【終戦記念日に考える】「英雄」も「美談」も存在しない…太平洋戦争末期、軍艦に勤務した父が目にした「戦場の真相」
そこには、私の知らない父の姿があった。21歳、海軍経理学校の卒業後すぐに戦地に赴いた父が見た「戦争」とは何だったのか。英文学を専門とする阿部公彦氏が、実家の書斎に残されていた父の記録をもとに書き起こしたノンフィクション『父たちのこと 一九四四年のクラスメイト』より「はじめに」を特別公開する。
「英雄」も「美談」も存在しない
太平洋戦争中、私の父・阿部克巳は庶務を担う主計官として軍艦に勤務していた。本書は父が残した記録を元に、当時の日本軍の状況を具体的に記述したものである。
大戦末期の軍隊は混乱をきわめていた。新任の士官には配属先の情報さえきちんと伝わらず、任地への移動も自分で飛行便などを調べて手配する必要があった。激戦地の近くを通ることもあり、旅程の作り方が生死をわけることもあった。
ようやく着任した駆逐艦では、主計官の仕事は食材管理から乗員の給与袋詰め、勤務評定まで多岐にわたる一方、昇進をめぐる上層部の思惑も耳に入ってくる。作戦立案をめぐっての縄張り争いや責任の押し付け合いも垣間見た。
戦闘は想像を超えて過酷だった。米軍のレーダー攻撃の不気味なほどの正確さ。直撃弾で吹き飛んだ人間の死体の断片。かろうじて回避した魚雷は、艦とすれ違いながらあざやかな航跡を残した。直前まで乗っていた駆逐艦が轟沈され深夜にあげた火柱は、目を焼いた。
戦場の逸話はとかく「自己犠牲」などと美化されがちだが、真相はそれとはほど遠い。父の記述には驚くほかない内容ばかりが残されていた。立場上、父の視点は軍事作戦を計画し遂行する側のものが中心となるが、父自身は配属されたばかりで指揮系統の末端におり、主に目にしたのは戦場での物資の欠乏や装備の貧弱さと、何よりも夥しい「死」だった。
そうした事情もあり、本書をまとめるにあたって、人の死を伝えるとはどういうことかを考えさせられた。
思い出したのは従姉妹のYのことだった。彼女が亡くなったのは、今から20年以上前の1999年である。私と同年生まれで、まだ30代前半だった。
そのときに電話をかけてきたのは父だった。
「Yちゃんが亡くなったんだ」と告げる父に、私は自分でもびっくりするほどの大きな声をあげてしまった。自分の声そのものを今でもよく憶えている。そして、電話口の父のことも記憶に残った。
その後、長い時間が経過した。忘れかけてはいたが、どこかで気にもしていた。本書を書きながらあらためて記憶が呼び覚まされ、書くことを通して少し理解が進んだように思う。
Yの死を告げる父は、私の知らない人のように思えた。それは父が、私の知らないことを多く知っていたためかもしれない。父の書いたものを読み直し、その表現を引用しながら、父がなぜ、私の知らない人のように思えたのかがわかってきた。
このことについては、本書全体の締めくくりとして「おわりに」であらためて考えてみたい。
父が生きた現実
私は英文学を専門とする研究者であり、軍の内部事情にかかわるような記述を今までに行ったことがなく、自分に十分な能力があるのか、原稿を整理しながら躊躇いと不安を感じた。しかし、僭越な言い方になるかもしれないが、ここに記したことは証言として残しておく意味があると考えた。
とくに第一部第一章の捕虜虐殺事件、第二章の父のマニラからの脱出、第三章のフランクのことは、何とか読者に伝えたいと思い、何度も書き直した(一章は内容がとりわけ重いので最後に読んでもらってもいいかもしれない)。ここに書かれた事実を少しでも気に留めてもらいたい。そして今後の判断に役立てられればと願っている。
本書にはさまざまな人物が登場するが、いずれも英雄的でもなければ、感傷に浸らせてくれるわけでもない。彼らの経験はすべてが苦いだけである。読み物としては楽しくも愉快でもないし、心地よくもない。しかし、決して無駄にはならない「苦さ」だと信じる。
第一部では3つの個別事例をそれぞれある程度独立した出来事として描いているが、続く第二部と第三部は、戦争末期から終戦、戦後とゆるやかに時系列に沿った記述になっている。
第二部では父の候補生時代から、任官して軍艦に配属され、庶務主任として艦の諸事を担うようになってからのことを追う。戦場のことなので、数日、数時間、数分単位で事が動く。空間的にも数メートル、数センチ単位となる。大きな歴史の流れとミクロな視点とを組み合わせた記述となった。
第三部で描くのは大岡昇平『レイテ戦記』をはじめとして、すでにさまざまな著述で語られてきたオルモック輸送作戦(多号作戦)のことである。9回にわたる作戦でオルモックに送りこまれた日本軍将兵は10万。うち9万人が死亡したと言われる。多くは餓死・病死によるものだった。
父の克巳が参加したのは第9次の作戦である。乗艦した旗艦夕月は直撃弾を受けて大破。同行した他の艦船のほとんども沈められ、事実上、これが日本海軍最後の大規模な船団となった。ほんの数日間の出来事だったが、永遠のことのようにも感じられる。
第四部とすでに触れた「あとがき」では、戦後のことに目を向ける。父のクラスメイトの財界での華々しい活動から見て取れるのは、経理学校閥が戦後の日本で持った影響力の大きさだった。軍事体制は形を変えて戦後の日本の各所に残ったと思われる。
本書の記述の大きな部分は、父・克巳が残したエッセイや記録、手紙、証言などに拠っている。書籍の形にまとめたのは私であり、私自身の調査に基づいた部分もあるが、記述の土台をつくっているのは、当時、克巳が生きた現実である。
克巳は88歳で亡くなったが、その短いとは言えない生涯を、1年半ほどの軍隊での経験と、とくに艦上での数ヵ月の出来事を生き直すために費やしたようにも思える。その言葉をどう伝えるかあれこれ考えながら、自身の存在の小ささを思い知らされている。
