森永さんの言葉には「魂が宿っている」という(写真:宝島社提供)

政策的にはまったくの「水と油」もいえる、慶應義塾大学大学院教授の岸博幸氏と経済アナリストの森永卓郎氏。ともに霞が関での宮仕えを経た後に、経済評論家や学者として活躍をするという道を歩んできた2人ですが、奇しくも2人とも、60を過ぎてからがんを患い、余命宣告を受けることになりました。

そんな2人が、行き詰まりを見せる日本の経済社会に向けたメッセージとして上梓した対談本『遺言 絶望の日本を生き抜くために』。主義主張の違いを超えて互いに親近感を抱いていたという2人ですが、多岐にわたる対談の中で岸氏は、その理由を初めて理解したといいます。

※本稿は、同書から一部を抜粋・編集してお届けします。

スタンスは違えど、共通する「貧乏」という原体験

森永さんと僕とでは、経済の捉え方や経済政策の考え方など、経済に関しては何から何までスタンスが水と油ほど違うのだけれど、不思議と森永さん本人、そして森永さんが主張する政策の方向性に対しては以前から勝手に親近感を抱いていた。

その理由はなぜかと考えていたが、今回の対談を通じて、2人ともかなりの貧乏を経験したという共通体験があったからだったのか、と初めて理解できた。

森永さんは自分がやりたい仕事に邁進する過程で極度の貧乏を経験し、おそらく奥様に多大なご苦労をかけたのだろう。

僕の場合、僕が中学生のときに親が離婚し、養育費ももらえない中で母が女手ひとつで姉と私を養うという、奨学金なしには高校も大学も行けないくらいの貧乏生活を経験した。

そうした共通の原体験があるからこそ、スタンスはまったく違っても、経済で目指す方向(国や企業よりも国民生活を豊かにする)が近いのだろう。だからこそ、僕は森永さんのことが大好きだし尊敬できるのだろう。

その森永さんと僕が、よりによって同じがんという病気を患っているというのも奇遇というしかない。

もちろん、僕はまだ余命があと9年もあるのに比べると、森永さんは残り4カ月という余命宣告を受け、人生の残り時間という点ではより切迫しているはずだ。それにもかかわらず、僕との対談に貴重な時間を割き、生き方や考え方を本音で語り続けてくれた森永さんの姿に、僕は「国士」を見た気がする。

森永さんの言葉には魂が宿っている

森永さんは「本当のことを言って死ぬ」と語り、実際にそれを実践されているが、これは簡単なようですごく難しいことだ。

残された時間とお金を、たとえば旅行や食事、趣味など自分の個人的な幸福追求のために使うという選択肢も考えられる中で、何よりも優先して他者のために自分の言葉を残そうと病身に鞭打って仕事を続けておられることは、言論人として生きてきた森永さんの真骨頂であろう。

お金を稼がなければいけない特段の事情もなく、またこれ以上有名になる必要もない森永さんを、人生の残り時間がもうないにもかかわらずここまで突き動かしているものは何か。

それは日本という国のあるべき姿を示し、長い停滞の時代が続く経済、社会を少しでも良くしていきたい、自分の信じる真実を語ることでそれに貢献したい、という純粋な気持ちの表れではないだろうか。

森永さんは僕より5歳年上だが、1980年代の若き日に霞が関で猛烈に働いていたという共通項もあり、常にアクセル全開で突き進むその生き様は心から尊敬しているし、それこそがいまの日本に足りない部分ではないかと僕は思っている。

実際、多くの人はそれほど意識していないかもしれないが、30年間に及んだデフレの影響で、グローバルな視点で見ると現在の日本はすごく貧乏で弱い国になってしまった。

1人当たりGDPはかつて世界第2位だったのが、いまや世界第38位にまで落ち、また労働生産性もOECD加盟38カ国中31位にまで落ちた。日本のグローバル経済における地位は、かつての「経済大国」から先進国の最底辺にまで落ち込んだと言っても過言ではない。

この状況から這い上がり、地に落ちた日本の経済力を再興するには、企業も人も「とことん頑張る」ことが絶対に必要だ。企業であれば、デフレ時代との比較で「程々の」賃上げや設備投資に満足している場合ではない。企業全体で330兆円もの現預金があるのだから、もっと思い切った賃上げや投資をすべきだ。

そして、個人については、働き方改革や残業規制などの「働き過ぎないほうが良い」という誤った政策と風潮に迎合せず、むしろ仕事やリスキリング(再訓練)などをとことん頑張るべきだ。

ある意味、森永さんは昔もいまも、ご自身の方法でそれを実践してきたのではないかと思う。だから、その言葉には魂が宿っているのである。

森永ファンのみならず、森永さんと主義主張が異なる人も、森永さんのこの部分だけはぜひとも見習ってとことん頑張ってほしい。

死のリアルなイメージは、人間を劇的に変貌させる

もちろん僕も、森永さんに負けないくらいに残りの人生はとことん頑張るつもりだ。

寿命を突きつけられるという死のリアルなイメージは、人間を劇的に変貌させる力がある。森永さんも僕も、病気を経験したことで生き方、考え方の整理を迫られ、残された時間の価値を再確認することになった。

その意味で、僕が現時点で最優先に取り組もうと思っていることは3つある。1つは、個人を豊かに、そしてハッピーにすること。2つ目は自民党を立て直すこと。

そして3つ目は、これからの日本を担う若者を応援していくことだ。

大企業だけが儲かり、個人が幸せになれない構造については、今回、森永さんと議論させていただいたが、これはなんとしてでも変えたい。

社会の価値観や政府の経済政策はもちろん、大企業のサラリーマン経営者の意識も変えないといけない。これに少しでも貢献していきたい。

また、日本経済を復活させるためには経済政策の方向性や中身を大きく修正する必要があるが、これまでずっと政策にかかわってきた経験から、野党にそれを期待するのは無理であり、現実問題として自民党に政策立案の面でもっと進化してもらうしかない。

もちろん、政治資金問題で失った国民の信頼を取り戻すのは容易ではないが、それでも自民党の再生なくして日本経済の再生はないのが現実である。

自分たちの価値観で「若者を否定する」年寄りたち

そして、僕も60歳を過ぎ、世間で「おじいちゃん」と呼ばれておかしくない年齢になって改めて思うのは、日本では表面上は若者の活躍を求める声が多いが、いざ現実に若者が新しいことを始めると、支配層である年寄りが自分たちの価値観でそれを否定することだ。


たとえば、2024年の東京都知事選で160万票余りを獲得した石丸伸二氏は、ネット上のインフルエンサーの成功モデルを選挙運動に適用するという、政治の世界におけるイノベーションを創り出したが、政治家や政治評論家といった支配層は、それを評価することなく、政策の中身がないといった旧来型の価値観に基づく批判ばかりをしていた。

本当に情けないし、心底呆れてしまう。

人口減少、経済力の低下と国力が衰退の一途を辿る日本で、過去の栄光にすがり続けるような余裕などないはずなのに。

本当に日本を再生させる力を持っているのは、森永さんや僕のような高齢者より若い世代である。その可能性を否定しては絶対にダメだし、その才能やアイディア、やる気を認めてあげなければならない。

僕自身、ここまで多くの人と出会い、仕事に恵まれたのは、未熟だった若い自分を多くの先輩方が後押ししてくれたからに他ならない。今度は自分が世の中に恩返しする番だと思っている。

(岸 博幸 : 経済評論家、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)