中国企業の圧倒的な低価格、資本力に押され、多くの中小企業が危機に瀕している。このまま「日本の職人たち」は消えて行ってしまうのか。ジャーナリストの座安あきのさんによる連載「巨人に挑む商人たち」。第6回は「東京・江戸川区の老舗ガラス工場『田島硝子』のストイックな生存戦略」――。
撮影=プレジデントオンライン編集部

■鳴りやまないクレーム電話の原因は「中国のパクり製品」

日本のモノづくりは、このまま大量生産の中国産に負けて終わるのか。

大量生産時代にもたらされた安価な海外産製品の流入と、それによる価格競争の激化で、数多の町工場と職人たちが消えていった――。

かつて東京都内に50軒以上あった吹きガラス工場も例外ではない。この40年で3軒にまで激減し、実に9割が消え去った。日本の手作りガラス産業は今や、存続が危ぶまれる瀬戸際に立たされている。

そんな厳しい現実の中で、生き残りを懸けて生み出した虎の子の技術すらも、無遠慮に奪っていく存在がある。

「お前のところがしっかりやらないから、騙されたじゃないか」――。

今から4年前の2022年2月23日、「富士山の日」。東京・江戸川区の老舗ガラス工場「田島硝子」は、朝から鳴り止まない電話の対応に追われていた。

同社の大ヒット商品「富士山グラス」の偽物が、「田島硝子が倒産したため在庫一斉セールを行う」という悪質な広告とともに、中国業者によってSNSで大量販売されたのだ。にも入っていないような粗悪品を掴まされた消費者からの怒りのクレームは、1日に200件にも上った。

この事態を受け、あるテレビ局がその中国の工場を突撃取材していた。画面には、「これは中国の正規品です」と悪びれもせず語る業者の姿が映し出されたという。

■偽物を売られても「誇らしい」

ただでさえ苦しい産業に追い打ちをかけるような、あまりにも理不尽な仕打ち。誰もが激怒し、中国業者を訴えるべきだと憤った。だが、田島硝子3代目社長・田嶌大輔氏(51)の口から出たのは、思いもよらない言葉だった。

「なんというか、正直、誇らしいような気持ちもありましたね」

自社をかたる偽物を売られて、なぜ「誇らしい」のか。

「普通の製品なら、大体半年くらいで模倣品が出てきます。でも、富士山グラスは発売から4〜5年かかりましたから。それだけ作るのが難しかったんだろうなと」

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当時の様子を語る田嶌社長。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

田嶌社長が模倣品に対して目くじらを立てずにいられるのは、単なる諦めからではない。外見の意匠や金型を盗み取ることはできても、人間が培ってきた「暗黙知」の技術と、それを世代を超えて確実に繋いでいく「組織の継承術」だけは、決して簡単に奪えるものではないという矜持があるからだろう。

「怒りに労力を割くくらいなら、次の新しいものを作ったほうがいい」

そう淡々と語る田嶌社長が見据えているのは、「大量生産できる技術」の確実な継承だ。大ヒットした自社ブランド商品を持ちながら、あえて生産の約7割を他社からの「下請け」によって圧倒的な「量」をこなし、技術の「質」の維持と継承を目指す。東京のど真ん中で1500度の炎と格闘する、田島硝子のこだわりを超えたストイックな生存戦略を取材した。

■町工場の名を世に広めた「富士山グラス」

田島硝子は1956年、田嶌社長の祖父がガラス工場の番頭を経て独立し、工場を借りて創業した。半世紀以上の歴史を持つが、実は東京に現存するガラス工場の中では最も若い。

現在はグラス製品のOEM(相手先ブランド製造)を主軸に、国や東京都指定の伝統工芸品「江戸硝子」や「江戸切子」の自社製品の製造も手がける、売上高約9億円、従業員50人の町工場だ。

その田島硝子の名を世に知らしめたのが、2015年に発売された「富士山グラス」だ。開発のきっかけは2013年、富士山が世界遺産に登録された際にあるホテルから受けた依頼だった。外国人客にもひと目で使い方がわかるよう、オーソドックスなロックグラスの底に富士山を配置するというデザインが生まれた。

画像提供=田島硝子
田島硝子の「富士山グラス」。 - 画像提供=田島硝子

注ぐ飲み物によって山肌の表情は千変万化し、ウィスキーなら夕日に染まる琥珀色の富士、カンパリなら見事な赤富士へと変化する。日々の晩酌に絶景をもたらしてくれるこのグラスは、観光庁長官賞を受賞し、大ヒット商品となった。

東京日本橋にある創業123年の総合卸売企業「エトワール海渡」は、発売当初から富士山グラスを仕入れて国内外の小売店向けに販売してきた企業の一つだ。観光土産市場に強みを持つエトワールの販路を通じて11年間で累計約2万個を売り、グラスウェアとしては稀有なロングラン販売を記録している。

最近ではインバウンド需要の高まりを受け、定番として細く長く売り続けていた商品に再び火がつき、海外の小売店からの注文も増加。現在では取扱量のうち海外販売が全体の約2割に届くようになったという。

■1日2500個を手作りする

今回、実際に工場を訪れてみてわかったのは、田嶌社長のその達観した姿勢の裏に、緻密に管理された盤石な製造現場の存在があるということだ。

工場に一歩足を踏み入れると、肌を刺すような熱気と研ぎ澄まされた空気感に圧倒される。オレンジ色に輝く1500度の「連帯窯」を取り囲むように、汗だくの職人たちが長い鉄の竿を操っている。溶けたガラスを巻き取り、膨らませ、次々と成形していく。

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中央にあるのがガラスの熔解する「連帯窯」。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

工場内には5つのチームが配置され、1チーム3〜5人の職人が絶妙な連携で流れ作業を行っている。彼らに与えられた時間は、ガラスが冷え固まるまでの「わずか1分弱」。

その限られた時間の中に、ガラスの厚みを均一に保つ「肉回り」や、ワイングラスの脚を美しく引き出す「足引き」といった繊細な成形技術が、淀みなく組み込まれている。同規模の他社が1日1000個に満たない生産量で限界を迎える中、田島硝子は工場全体で1日およそ2500個ものグラスを安定製造してのける。

この体制を支えているのが、多品種を扱う高度なマネジメント力だ。各チームが午前と午後で品目を切り替えるため、1日に約10種類ものグラスが同時並行で製造されているという。

■量が質をつくる

工場という「グラウンド」において、田嶌社長の役割はさながらチームを率いる「監督」のようだ。日々変化する窯の機嫌のグラウンドコンディションを見極め、年齢も経験も、さらには職人同士の性格や相性までも異なる選手たちを、いかにして適材適所で配置するか。その複雑な采配を、社長自らが毎朝緻密に練り上げて、1日の生産計画(スタメン)を組んでいく。

彼自身が単なるモノと向き合っているのではなく、人や技術、工場の営みという「生きたチームそのもの」と向き合っているからこそ成立する、究極のマネジメントが機能しているようだった。

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取材日の気温は30度。窯の熱もあって作業場はかなりの高温だが、職人たちは黙々と作業を続けていた。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

ドイツの哲学者ヘーゲルが「量質転換の法則」で提唱したように、事物の性質が変わるには、ある一定の「量」の蓄積が不可欠だ。田島硝子においても、同じ作業を何百、何千と反復することで初めて、手や体が感覚を覚え、高い歩留まりとスピードが両立する次元へと飛躍する。

ホテルやレストランを支えるOEM(下請け)で圧倒的な場数を踏むこと。それこそが職人の腕を研ぎ澄まし、自社ブランドの「質」を担保する、揺るぎない経営基盤になっていることが見えてきた。

■今の江戸切子の業界に「職人」はいない

振り返れば昭和の時代、東京のガラス工場は熾烈な価格競争で戦っていた。「あっちが300円なら、うちは250円でやれる」と、量を作ることで単価を下げ、競合を削る戦いである。皮肉なことだが、その厳しい環境下で積み上げた「圧倒的な量をこなす体制」こそが、職人に反復練習の場を与え、現在の高い技術水準を支える基礎体力となっていたのである。

しかし現代は、多品目少量生産へとシフトし、手作りの価値に熱量を乗せて適正価格で売る時代になった。これによって「数をこなす機会」が激減したことを、田嶌社長は深く危惧している。

「多品目だと、慣れた頃に終わっちゃって、2〜3年後にまた同じものを言われても、もう覚えていない。今の若手が伸び悩む一因がここにあります」

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女性の職人が研磨機を使って江戸切子のカット加工をすすめる。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

江戸切子の業界にも、同じ構造的な断絶が起きているという。

「今の江戸切子業界に、同じものを1日何十個も作る『職人』はいません。いるのは一点モノを作る『作家』だけです」
「『量産の技術』が失われた結果、昔なら当たり前だった普及品でさえ、今では『うちの特別な品です』と言い続けなければならない。そんな現状は、ものづくりとしてしんどい」

田嶌社長が抱えるジレンマは、この言葉に凝縮されている。量産の技術が落ちたことで、本来なら普及品レベルのものにまで「手作りだから」という言葉で特別感を演出して売らざるを得なくなっているという問題意識だ。

画像提供=田島硝子
田島硝子でつくられた江戸切子。 - 画像提供=田島硝子

■「手作り=高値」にはならない

しかしその一方で、本当に圧倒的な技術と熱量を注ぎ込んだ商品に対して、適正な高値がつくわけでもない。

「もっと売れる商品に熱量を乗せて、高く売っていいはずなんです。しかし、手作りの価値が原価にも市場価格にも反映されていない」

市場は「手作りの真の技術的クオリティ」を評価しているのではなく、「ただ手作りであること」ばかりを消費してしまっているのではないか。そんな市場のあり方に、社長は歯痒さを感じている。

量産という土台で職人の技術水準を維持しながら、一部の特別な商品でしっかりと単価(価値)を引き上げる。相反するこの二つの要素をいかにして両立させるかが、田島硝子が直面するジレンマであり、課題の根幹でもあるのだ。

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「富士山グラス」製造の様子。そこの部分に空気(高温)をあて、山の形を整える。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■中田英寿の無茶振りが生んだ「二層戦略」

その最適解を探るひとつの試金石となったのが、元サッカー選手で、現在は日本文化のPRを手がける『JAPAN CRAFT SAKE COMPANY』代表の中田英寿氏が依頼したオーダーメイドグラスである。

中田氏が主宰する日本酒イベントでは、当初は他社の既製品グラスが使われていたが、田島硝子との出会いを機にオリジナルグラスの制作へと移行した。感性豊かな中田氏からのオーダーは難易度が高かったというが、田島硝子は何度も試作を重ねてその世界観を具現化してきた。

画像提供=田島硝子
中田氏の要望をもとに作られた4種のグラス。 - 画像提供=田島硝子

現在までに4種類のグラスを手掛けているが、予算や技術の制約の中で、形状やガラスの厚みをミリ単位で調整し、全体のバランスを崩すことなく最適解を導き出している。日々の大量生産で培われた「職人の引き出し」がなければ、こうした細かな要求に応え続けることもかなわなかったはずだ。

裏方として地道に量をこなして技術の土台を強固にしつつ、例えば「サッカーW杯のトロフィー」のような、世界に一つしかない頂点のオーダーメイド案件で圧倒的な価値を牽引する。そうして頂点で作られた「世界観と物語」を基準とすることで、大量にある既存の通常商品にも熱量を乗せ、適正な高値で売るための波及効果を生み出していく。

この「量」と「希少性」を連動させる「二層戦略」こそが、先述のジレンマを乗り越えるための田島硝子の生存戦略となり得るのではないだろうか。

■ガス代高騰よりも深刻な「裏方の職人」不足

だが、その足元では今、ものづくりの根幹を揺るがす危機が進行している。

エネルギーコストの高騰だ。ガラスを溶かすためのガス代は月300〜400万円にも上り、今期はさらに200万円単位でのコスト増が見込まれているという。

それ以上に深刻なのが、業界を下支えする「製造インフラ」の枯渇である。連帯窯のレンガを積む専門の職人は、携帯電話で仕事を受けるような一人親方が数人いるだけで、後継者がいない。昨年はガラスを溶かすための「るつぼ(壺)」をタイから輸入したが、タイでさえもそれを作る職人の高齢化が進み、産業を根底で支える裏方たちが消滅の危機に瀕しているのが現状だ。

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田島硝子の社員数は50名ほど。20〜30代の若手社員の確保は目下の課題だ。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

そこに、職人の高齢化による「技術継承」というソフト面の課題も重くのしかかる。この状況を乗り越えるため、田島硝子では工場に20代から70代までの職人を意図的にバランスよく配置する工夫をしている。

「やっぱり、60代から20代へ直接教えるのは難しいんです。現実には育ち方が違いますから。上の世代は『見て盗む』のが当たり前で、(面と向かって)教わってきていないから教えるのも不慣れだし、一方で今の若手は、理由や手順を丁寧に言われないと動けない部分がある」

■7勝8敗でもいい

世代間で「ものづくりを学んできた環境」が根本的に異なることが、技術継承の大きな壁となっている。だからこそ田島硝子では、世代が離れすぎた職人同士のミスマッチを防ぎ、あえて年齢の近い先輩を間に挟んで、段階的に技術を繋いでいくエコシステムを構築しているのだという。

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田嶌社長曰く「一つの商品の完成には複数の職人が関わっている」と話す。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「近くの世代で細かく技術継承していった方がいいんです。例えば『小学校の時の巨人の何番打者が誰だったか』といった何気ない共通認識を持てる世代同士のほうが、言葉のニュアンスも技術も伝わりやすいですから」

かつて、戦後から高度経済成長へと向かう時代、日本の人々は互いの苦労や努力という生き様に共鳴し、機微や粋の感性を育んできた。そこには、作る側にも買う側にも「自分には到達し得ない技術の領域に対するリスペクト」が自然と備わっていたのではないだろうか。

だが、AIの進化が加速し、そうした時代背景や文脈を体得しえない若者が増え続ける現代において、その感性を次世代へ承継していくハードルは上がっている。そんな中、田嶌社長が最優先しているのは、失われた時代を嘆くことではなく、「7勝8敗でもいいから、今日この現場をどう継続させるか」という、着実な毎日の実践なのだという。

■売りたいっていうよりは知ってもらいたい

「昨日できたことが、今日いきなりできなくなることはあり得る。だから毎日、昨日と同じことができるようにしたいと思ってやっているんです。工場にいるときは、別に売れる売れないっていうよりは、毎日『こいつ少し上手くなったな』とか『今日も頑張って仕事してるな』っていうことしかあんまり考えていなくて」

日々、職人と向き合う田嶌社長だが、一歩外の世界に対しては、自らの技術を声高に誇示するようなことはしない。

「売りたいっていうよりは知ってもらいたいんです。東京の路地裏に、こういう泥臭い世界があるということを。知ってもらった上で、見た人たちがどう感じるかですよね。そこで『もう無理だね』という空気感が出たら、それは産業として終わりなんだと思います」

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商品の検品をする様子。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

自分には到達し得ない技術の領域に対するリスペクトは、今の社会から、そして買う側からも失われつつある。どれほど高度な技術も、世の中にその存在が知られ、真価を理解されなければ途絶えてしまう。

日本のモノづくりはこのまま大量生産の中国産に負けて終わるのか――。

圧倒的な量をこなし、世代を超えて技をつなぐ田島硝子の職人たちのストイックな日常は、その問いに対する一つの答えを体現している。表面的な意匠をコピーされることはあっても、現場で培われた「暗黙知」と「組織の継承術」だけは決して奪うことはできない。東京の路地裏では今日も、確かな技術が職人から職人へ、途切れることなく繋がれている。

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座安 あきの(ざやす・あきの)
Polestar Communications取締役社長
1978年、沖縄県生まれ。2006年沖縄タイムス社入社。編集局政経部経済班、社会部などを担当。09年から1年間、朝日新聞福岡本部・経済部出向。16年からくらし班で保育や学童、労働、障がい者雇用問題などを追った企画を多数。連載「『働く』を考える」が「貧困ジャーナリズム大賞2017」特別賞を受賞。2020年4月からPolestar Okinawa Gateway取締役広報戦略支援室長として洋菓子メーカーやIT企業などの広報支援、経済リポートなどを執筆。同10月から現職兼務。朝日新聞デジタル「コメントプラス」コメンテーターを務める。
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(Polestar Communications取締役社長 座安 あきの)