(岩波新書)の著者で成蹊大学教授の伊藤昌亮氏(撮影:内海裕之)


 2026年衆院選での高市自民の圧勝、2025年参院選での参政党の躍進、2024年東京都知事選で注目を集めた「石丸現象」──。

 成蹊大学文学部現代社会学科教授の伊藤昌亮氏は、これらの政治現象の背景に、現在の日本社会に広がる「曖昧な弱者」の存在があるとみる。リベラルが歴史的に支援してきた「明白な弱者」の枠組みには収まらない人々に目を向けることが、現代社会の分断や政治の変化を読み解く手がかりになるという。

『曖昧な弱者の時代』(岩波新書)の著者である伊藤氏に、多くの人が「相対的剥奪感」を抱きやすい社会の構造を聞いた。政治はこうした人々の声をどう受け止めるべきなのか。そして、私たちはこの社会をどう生きていけばよいのか。

(聞き手:砂田明子/フリーランスライター、編集者)

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「曖昧な弱者」論はどう受け取られたか、批判と賛同の論点

──伊藤さんは、リベラルが従来、支援の対象としてきた「明白な弱者」の枠組みには収まらない「曖昧な弱者」が増えていると分析しています。著書『曖昧な弱者の時代』では、「曖昧な弱者」による「明白な弱者」への「弱者叩き」が、社会の軋轢や分断を深めているとも指摘しています。リベラルは「曖昧な弱者」にも目を向けるべきと主張するこの本に対して、批判も寄せられているそうですね。

伊藤昌亮氏(以下敬称略)そうですね。「明白な弱者」への支援、例えば差別解消が十分にできているわけではないのに、「曖昧な弱者」を理解しようとすることに意味はあるのか、そういうことをすると、「明白な弱者」はますます守られなくなってしまうのではないか、というものです。

 そうした懸念はよく分かりますし、私自身、「明白な弱者」への支援を最優先すべきだと考えています。しかし「明白な弱者」を守るためには、「曖昧な弱者」による「弱者叩き」を止めなければならず、そのためには彼らを理解し、なぜ彼らがそうしてしまうのかを突き止めなければなりません。つまり「明白な弱者」への支援が十分にできていないからこそ、その推進のためにも、一方で「曖昧な弱者」を理解する必要があるのです。

──とはいえ話題になっているということは、賛同も多いのではないでしょうか?

伊藤 はい。私は「曖昧な弱者」という概念の枠組みを、すでに2024年1月30日、日本経済新聞の「経済教室」に書いています。そのときから反響が大きくて、驚いたのは新聞掲載の翌日に立憲民主党(当時)の長妻昭氏から電話がかかってきました。以来、政務調査会の勉強会に呼ばれて、新しい包摂の概念を作ろうという議論が進んだのですが、残念ながら、その後の政界再編や衆院選を経て、当時議論に参加していた方々の状況も変わってしまいました。

 あるいは、部落解放同盟の人権講座に呼ばれて、「曖昧な弱者」についてお話ししたこともあり、それ以来、いくつかの都道府県等の人権講座でお話ししています。今起きている差別の構造に関心を持たれている方が多いのですが、もともと部落解放運動には、「差別する者」と「差別される者」が手を結び、「差別させている構造」と闘うという考え方があり、私自身、そうした点に共鳴したところからこの研究を始めたという経緯もあります。

 もちろん私は、リベラル批判どころか、リベラルな人たちと一緒に考えたいという気持ちでこの本を書いたので、さまざまな反響をいただけるのを嬉しく思っています。

働くより投資で稼ぐ方が得になる社会は、本当に健全なのか

──ここ30年の日本社会の歩みの中で、既存の社会階層や支援制度では捉えにくい「曖昧な弱者」は、主に「もらえる側」ではなく「取られる側」、つまり負担者としての役割を担わされてきました。しかし、経済的再分配などを通じて彼らを受益層に位置づけ直す必要性を説かれています。これは「曖昧な弱者」の経済的側面ですが、伊藤さんはそれだけではなく、「承認」の必要性も説かれています。経済の問題だけではない、ということですね。

伊藤 そうですね。弱者問題には、所得の観点と、差別をなくそうという文化的側面があるわけですが、「曖昧な弱者」はどちらからも支援を受けられない状況です。歴史的に差別や制度上の不利益を受けることがある女性、障害者、外国人など、従来のアイデンティティ・ポリティクスの対象にもならないからです。

 というのは、「曖昧な弱者」とは、所得の問題に加えて、その人の置かれている立場の問題があるからです。就職氷河期で正規雇用につけなかった人もいれば、経済的理由から結婚できない独身者、あるいはさまざまな理由で社会関係から排除されがちな人もいます。

 今の日本の社会は、こうした中間層やマジョリティの人たちに、損をしているという感覚を持たせやすいのだと思います。相対的剥奪感を多くの人が持っているように感じます。

──そうなると、国や社会のことよりも、自分だけが生き延びればいいという発想になっていく。そうした感覚が、自己責任論やネオリベラリズム、あるいは資産形成を重視する考え方への支持につながっているのでしょうか? 

伊藤 例えば今は、真面目に働いて成長するよりも、会社では適当にやって投資で稼ごうという人が増えています。「FIRE(Financial Independence, Retire Early=経済的自立と早期リタイア)」という言葉も広く使われるようになりました。

 でもこれはおかしなことで、本来、投資は「する」のではなく「される」のが嬉しいことですよね。投資される人間になることが大事なはずなのに、皆が投資家になってしまっている。労働よりも投資で生きていくのが常識になる社会を私は異常だと思っていますが、たぶん、投資すると偉くなった気持ちになるのでしょう。資本主義の中でいちばん偉いのは投資家なので。

 ただこれは個人というより、国の問題も大きいと思います。老後はNISAでなんとかしてくださいと、国が推奨しているわけですからね。一方で、投資する時間や才覚、余裕もない人たちはいて、中間層も二分化しています。

労組にも市民団体にも届かない声を、政治はどう拾うべきか

──例えば、参政党はこうした金融資本主義を批判しています。この点を含め、「曖昧な弱者」への目配りができているのが参政党だということを、本の中で書かれています。

伊藤 参政党は農業従事者や職人など、実業を重んじる政策を掲げていますし、中間層を守る政策を掲げています。具体的には小規模事業者やフリーランス、非正規雇用者、アルバイトやパートで働く人です。

 それから専業主婦・主夫を評価し、支援する政策を掲げている。今の社会では、女性の生き方の多様化が進む一方、専業主婦という選択が社会的に評価されにくいと感じている人もいます。そうした承認を得にくい人たちに対して政策を打っている。そういう点を見ると、「曖昧な弱者」対策をいちばんうまくやっているのは、参政党だと思います。

 ただ一方で、厳しい外国人政策をとるなど、「明白な弱者」を排斥する方向に向かうのは大きな問題ですし、彼らの掲げる経済政策は持続可能ではないと私は考えます。しかしそうした点をあまり気にせず、参政党の政策を支持する人たちが出てきているということです。

 こうした政策がどうやって出てきたかを見ていくと、彼らはタウンミーティングなどの独自のネットワークをもっていて、いろんな人の話を聞いてきているのです。

参政党の神谷宗幣代表(写真:共同通信社)


──「曖昧な弱者」の声を拾い上げていくことが大事だと。

伊藤 「曖昧な弱者」というのは社会階層では定義しにくい人たちです。だからこそ丁寧に話を聞いて、誰が何に困っているのか、何が問題なのかを特定していく作業が必要です。声を聞いて承認していくというのはすなわち、ケアの考え方です。左派がやってきたケアを「曖昧な弱者」向けに、参政党はやってきていると思います。

──なぜリベラルは、曖昧な弱者の声を聞くことができないのでしょうか?

伊藤 左派は労組(労働組合)、それから市民団体を中心にそうしたことをやってきたわけですが、労組は正規雇用が中心、しかも大企業や公務員が中心で、市民団体は政治的な意識の高い人が集まるようになっている。

 そこに入らない人たちこそが「曖昧な弱者」なので、彼らの声を聞くネットワークがないというのが実態です。ただ、危機感を持っているリベラルはたくさんいて、彼らは新しいネットワークやコミュニティをどうつくっていくかを考えています。

──新しいネットワークやコミュニティには、どういう形があり得ますか。

伊藤 私もそれをずっと考えています。いわゆるサードプレイスをどうつくっていくか、ぜひいろんな方にアイデアをいただきたいです。

 例えば90年代には「だめ連」があり、普通の生活に馴染みにくい「だめな人」が集まっていました。当時も同じような問題意識があったわけですが、だんだんと優秀な集団になっていったんですね。そこからこぼれ落ちた人たちが集っていったのが「2ちゃんねる」です。初期にできた板の一つが「無職・だめ」で、既存の社会に居場所を見出しにくい人が匿名掲示板に集まるようになると同時に、リアルな社会では特定しづらくなっていきました。

 ですから私が本で書いたのは、「曖昧な弱者」という問題の「発見」までです。問題の「解決」のためには、まずは今苦しんでいる「曖昧な弱者」との接点を作り、ていねいに話を聞いていく。その上で、再分配政策の見直しなどの経済対策と、それから新しい承認政策が必要になると考えています。

『曖昧な弱者』について詳しくはこちら

伊藤昌亮(いとう まさあき)
1961年生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。日本IBM株式会社、ソフトバンク株式会社勤務、愛知淑徳大学現代社会学部・メディアプロデュース学部准教授、ドイツ・エアランゲン大学日本学講座客員研究員などを経て現在、成蹊大学文学部現代社会学科教授。著書に『炎上社会を考える』(中公新書ラクレ)、『ネット右派の歴史社会学』(青弓社)、『デモのメディア論』(筑摩書房)、『フラッシュモブズ』(NTT出版)など


(伊藤昌亮著、岩波新書)


筆者:砂田 明子,伊藤 昌亮