(※写真はイメージです/THE GOLD 60編集部)

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「住宅ローンさえ払い終えれば、老後の住まいは安心」――多くの人のライフプランに根付いているイメージでしょう。苦労して住宅ローンを完済し、老後を迎えたAさん夫婦も、そうでした。ところが、ある思わぬ出来事をきっかけに、二人は長年守ってきた「終の棲家」を手放し、家賃28,000円の公営住宅へ移ることを決めます。いったいなにがあったのか。本記事ではFPオフィスツクル代表・内田英子氏が、Aさんの事例とともに、老後の住まいをめぐる、見過ごされがちな落とし穴について解説します。

お米がなくなっている…」自宅なのに、安心して暮らせない

「まさか、この家を出ることになるとは思いませんでした」

ともに74歳のAさん夫妻は、40年前に購入した一戸建てで暮らしていました。年金収入は2人合わせて月22万円ほど。「家を持って一人前」という空気が強かった時代に、当たり前のこととして購入した庭付きのマイホーム。金利が高く、返済に苦労した時期もありましたが、繰上げ返済を重ね、当初30年で組んだ住宅ローンを無事に完済しました。長い年月をかけて守ってきた家は、二人にとって人生の勲章のような存在でした。贅沢な暮らしはできませんが、住み慣れた我が家で穏やかな日々を過ごしていたのです。

ところが、60歳を過ぎたころ、Aさんはある病気と診断されます。病状が進行するにつれて介護が必要となり、夜間のサポートも含め、複数の介護サービスを受けることに。介護サービスから受けられるサポートは、Aさんを日々支える妻にとっても、とても貴重なものでした。

そんなある日、家にストックしていたお米がなくなる事件が起きました。最初は、「どこかへ移したのかもしれない」「私たちの思い違いではないか」と考えました。しかし、その後もペットボトルの飲み物や、新品の日用品がなくなることが続きます。

あとから、訪問介護サービスを受けたあとに決まってなくなっていることに気づきました。出入りしていたのは一人ではないため、誰が持ち去ったのかは、はっきり確認できたわけではありません。

自宅は、本来もっとも安心できる場所です。自宅に人を入れるたびに不安を感じるようになったAさん夫婦は、家族相談し、ケアマネジャーへ詳しい事情は伝えないまま、担当者を替えられないか尋ねました。

しかし、地域では介護の担い手が不足しており、担当者を替えると、これまでどおりのサービスが難しくなる可能性があるとの回答が。

「あの人には来てほしくない。でも、断れば必要な介護を受けられない」。あまりにもつらい現実に、Aさん夫婦は涙を流しました。

「子どもたちに迷惑をかけないように、二人で暮らしたい」。そう考えてきた夫妻でしたが、安心して介護を受けられない以上、この先の見通しが急に真っ暗になりました。二人を心配して駆けつけてくれた長男夫妻には、ケアマネジャーに本当のことを話してみたらといわれたものの、状況が変わるとは思えませんでした。もし恨まれてあらぬ噂でも立てられたら、と考えると恐ろしくてたまりません。Aさん夫婦は、子どもたちと話しあったうえで自宅を売却し、長男家族が住む家へ身を寄せることになりました。

持ち家でも、その場所で暮らし続けられるとは限らない

厚生労働省の資料によると、介護サービス職業従事者の2025年度の有効求人倍率(パート含む常用)は3.84倍。直近4年間でも同水準で推移しています。全職業では安定して1.1倍前後で推移している状況と照らし合わせると、介護分野では人材を確保しにくい状況が続いていることがうかがえます。

利用者が担当者や事業者を替えたいと思っても、代わりの人材が見つからなければ、サービスそのものを受けられなくなることがあります。必要な介護サービスが受けられないと、日常生活が回せなくなってしまうこともあり、晩年の暮らしに与える影響は小さくないでしょう。

また、総務省の「令和5年住宅・土地統計調査」によると、2023年の空き家数は900万2,000戸、空き家率は13.8%と、いずれも過去最高。空き家が増加している背景には、地域の人口減少があります。人口が減少する地域では、住宅の買い手が見つかりにくくなるだけでなく、介護、医療、交通、買い物など、暮らしを支えるサービスが縮小する可能性も見過ごせません。

もちろん、持ち家にはよさがあります。住み慣れた場所で暮らせる安心があること。ローンを完済すれば、修繕費や維持費の負担は続くものの、月々の住居費は賃貸よりも抑えやすくなることです。介護のために自宅を改修することも可能でしょう。

一方、周囲の環境が変わり続けても、家を動かすことはできません。時の流れのなかで、購入した当時は便利だった地域でも、30年、40年後まで同じ環境が続くとは限らないのです。

Aさん夫妻の誤算は、「持ち家なら、暮らしは一生安泰」と考えていたことにありました。

長男家族との同居が成り立たなかった理由

Aさん夫妻を心配し、受け入れてくれた長男家族。しかし、仕事や子育てのある家族と暮らすなかで、二人に割り当てられたのは約6畳の子ども部屋として使う予定の部屋。いずれは孫が必要としますし、忙しい二人に浴槽やトイレなど、介護のためのリフォームをお願いするわけにもいきません。厚意をありがたく思いながらも、二人には「いつまでも世話になるのは申し訳ない」という気持ちが募りました。

公営住宅での新しい暮らし

そこで別の住まいを探したところ、公営住宅の要件を満たしていることがわかり、入居することとなりました。そこでは、希望の介護サービスも受けられます。

「まさか、自分たちが公営住宅に住むとは思いませんでした」

夫妻はそう笑いながらも、「立地がいいし、介護サービスの担当者についても相談しやすい。なにかあれば相談できるので、充分です」と話します。

2度の引っ越しを機に、長年溜め込んでいた持ち物もたくさん整理でき、身軽になりました。引っ越し作業を進めていく過程で、子どもたちに生活状況を詳しく知ってもらえたことは、予想外の収穫だったそうです。

Bさんは振り返ります。

引っ越したいと思っても、自分たちだけではどうすることもできなかったと思います」

今回、夫妻が住まいを変えられたのは、家族や周囲の力を借りられたからです。「子どもたちに迷惑をかけたくない」と考えるのは、親として自然な思いでしょう。

しかし、安心できる介護サービスがないまま自宅で頑張り続け、Aさんの妻の心身にも限界が訪れていたら、どうなっていたでしょうか。ある日突然、生活が立ち行かなくなれば、子どもたちは仕事や子育てを続けながら、介護、住み替え、家財整理、施設探しなどを一度に引き受けることになったかもしれません。

「マイホームでこのまま暮らす」ことだけを基準にしない

老後の住まいを考える際は、持ち家賃貸かといった「かたち」から入るのではなく、暮らし全体が無理なく続くかを見ることが大切です。

必要な介護や医療を選べるか。車を運転できなくなっても生活できるか。夫婦のどちらかが一人になっても家を維持できるか。住み替えや家財整理を自分たちだけで進められるか。難しい場合、誰に相談ができるか。住まいは、介護や家族関係、家計、地域のサービス、将来の施設入居まで含めて考える必要があります。

家は、財産のなかで最も大きく、最も目に入りやすい存在です。だからこそ私たちは、老後の安心を考えるとき、つい「家でこのまま暮らす」という家を維持する視点に引っ張られてしまいがちです。しかし、今回の危機でAさん夫妻の暮らしを支えたのは、持ち家ではありませんでした。困ったときに力を貸してくれる家族や事情を相談できる相手、周囲を頼り、これからのために自分たちも行動しようという自身の決断。暮らしを本当に支えているのは、こうした埋もれがちな財産のほうなのかもしれません。

家を手放すことは、これまでの人生を否定するものではありません。いわば、暮らしの変化を取り込んだ住み方のアップデートです。老後の安心とは、家を持ち続けることだけではなく、暮らしの変化に応じて、必要な助けや住まいを選び直せることなのではないでしょうか。

〈参考〉

一般職業紹介状況(職業安定業務統計)第21表

https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450222&tstat=000001020327&cycle=1&tclass1=000001244436&tclass2val=0

総務省 令和5年住宅・土地統計調査 住宅及び世帯に関する基本集計(確報集計)結果

https://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2023/pdf/kihon_gaiyou.pdf

内田 英子
FPオフィスツクル代表