「ネタにするな」本田圭佑の“移民投稿”に批判殺到。社会問題に首を突っ込むたびに火に油を注いできたワケ
◆W杯と移民問題に関する投稿に相次ぐ批判
8月1日のXでの投稿に批判の声が集まっているのです。モロッコ、スペイン、ポルトガルの共同開催による2030年のワールドカップについて、モロッコから、北アフリカにあるスペイン領の飛び地セウタへ泳いで渡ろうとする移民の映像を引用し、「2030年のW杯はこうやって移動するん?」と揶揄したと受け取られても仕方ない表現をしたからです。
これを受けて、本田氏は8月3日にXで改めて投稿。<アンチの方々(数千人くらい)に向けて。別に茶化してない スペインは国境管理を強化やるべき 日本も他人事じゃない 難民支援はまた別の話>と、日本語に怪しい部分はありつつも、決してモロッコからの移民を茶化したわけではないと釈明しました。
しかしながら、いまのところ本田氏への反感は高まる一方です。
◆釈明も火に油……過去にもあった危うい発言
先日のワールドカップの解説で好評を博した矢先、思わぬところでつまずいてしまった格好ですが、これまでにもその発言には危ういところが多々ありました。
まず、日中戦争での南京大虐殺に疑問を呈した一件です。昨年の8月8日には、河村たかし氏と故・石原慎太郎氏による過去の対談動画を引用。石原氏が「40万人殺したという証拠を出してもらいたい」などと主張する内容について、<僕もそう信じてる>とXにポストしたのです。
しかし、これにも多くの批判と事実誤認との指摘が寄せられ、後に本田氏は見解を修正。<石原慎太郎さんのことが好きなこともあり、歴史のことは知ってたつもりだったものの、希望的コメントをしました。ただ一次資料などを詳しく調べたら、事実はほぼ歴史通りであると思いました。この点、僕の間違いでした。(改めて勉強するキッカケを頂き、ありがとうございました!)>と、発言を撤回したのです。
◆過去の撤回劇に見え隠れする独自のスタンス
この本田氏の釈明からは、彼が物事の筋道を立てるより、反射的に反応してしまうタイプであることがうかがえます。こうした場面で「キッカケ」とカタカナで表記するセンスからして、あまり深刻な問題に首を突っ込まないほうがいいタイプであることがプンプン漂ってくるからです。
ただし、ところどころに、良く言えば要領の良さ、悪く言えばずる賢さを感じるところもあります。つまり、石原慎太郎が好きだから事実への認識を示したのではなく「そうであってほしいという支持をしたのだ」と、逃げを打っているところです。このあたりは、上手いといえば上手いのですが、あまりよい印象は持てません。
◆国際問題への言及で問われる「発信のあり方」
そして、今年初めには、アメリカによるベネズエラへの攻撃、そしてマドゥロ前大統領を拘束した軍事作戦について言及。サッカー用語を交えて「世界の警察が再始動したって感じ。これで大半の国の支配者らとの交渉がやりやすくなる。パワープレーの使い方のお手本」と投稿し、これも極めて不適切だとの指摘を受けていました。
極めて低い解像度で国際政治を語ることは、丸腰で戦場に赴くようなものですが、本田氏にはその自覚すらありません。本人は高い視座で俯瞰して物事が見えているつもりかもしれませんが、「国の支配者」という表現が不自然だと感じていなさそうなあたりが、いかにもパワー系のお手本といったところです。
そもそも、こうした表現には「無数の人命が犠牲になっている」という実感が著しく欠けています。もちろん、多くの日本人にとってはリアリティをもって理解できる事柄ではありませんが、それでも見知らぬ他者を思いやるわずかばかりの心と知性があれば、軍事行為をサッカーの戦術にたとえて、訳知り顔で語ることがどれほど恥ずかしいことかは考えなくてもわかることです。
こうして、幾度となく政治問題を語るたびに底の浅さを見せてきたにも関わらず、今回、同様の過ちを犯してしまった本田圭佑氏。
ピッチ上では数々の奇跡を起こしてきた希代のプレーヤーも、複雑な国際問題というフィールドでは、まだまだ学ぶべきことが多いようです。影響力が大きい人物だけに、SNSでの軽率な発信が自らの首を絞めることにならないか、慎重さが必要でしょう。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
