桑田真澄氏も、バッティングは上手だった

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 今シーズンも大詰め。いよいよ「勝負の9月」がやってきます。今年も現場で実況を続けてきた元東海ラジオアナウンサーの村上和宏さんは、シーズン終盤を迎え、ある思いを抱いているそうです。それは、来シーズンからセ・リーグでも導入されるDH制について。ただし、村上さんが気になるのは「打者の視点」ではありません。実況アナだからこそ知る、DH制の意外な一面を解説してくれます。

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DH制導入は経営側の判断から

 8月も残すところあと3日、セ・パ両リーグの順位表に残り試合数が表記される時期になりました。

 もちろん一番の興味は優勝争い、CS進出争いですが、今年は残り試合数が少なくなるにつれ、個人的に一抹の寂しさを感じます。というのも、来年からセ・リーグもDH制を導入するため、残り試合が少ない=ピッチャーが打席に立つ姿を見られなくなる日が近づいてくるからです。

桑田真澄氏も、バッティングは上手だった

 まずDH制の歴史を整理しましょう。

 DH制が導入されたのは1973年、メジャーリーグ(MLB)のアメリカン・リーグが最初です。そのきっかけは前年の72年、当時のリーグ12球団のうち、9球団の年間観客動員数が100万人を切り、経営側が危機感を持ったことでした。

 72年のアメリカン・リーグは極端な投高打低で、試合でなかなか点が入らない。そのため「おもしろくない」という理由で、客足が遠のいていたそうです。この打開策として導入されたのがDH制。強打者がもう一人、打撃オーダーに加われるようにしました。つまり、そのスタートはあくまで経営主体の考えであり、今言われるような「選手の出場機会を増やす」「投手の安全のため」といった理由はあとからついてきたものなのです。

 日本では、パ・リーグが1975年から採用しています。前年の74年、阪急の高井保弘が通算14本の代打ホームランを放ち、中西太(西鉄)、穴吹義雄(南海)が持っていた当時の代打ホームラン記録(13本)を塗り替えたことに始まります。高井さんは「通算代打ホームラン27本」という、いまだに破られていない世界記録を持った方ですが、74年だけでも6本の代打ホームランを放っています。

 高井選手の活躍を見たアメリカ人記者が「あれだけのバッティングをする選手が代打だけとはもったいない。日本もアメリカのようにDH制を導入すべき」という趣旨のコラムを毎日新聞に掲載しました。高井さんは守備に難があり、スターティングメンバーとして起用されることがほとんどなかったのです。

 このコラムを読んだパ・リーグのオーナー達が導入の是非を議論し、翌1975年からの導入を決定しました。しかし、この導入も高井選手のように「バッティングには長けているが守備に難がある」選手に出場機会を増やすというよりは、DH制導入によって観客動員数を伸ばしたアメリカン・リーグの成功が最大の理由でした。

 セ・パ交流戦について触れた回でも書いたように(2026年5月5日配信)、当時のパ・リーグは人気面でセ・リーグに大きく水をあけられていて、人気低迷からいかに脱却するかが喫緊の課題だったのです。

 セ・リーグとの差別化を図る意味でも導入されたパ・リーグのDH制ですが、当時はピッチャーが打席に立つのが常識だった野球界から反対されることを考慮し、最初は「試行」とされ、その期間を2年間としていました。

 それから51年……ついにセ・リーグも、来年からのDH制導入を決定しました。

リーグ間対立の原因にもなったDH制

 ただ、セとパでのルールの違いは、リーグ間対立の一因ともなりました。

 今でこそ日本野球機構(NPB)の中にセ・パ両リーグが存在する形態になっていますが、当時の両リーグはそれぞれ完全に独立した組織で、NPBよりはるかに力を持っていました。NPBが前面に出てくるのはドラフト、オールスターゲーム、日本シリーズのみという状態でした。パ・リーグ独自のDH制を、オールスターゲームや日本シリーズでどう扱うかは、今の時代から考えると信じられないくらいデリケートな問題だったのです。

 オールスターゲームでは、1983年にDH制の採用が決まりましたが、セ・リーグはピッチャーを打席に立たせて抗議の意思を示したため、この年だけで頓挫しました。その後、セが態度を軟化させ、90年からパ所属チームの本拠地球場のみDH制とすることになり、93年には今のような、全試合DH制が採られるようになりました。

 日本シリーズでは1985年に「隔年で全試合採用と全試合不採用とする」ことが決まり、この年の日本シリーズで初めてパ・リーグのバッターがDHとして打席に立ちました。しかし決定に従い、翌86年のシリーズでDH制は適用されませんでしたが、1987年にパ・リーグ本拠地球場の試合で採用することになり、現在に至っています。

 MLBでも長年不採用を続けてきたナショナル・リーグが、選手会との新労使協定に従って2022年からDH制となり、韓国、台湾、キューバのプロリーグをはじめ、WBCなど国際大会でもDH制が採用されています。

 アマチュア野球界に目を転じれば、先日まで熱戦を繰り広げた高校野球が今年から春・夏両甲子園大会で採用。東京六大学連盟、関西学生野球連盟も今年から採用したため、全日本大学野球連盟所属の全連盟がDH制となりました。

 来年のセ・リーグDH制導入は、時代の流れと言っても過言ではありません。かつてのセ・リーグのスタンスを知る私からすると、まさに隔世の感があります。

 ただ、私が冒頭書いたように「一抹の寂しさ」を感じるのは、ピッチャーの生の声を聞いてきたからです。

エースで4番

 かつて清涼飲料のCMソングの歌詞に「子供のころからエースで4番」とあるように、プロ野球選手は文字通り、野球を始めたころからエースで、かつ主軸を任される打者だった人が数多くいます。

 投打ともに秀でた選手で、プロでも投手を任されるということは、実はとてもすごいことなのです。だからこそバッティングが好きなピッチャーは多く、普段の練習ではメニューに入っていないバッティング練習が(大抵は先発要員だけではありますが)たまに行われると、それこそ目を輝かせて楽しそうに打球を飛ばす姿をずっと見てきました。

 また、交流戦では、普段打席に立たないパ・リーグのピッチャーがホームランを打って度肝を抜くシーンも何度も見てきました。

 ピッチャーの大半が「バッティングは楽しい」と言います。その一方「バントは嫌い」と本音を明かす選手もいますが……。

 皆さんが想像する以上に、セ・リーグのピッチャーは「打撃成績」を気にしていました。中日ドラゴンズのレジェンド・山本昌さん(61)は、ずっと「ホームランを打ちたい」と言っていました。プロ初ホームランが出ないまま、甲子園のラッキーゾーンがなくなり、広い球場が増えていく中「球場があちこち広くなるから昌さんのホームラン、難しいですね」と意地悪な質問をしたことがありますが、それでも、

「そうなんだよ……。でも1本でいいから打っておきたい」

 と、こだわりを見せていました。結局、ホームランを打たないまま引退されましたが、打てなかったことは心残りだと今でもおっしゃいます。引退後も、元ピッチャー同士の会話で、ホームランを打った人がそうでない人に「だって俺はホームラン打ってるからな」と、冗談半分にマウントを取る場面もよく見かけます。

 もちろん、ピッチャーの本職は打撃ではありませんが、「プロ野球でホームランを打った」ことは、一野球人としての勲章なのでしょう。

 かつて日本では、パ・リーグの球団に入って初めてDH制で打席に立たなくなっていたピッチャーですが、前述のように高校野球や大学野球からDH制でプレーする選手が増えてくるとピッチャーの意識も変わっていくのでしょう。とはいえ、セ・リーグでもDH制が導入されることで、セ・リーグの野球がどのように変わっていくのか楽しみでもあります。

 いずれにせよ、一つの時代が終わろうとしていることだけは確かです。

村上和宏(むらかみ・かずひろ)
フリーアナウンサー。1967年、広島県出身。専修大学法学部卒業後、91年に東海ラジオ放送入社。制作局アナウンサーとして、主にスポーツ実況を担当。2025年の退社まで、プロ野球をメインに多くの番組制作に携わった。現在、バンテリンドームナゴヤのDAZNドラゴンズ戦実況、「プロ野球ニュース」(フジテレビONE)などに出演中。

デイリー新潮編集部