30時間に及ぶ暴行が行われた尼崎市内のアパート

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【写真】玄関にはかわいいネームプレート…「ごく普通の情景」の中で起きた凶行

なぜ命を落としたのか

 第1回【「ポリ袋を破って茶色い手みたいなものが」…お盆の運河に浮かんだ小1男児の遺体 「小学生の頃からワル」の実母が“執拗な折檻”に至るまで】を読む

 2001年のお盆を迎えていた兵庫・尼崎で、運河に浮いていた黒いポリ袋。発見者たちはその中身に絶句した。6歳の男の子の無残な遺体。本来なら海へ山へと元気に駆け回るはずの男の子はなぜ命を落としたのか――。「週刊新潮」のバックナンバーで事件を振り返る。

(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」2001年8月30号掲載記事を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)

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友達思いのやさしい子供

 1歳になったばかりのA君は父親側に引き取られ、それからは曾祖母の手で育てられることになった。

30時間に及ぶ暴行が行われた尼崎市内のアパート

「団地で曾祖母と、まだ若いOLだった父親の姉と一緒に暮らしていました」

 今年84歳になるという曾祖母はA君を溺愛していたそうで、近所の住人も言う。

「団地から少し離れた場所にある幼稚園まで毎朝毎夕、ひいお婆ちゃんに手を引かれて通うA君の姿がありました。弁当持参日には父親の姉が朝早く起きて、かわいらしいお弁当を用意したそうですからね。両親はいなくても彼は本当に幸せそうだった」

 その頃のA君は笑顔の多い、活発で、しかも友達思いのやさしい子供だった。

「他の子よりも少し大柄で、運動が得意でした。それに給食時には、友達の嫌いなおかずを自分の物と交換してやるような大らかさもあった」

 まさかそんなA君が、後に実の母親や義理の父親の手に引き取られた揚げ句に、こんな無惨な殺され方をするとは想像すらできなかったのだ。

脅迫して再婚、半年後に離婚

 一方、我が子をアッサリと手放して、再び夜の世界に返り咲いたCは、なんと1年後には新しい男と再婚しているのである。スナックの元同僚が呆れ顔でこう話す。

「今度の相手は2歳年上の男だったのですが、元々、男の方はCと結婚するつもりがなかったんです。それなのに彼女は、頭をツルツルに剃り上げたヤクザまがいの兄を使って“おれの妹に手を出したな”と脅迫。殴る蹴るの暴力まで振るって、無理やり結婚にこぎつけてしまったのです」

 結局は、2人はわずか半年後に離婚してしまうのだが、次に登場するのが今度の事件の共犯者・Bだった。

「2人は中学校の元同級生で、彼は、当時から彼女の憧れの存在だったそうです」

 Bは母の手ひとつで育てられていて、父の顔すら知らない。中学を卒業してから就いた職業は、焼き肉屋やパチンコ屋のアルバイト店員。最近では、道路工事現場での軽作業だった。

「どんな素性か知らなかったが、大人になったBは、中途半端に染め上げた茶髪がむさ苦しい、ただのプータローになっていた。でも、彼女が惚れて一緒になった男だったのは確かで、ホステス時代に、客がちょっとからかっただけでも包丁片手に飛び出していった凶暴な女が、彼の言うことだけは素直に聞いていた」

児童手当5000円を目当てに

 先の県警詰め記者が言う。

「結婚して4カ月後にCは子供を産んでいるので、2人の生活は苦しかった。借金を踏み倒しては夜逃げを繰り返す暮らし振りで、最近まで住んでいたアパートでもガスを止められ、携帯コンロでお湯を沸かして暮らしていた」

 たまに訪れて来る客は暴力団員ふうのCの兄達か、今年51歳になる母親だけだったというのも情けない話だ。

 しかし、今年の1月19日に突如、長男として引き取られて来たのがA君だった。Cが生みの母親とはいえ、彼が1歳の時に別れたきり一度も会ったことのない女なのだ。6歳の子供が受けたその時の衝撃と心細さはどれほどのものだったか、とても計り知れない。

「曾祖母の下で幸せに暮らしていたA君が、ここに引き取られることになった理由も哀れでね。金に困った両親が、市から月々支払われる児童手当の5000円を欲しがったことと、子供の養育の困難さを訴えて、あわよくば生活保護を受けられないかと考えたからでした」(前出記者)

階段すら自力で上がれない有様

 そんな自分勝手な両親の申し出を、A君の曾祖母は受け入れるはずもなかったが、すでに再婚していたCの前夫が承諾してしまう。

「元々、親権はC側にあったしね。また、彼女の言う通りにしないと何をされるか分からないと恐れて、渋々ながらに引き渡してしまった」

 この日からA君の地獄の日々は始まるのだが、それはそのまま、CとB夫婦による執拗な“幼児虐待”の始まりでもあった。こどもセンターの児童相談員の1人がこう語る。

「今年(編集部注:事件が発生した2001年)の1月25日、“長男が2歳の弟をいじめて困る”という相談がありました。そして、それから1週間後に両親とA君とが来所してきたのですが……」

 彼は、暗い顔をしたA君の様子を一目見て、思わず息を呑み込んだという。

「誰が見ても分かるほどに無惨な姿だったのです。左目に眼帯をした顔は赤くパンパンに腫れ上がっていた。しかも、老人のように腰を折って歩くのでよく見たら、A君の脚は象の足のようにイビツになっていて、階段すら自力で上がれない有様だった」

「全身をゴルフのパターで殴られた」と

 この時点で、センター側がA君を保護することを即決し、併せて母親のCにもこうなった事情を問い質した。

「彼女は“躾を厳しくやっているので叩くこともある”と言い、“でも、このままだったら、やがて新聞に載るような事件を起こしそう”とも答えていたので、少しは子供を虐待しているという認識があるのかなと思ってしまった」

 しかし、翌日になって病院で診察を受けさせたところ、A君の全身に殴打痕と皮下出血、また、両方の鎖骨が何度も骨折していたことが判明する。とてもじゃないが、“躾で叩いた”程度の傷害ではなかったのである。

「全身をゴルフのパターで殴られたそうです。しかもA君は“お父さんにも何回か叩かれたが、お母さんほどは多くない”とも言っていた」

 文字通り、鬼の所業だ。しかもこれは、A君を引き取ってからたった1カ月間に起きた出来事だった。この日を境に、児童養護施設に保護されることになったA君は、この4月から新1年生となって、近くの小学校に通っていた。

“一時帰宅”と偽って施設から連れ出す

 地獄の瞬間は暑い夏とともにやって来た。BとCは夏休みを迎えたA君を“一時帰宅”と偽って施設から連れ出し、またもや虐待の限りを尽くして……遂には幼い命を奪ってしまうのだ。

 8月7日のことだった。しかもこの夫婦は、殺したA君の遺体を入れたゴミ袋をボストンバッグで隠し、夕クシーで北堀運河の水門近くに運んで捨ててしまう。

「わしらがそれを見つけたのは13日のことだったが、もしも次の日だったらゴミ袋は大阪湾に流されていて、永遠に海の底に沈んでいたはずだった。……14日は、予定通りなら水門を開けて、周辺に溜まったゴミを流す日だったのです」(第一発見者の男性)

(以上、「週刊新潮」2001年8月30号掲載記事より)

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求刑懲役10年に対し8年の判決

 後の公判で明らかになったのは、実母Cと養父Bによる壮絶な暴行の詳細だった。暴行が始まったのは8月6日0時ごろのこと。A君が「家よりも保護されている施設が好き」と発言したことをきっかけに、7日の朝まで30時間余りも暴行を加えていたのだ。

 正座を強いて足を崩すと殴打、両手両足を縛って紐を外すと腹部を蹴るなど、人間の所業とはとても思えないほどの内容。しかも、瀕死のA君を病院に連れて行かず、亡くなったことに気付くと即座に遺体の処理方法を相談し合っていた。

 地裁尼崎支部は「A君の無念さは計り知れない」とBとCの行為を厳しく断じる一方、先の記事中にもある両者の不遇な生い立ちにも一定の考慮を加え、求刑懲役10年に対し8年の判決を下した。

“ヒマやから”と前の生徒の背中をカッターで――。第1回【「ポリ袋を破って茶色い手みたいなものが」…お盆の運河に浮かんだ小1男児の遺体 「小学生の頃からワル」の実母が“執拗な折檻”に至るまで】では、母親の素顔を報じている。

デイリー新潮編集部