10年前は「すりガラス越しのBトップ」で攻防…大原かおりが22年ぶり写真集で見せた本気の“露出”
22年ぶりの写真集
「50歳で写真集を出すこと自体、危険です。見た目も、匂いも危険そうだし(笑)」
そう言って、大原かおりは屈託なく笑った。
デビュー30周年。22年ぶりとなる写真集『キケンなカオリ♡ 大原かおり写真集』(双葉社)を引っ提げて現れた彼女から伝わってきたのは、50歳の余裕ではない。もう一度、芸能界のど真ん中で勝負したい。そんな「熱」だった。
「危険じゃないと思っているほうが、よっぽど危険ですよ。でも、私みたいにまだ這い上がろうとしている50歳って、たしかに危険ですよね(笑)」
冗談を交えながら笑う。その自然なテンポに「30年間テレビの世界で生きてきた人」らしい空気が漂っていた。
芸能界入りは20歳で、六本木の街角で受けたスカウトがきっかけ。事務所に入ってすぐに舞い込んだのが、ある生放送番組でのダイエット企画のオーディションだった。
「事務所に入った当初は、社長から『痩せろ、ジムに行け、走ってこい』と厳しく言われていたんです。でも、いざ番組のオーディションに行ったら、スタッフさんに『細すぎて受からない』と言われて。そしたら社長が手のひらを返して『食え! 早く食え、馬鹿野郎!』って(笑)。事務所がいただいたお中元なんかを必死に食べて、無理やり二重顎になるまで太って、オーディションに受かりました」
そうしてつかみ取った初めてのテレビ出演だが、ここからがまたさらに過酷だったという。
「毎週体重測定があるんですけど、前の週より100gでも増えたらイエローカード。3枚たまったらレッドカードでクビなんですよ。だから朝は寝不足でもサウナスーツを着て走ったり、実家のお風呂の蓋を半分閉めて汗をかいたり。マジでボクサーみたいに体重測定の直前までトイレで唾を吐いてました(笑)。
女の子20人で戦う企画だったんですけど、結果的に私は7kgくらい痩せられて、そこから水着のグラビアや深夜番組のお仕事をたくさんいただけるようになりました」
「月収500万」の時代もあった
その後、彼女はあっという間に売れっ子になった。『ギルガメッシュないと』『出動!ミニスカポリス』(共にテレビ東京系)など人気深夜番組へ次々と出演。さらにアース製薬『ゴキプルン』のCMで、プルン、プルンと胸を揺らすOLを演じ、お茶の間にもその名を広く知られるようになる。
深夜番組にCM、グラビア撮影。仕事は途切れることなく舞い込み、気づけばスケジュールは隙間なく埋まっていた。
「当時は“グラビア撮影といえばサイパン”という時代。月4回、サイパンへ行ったこともありました。レギュラー番組も5本あって、終わったらタクシーで八王子の実家まで帰らせてもらっていましたね。
仕事終わりには先輩芸人さんたちと中目黒や西麻布でご飯を食べて、寝るのは新幹線や飛行機の中。おカネを使う暇もないくらい毎日仕事をして、それでも全然苦じゃなかった。バラエティで笑いを取ることが本当に好きだったんです」
当時の月収は500万円を突破。バブルの熱気がまだ残る芸能界を、一気に駆け上がっていった。だが、その勢いは長くは続かなかった。25歳を過ぎた頃から、テレビ出演のオファーが少しずつ減り始めた。
「女優のお仕事もいただいたんですけど、セリフが覚えられないし、もう下手くそすぎて(笑)。テレビの仕事が減って、もがいていた頃に関係者から『外で遊んでばかりいるような人にはオファーしない』と言われたこともありました。私は人が好きだから、時間があったら誰かとご飯に行っていたんですけど、チャラチャラしているように見えちゃったんでしょうね」
芸能一本では生きていけない。そう感じた彼女が、文字どおり一から築き上げたのが、今年で21年目を迎える犬服ブランド『Otty(オッティ)』だ。
「運営はほぼ1人。服の指示書作りからHP用の写真の撮影、商品の発送、請求書の発行まで全部やっています。大阪のイベントに出店するときも、ハイエースのロングに荷物をパツパツに積んで、手伝ってくれる子と女2人で交代で運転しながら自分たちで搬入しているんですよ」
ブランドは軌道に乗り、実業家としての基盤も築いた。それでも胸の奥で、「バラエティで笑いを取りたい」との思いだけは消えなかったという。
「事務所の倒産」もバズのネタに
そんな中、’17年、占い師の助言をきっかけに芸名を「大原がおり」へ変更するという行動に出る。
「『売れない理由は名前にあります』と、“か”を5画にすると運気が上がると言われて事務所に内緒で改名しました。そのことを『有吉反省会』(日本テレビ系)で話したら、『最高級にアホすぎて大好き』ってお褒めの言葉もいただけました」
話題にはなったものの、自分の中ではどこか腑に落ちないものが残っていたという。転機は、’24年に突然訪れる。28年間所属した事務所が、前触れもなく倒産したのだ。
後輩たちが次々と移籍先を決める中、大原は驚きの行動に出る。写真と一緒にSNSに〈事務所が倒産してしまい、スカウトされに来たんですけど、誰にも声をかけられません〉という投稿をしたのだ。これがネットニュースにもなり大バズりする。「どんな状況でも、最後は笑いに変えたかったんです」と、このときのことについて大原は語る。
翌’25年、もう一つの転機が訪れる。『じっくり聞いタロウ』(テレビ東京系)に出演した際、MCの名倉潤から思いがけない一言をかけられた。
「『“がおり”で何にも爪痕残してないし、笑いしか取ってないから、もう“かおり”に戻しや』って。その場で『戻します!』って宣言しました(笑)」
「結婚願望はずっとあるんですよ」
8年間の遠回りを経て、本来の「大原かおり」へ。再出発の狼煙となったのが、22年ぶりの写真集『キケンなカオリ♡』だった。そこには、長年胸につかえていた苦い記憶との決別もある。
「10年くらい前にも写真集のお話をいただいたことがあったんですが、かなりの露出を求められたんです。『すりガラス越しにトップが写るくらいならできる?』と言われたので、『すりガラス3枚くらいなら……』と言ったら『いや、1枚で』みたいなやり取りがあったんです。
自分では“すりガラス事件”と呼んでいるんですけど(笑)。でも、今回は、誰かに言われたからじゃなく、自分で決めて際どい撮影にも挑戦しています」
仕事への熱は変わらない。その一方で、プライベートについて尋ねると、少し照れたような笑顔を見せた。
「犬服のブランドをやっているのに、犬を飼ってないんです。『結婚したら飼おう』と思ってたら全然そうならなくて。ディズニーシーも『大好きな人ができたら行こう』と思ってたら、一度も行かないまま25周年を迎えちゃいました(笑)。結婚願望はずっとあるんですよ」
自嘲気味に笑ったかと思えば、次の瞬間には、またバラエティの仕事の話へ戻る。その切り替えの早さは、長年バラエティで鍛えられてきたものなのだろう。
「私の右脳も左脳も、もう動きたくて仕方ないんです。サウナ好きの人が『5年間サウナに入っちゃダメ』って言われたらもっと行きたくなるのと同じで、なまった脳を使いたい。私はガチガチのプロのお笑い芸人さんに本気でボケて、本気で突っ込まれて、『なんでやねん!』って言い合えるようなヒリヒリした現場が好きなんです」
50歳になっても夢を諦めず、芸能の最前線を目指して走り続ける──。そんな“キケンな50歳”だからこそ、彼女の挑戦は終わらないのだ。
取材・文:松本大
