子供でいること
寺尾紗穂のエッセイ集『天使日記』が2021年の発売から5年ぶりに重版出来となりました。唯一無二の音楽家・文筆家による言葉の到達点。巻頭のエッセイを、今回特別に配信します。
見えないものが見える高校の同級生に再会し、そのとき人生の節目でもあった自分のことを見てもらうことにした。
高校の同級生が気づいたら霊能者になっていた。そのことに気づいたのは、私がもはや子供たちを連れて実家に帰ろうかと考えていた頃のことだ。私は迷わず見てもらうことにした。人生の節目、大事な決断を下すとき、八割心は決まっているけれど、最後のお墨つきが欲しいというような時がある。思えば、夫と一緒になるときも、きちんとそういう人に見てもらえばよかったのかもしれない。でもその頃は、そういう見えないものが見える知り合いが周囲にはいなかったのだ。元夫と一緒になると書いたが、これは正式な婚姻関係になるという意味ではない。私は三人の娘をいずれも未婚で産んでいるので、婚姻関係を結んだのは下の子が一歳を過ぎた頃のことだ。そして遅すぎる入籍が果たされ、婚姻関係が成立したとき、それはもはや私にとっては牢獄のようなものになっていた。
同級生は市ヶ谷駅に近いマンションの一室に鑑定場所を設けていた。彼女曰く、最初はタロットがやたらと当たるようになり、ある日気づくと「上のほうの人たちの声」が自然と聞こえるようになったという。人には誰でも十人ほど先祖霊や天使など守護についてくれている存在がいて、見守ってくれているらしい。
「彼らの声を私はそのまま伝えるから」
と言われ、話を始めた。
「離婚をしようかと思ってるんだけど」
と言うと、彼女は視線を少し上に上げて少しして、
「はーはーはーはー」
と、さもわかったという感じで言った。
「いいでしょうね。してしまって。今伝えたら、どよめきと拍手が起こってます」
やっぱり……。
「十人中九人は賛成です。一人だけまだやり直せるんではって言ってる人がいるんですが、まあ進んでいいと思います」
なるほど。守護霊によっても考え方の違いというのはあるようだ。絶対的な正解というものもこの世にはないんだろう。
「一人ね、最近亡くなった方だと思うんだけどすごい前に出てきて言ってるんです。遅すぎたくらいだって言ってます」
二年前父方の祖父が亡くなっていた。
「普通死んで数年ですぐこうやって守護に回るというのは珍しいんです」
不思議な気がした。格段に心の交流があったという祖父でもなかった。それでも私は、一度青お梅うめのほうに祖父が入院していた頃に好物のすあまを持って訪ねたことがあった。むしろ、母が昔祖父から投げられた言葉についての話や、ふとした時に聞く父の物言いからもあまりいいイメージは持てない祖父だった。「両親を幼くして亡くしているからね」と母は何度か言うことがあった。どこかさみしさを抱えた人だった。たまに遊びにいけば大抵別室で一人でテレビを観ていた。それでも私が高校生くらいになり昭和史に興味を持つと、少し話がかみ合ってくる感じがあったが、それとてたいした会話はしていない。私もまた大勢の前で誰かと会話をし、それを他の人に聞かれることは得意ではなかったからだ。祖父は愛情表現も苦手な人だった。祖父のいる病院の個室に入って、三十分くらいだろうか、ぽつぽつと会話をした。ラジオが欲しいと祖父は言った。送ります、と答えた。なんとなく思い出せるのはそんな淡いことだけなのだけれど、帰りがけナースセンターの看護師さんから言われた。
「寺尾さんね、朝から楽しみにしてたんですよ」
言葉に詰まって、私は家に帰ってから、誰に見せることもない、今も誰にも見せたことのない祖父についての文章を書いた。時が過ぎて、人が変わっていくことについて感慨をもって書いた。私がほんの少し祖父を愛することができた瞬間だった。九人を差し置いて前に出てきた守護霊がその祖父だとするならば、祖父はあの私のひそやかな文章を、そこにこめられた気持ちを、あちら側に行ってから理解したのだろうと思った。死んだらそういうこともできるだろうと私は信じている。
「安心して別れなさいと言ってます。そのあとのことはしっかり道筋をつけるから。お金のことも。子供たちのことは、真ん中の子だけちょっと心配だけど注意しておくから大丈夫だと言っています」
二〇〇八年から二〇一一年で三人を産んだので、次女は甘えられた時期が少なかったかもしれない。コンビニで三女のトイレにつき合っている間などに、アイスを万引きしていて返しに行ったり、コンビニの店長から電話がかかってきて一緒に謝りに行き、それが何度目かの万引きだったために家に帰ってから私が泣きながら諭したこともあった。それがきいたのか、それ以後万引きはしなくなってほっとした。三人のなかではいちばんおさるさんみたいで大変な子だったけれど、小学生になった今ではいちばん社交性があり、現実的で、私が留守にするときのお願いなども彼女にすることが多い。
経済的にも、家を出て実家に戻り、二年後に実家の近くに借家を借りて住み始めると、支出は増えたわけだが、面白いもので収入も増えた。離婚調停に時間をかけて公正証書も作っただけあって、前夫も養育費をきちんと入れてくれるので、生活が安定した。離婚してよかったなあとしみじみと思った。子供たちも、月二回くらいは前夫に会って、ケーキ食べ放題やら、私は買わないペットボトルのジュースやらマックやら買ってもらえるので、楽しそうだ。こうした諸々が、祖父のおかげなのだとしたらすごい話だが、ともかく私にとって離婚は必要なことだった。
私はあのとき、同級生にもう少し聞きたかったことがあったので、祖父に質問してもらった。それは私のこの世での使命についてだった。それは歌なのか、書くことなのか、その両方なのか、あるいは表現と言われるのだろうか。
「表現ではない、と言っています」
これは私にとってはなかなかシビアな答えだった。ずっと取り組んでいるものが使命でないとしたら私は何をするために生まれてきたのだろうか。
「子供でいること、だそうです」
子供? それはいったい何をどうしたら? このときはその答えの意味をほとんど理解できなかった。王様は裸だと叫んだあの子供のように? いまいちイメージしきれなかった。けれども、今ではとてもよくわかる。子供とは、子供でいるとは、その後私はいろんなタイミングで理解していくことになった。この答えを教えてくれた同級生と祖父に感謝している。
最近、小さい頃大好きだった『子猫物語』を見直した。驚いたのは映画のあちこちに谷川俊太郎が書き下ろした言葉がちりばめられていることだった。
子どもは おそれる
子どもは うたがう
子どもは よろこぶ
子どもは たたかう
大人よりも烈しく
大人は誰でも自分の中に子供を隠している。自分の中の子供とどれくらいの距離をもってつき合うか、というのは実は大事な問題だ。私のように音楽を生業にするような人は割合その子供を大事に守っていられるのではないかと思う。自分の予定やこれからやっていきたいこと、人間関係をある程度自分で決めていけるというのが大きいだろう。けれども、会社に勤め、厳しい上下関係や逃れられない人間関係のなかでいつのまにか、子供の自分を抹殺したり、置いてきぼりにしたり、無視したり、そうせざるを得なかったという人もいるのではないかと思う。多分彼らはこう自分に言い聞かせてきたんじゃないだろうか。
「だってもう大人だ」
「大人ってこういうものだ」
ありえないことだけど、もし私がこういう精神状態で生きていたら、離婚することもできなかったと思う。だから、ギリギリのところで離婚しようかと迷っている人にはこう伝えたい。
あなたの中の子供を大事にして。
離婚は終わりではなくただの始まりにすぎないのだから。
書誌情報

『天使日記』
著=寺尾紗穂
価格:2700円+税
仕様:四六判上製/320ページ
下記リンクから購入いただけます!
Credit:
文=寺尾紗穂

