって、電気を絶やさないことは、速く走ることと同じ順位に置かれる。

これらを並べていくと、この船に集まっているものの素性が見えてくる。アメリカズカップ、フェラーリのハイパーセイル計画、そして航空宇宙と防衛。海の上のF1という比喩は、走りの激しさだけを指しているのではない。異なる分野の最先端が一隻の船の上に持ち込まれ、そこで初めて出会っている。その意味でも、この艇はF1に近い。

加えて、2025年から2028年に建造される新艇には、建造時の環境負荷を評価するIMOCAのエコスコア制度が適用されている。速さと軽さだけを追えばよかった時代は、静かに終わりつつある。

F1がラリーに来る

プロジェクトのまとめ役たちが繰り返した言葉が印象に残る。すべてを考え直す必要がある。F1がラリーに乗り込んでくるようなものだ。それでいて、船乗りとしての常識と基本を見失ってはならない。

40年近くこの世界を見てきた男が口にした比喩が、ヨットを何も知らずにこの船を見た人間の第一印象と、寸分違わず重なっていた。素人の目に映ったものは、間違っていなかったらしい。

新しい形は、新しい制約を連れてくる。書類の上では成立が危ぶまれた場面もあった。それでも、問題が起きたときに責任者ではなく解決策を探す進め方を選んだ結果、この規模の計画としては異例なほど滞りなく仕上がったという。マルチプラスト側の担当者は、こういう現場なら毎日でも欲しい、と笑ったそうだ。

明確な責任体制を保ちながらも、立場にかかわらず誰もが提案し、試すことができる。その文化を大切にしてきたのは、ほかならぬスキッパーの白石だった。彼が現場の人間に投げかける問いは、いつも同じである。この計画で働いていて、あなたは幸せか。

一隻で、二つの生を

全長18.28m、全幅5.85m、マスト高29m。上り角での帆面積148平方m、下り角で282平方m。セールナンバーはJPN11。動力源は太陽電池と水力発電機、そしてディーゼル機関。数字の並びは他のIMOCAと大きく変わらない。異質なのは、その数字が包んでいる形の方だ。

この船には、性格の異なる二つの生涯が用意されている。9月1日、ニューヨークを発ってロリアンを目指すジ・オーシャン・レース・アトランティックが最初の実戦になる。乗り込むのはセーラー4名とオンボード・レポーター1名の計5名。舵を握るのは白石だけではない。ヴァンデ・グローブ2024で6位に入り「頭脳」と呼ばれるニコラ・ルンヴェン、ヴァンデ・グローブに4度出場して2度完走し、2008-09年大会では4位に入ったサマンサ・デイヴィス、そして日本の新しい世代を担う守屋有紗が加わる。

艇内の居住区は、コックピットの後方に置かれている。もっとも防水が効き、もっとも乾いている区画である。そこにバースが3つ据えられる。5人で臨むのだから、常に2人が起きていて、残りが交代で横になる計算になる。セールを積むロッカーは、マストより前方の別の区画にある。

5人乗るのだから単独より楽ではないか、と水を向けると、白石は首を振った。常に誰かが船を操っている状態になるので、休む暇がない。むしろ忙しいのだという。単独なら自動操舵に任せて眠る時間があるが、クルーで走れば船は片時も緩まない。人数が増えることは、休息が増えることを意味しない。

2027年1月17日には、寄港地を巡る世界一周のジ・オーシャン・レースが待つ。その後は2人乗りのレースを経て、少しずつ乗員が減っていく。2027年12月のルトゥール・ア・ラ・バースで単独に戻り、2028年11月12日、白石はふたたび一人でヴァンデ・グローブのスタートラインに立つ。仲間と造り、仲間と走り、最後は一人で還る。船の仕様も、そのたびに作り替えられていく。

たとえば、索を人力で巻き上げるペデスタルウインチは、いま左右に2基が置かれている。5人で走るための配置である。単独に戻るときには、中央に1基だけになるという。乗る人数が変われば、甲板の上の配置そのものが変わる。

セールには北斎の大波が描かれている。白石が少年時代に眺めた相模の海であり、自然の力そのものでもある。その波の上を、波千鳥の文様が渡っていく。荒れた海でも、鳥たちは連れ立って進むという意味を持つ古い意匠だ。

取材の日、艇の上にレースのクルーはいなかった。いたのは白石と、索を仕立てに来たロープの専門家、そして日本から来た草川工業の面々である。窓の撥水性と船内のカビ抑制を検証するため、同社の製品が試験的に施工された。効果のほどは、これから始まる航海を通じて確かめられていくことになる。走らせる人ではなく、仕立てる人だけがいた日だった。出港までのあいだ、この船にはそういう人間が代わる代わる訪れる。誰もが自分の受け持ちを置いていき、次の誰かに渡していく。

図面の上で限界まで押し込まれた船が、紐の並べ方については、まだ何も決めていない。この船は、まだ自分の使い方を知らない。それを教えるのは、これから渡る海のほうである。

写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI