山本太郎氏に存在した「外向きの過剰アピール」と「内向きの理念の強さと行動力」の二面性
◆スポーツ報知・記者コラム「両国発」
れいわ新選組の代表としての役目を終え、政界引退を宣言した山本太郎氏。私は山本氏が2013年に参院選初当選した直後、都内ホテルの一室で話をしたことがあった。その際に言われたのが「一面を確約してくれるなら、スクープありますよ」。私が「内容を教えてくれないとさすがにムリですよ」と返答すると、その数日後、某夕刊紙に「山本太郎離婚」の文字が躍った。18歳年下の女性と交際1か月で結婚し、3か月で別れたとのことだった。
一方、19年の参院選でのこと。山本氏はれいわ新選組の代表として、車椅子かつ介助が必要な重度障害者2人を候補に擁立した。そのうちの1人・木村英子さんは生後8か月の事故が原因で脳性まひを患い、首から上と右手しか動かなかった。
木村さんは私に「施設から出た重い障害者は社会から隔絶される」「社会に出て、介護保障運動をしなければ生きていけない」と、理路整然とした言葉で出馬理由を訴えた。そして「山本さんは見向きもされない自分たちの活動に理解を示し、どこにいても駆けつけてくれていた」と続けた。
山本氏には「外向きの過剰アピール」と「内向きの理念の強さと行動力」の二面性が存在したと思う。これは、れいわの支持者と不支持者を大別してしまう「微妙なバランス」となっていた。山本氏の病気療養による活動休止直後、2月の衆院選でれいわは大敗し、その後、地方議員ら党員が続々離党。バランスがひとたび崩れた際の結末だった気がする。(社会担当・樋口 智城)
◆樋口 智城(ひぐち・ともき)2001年入社。日本ハム担当などいろいろウロウロした後、今は国会周辺などをウロウロするウロウロ人生。
