阿南市沖の無人島に「謎の古墳」 命がけの調査に同行【徳島】
阿南市沖の無人島に、謎の古墳があるのをご存じでしょうか?
8月、阿南市が測量調査を行い、その調査に四国放送のカメラが同行しました。
山本記者の報告です。
(記者)
「これから向かっているのは、阿南市の沖にある無人島、舞子島。謎の古墳が残された島、ワクワクしますね」
私たちをのせた漁船が目指しているのは、阿南市椿泊町燧崎(ひうちざき)の東およそ800メートル沖にある島「舞子島(まいこじま)」。
阿南市文化振興課の向井公紀係長らによる測量調査に今回、途中まで同行を許されました。
向井さんといえば、遺跡や歴史的遺物など文化財の調査研究を行っているエキスパートの一人です。
(記者)
「いつから知られている?」
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「大正時代から知られている」
(記者)
「100年前から?」
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「100年以上前から知られている古墳」
「無人島という離島の中なので、調査が進んでいない。謎めいた古墳群の1つです」
(記者)
「テレビカメラが入るのは、今回が初めて?」
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「今回が初めてになります」
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「一応見えているんですけど、わかりますか?」
(記者)
「なんかひょっこり出ている感じの、あれが1号墳?」
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「はい」
船の上から確認できたのは、岸壁の上にむき出しになった石室。
本来は土の中に隠されていなければならないはずの部分が、はっきりとわかるようになっていました。
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「島の南側がだいぶん削れている、崩落して見えているだけで、本来は山のてっぺん付近に造っている」
「このまま放っておくと多分、10年後くらいにはなくなっている」
舞子島にある古墳は6世紀から7世紀のもので、確認されているだけで10基。
1922年に初めて発見され、あの「鳥居龍蔵」博士が調査に向かった記録も残っています。
現在は、阿南市の文化財に指定されています。
いよいよ上陸。
小型の魚船に乗り換えて、島の西の端にある砂浜を目指します。
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「結構岩がボロボロするので、岩に(手を)かけない方が良い」
目的の古墳までは崖を登って、道なき道を進みます。
私たち取材班は、機材をもって進むのが危険と判断されたため、小型カメラを測量チームに託し、ドローン撮影に切り替えました。
舞子島に残された古墳は、ご覧のように風化が進み、今にも崩れ落ちそう。
今回の調査は、崩落が進んでいる古墳を正確に測量し、後世に記録として残すことを目的としています。
測量はまさに命がけ。
崖に垂らしたロープで身体を支えながら、専用の機械でむき出しになった古墳の石室の中や、石の大きさなどを慎重に図っていきました。
(古墳を間近くで測量した・辻悠貴さん)
「周りの岸壁も大分崩れてきていた。それ起点で(崩れそう)」
「近いうちに(古墳が)なくなる雰囲気はあった」
(記者)
「なんでここに古墳を作ったと思う?」
(古墳を間近くで測量した・辻悠貴さん)
「ロマンですかね」
調査はおよそ2時間にわたって行われました。
舞子島古墳群の中で一番崩落が進んでいる「1号墳」の測量を無事に終えました。
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「これから先にある地震や津波で、1号墳は崩落する可能性が高い」
「(崩落より)より先に正確な図面が取れたので、何かあった時でも復元したり、今後の文化財保護の啓発に活用していきたい」
「舞子島古墳は古墳が作られた当時も、人々が住むことができない離島であったことは間違いない」
(阿南市文化振興課・向井公紀 係長)
「舞子島の対岸には弥生時代後期の銅鐸が出土している。銅鐸を持てるほどの強力な集落が近くにあったことは言える」
「そうした人たちが、舞子島古墳を神聖な場所として扱って、そこにたくさんの古墳を作ったと考えている」
巨大な権力を持った人々が、無人島に古墳を作らせたことは間違いありません。
それはいったいどんな人たちだったのか?謎に包まれた古代のミステリー。
私たちが住む徳島には、まだまだ歴史の謎が隠れています。
今回の調査結果については、9月26日に徳島市の考古資料館で行われる講座で発表される予定だということです。
