『虎に翼』写真提供=NHK

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  師でも伴走者でもましてや恋愛関係でもないが、主人公に法律関連の転機が訪れたとき彼は必ずその場に立ち会う。連続テレビ小説『虎に翼』(NHK総合)における桂場等一郎のことだ。

参考:『虎に翼』最終週までの週タイトルの意味を解説 “虎”と“翼”が意味していたものとは?

 思い返せば、寅子(伊藤沙莉)が法律家を目指すきっかけとなった穂高(小林薫)との出会いの場にも桂場(松山ケンイチ)は居合わせていたし、彼女の父・直言(岡部たかし)が共亜事件で逮捕・拘留されたさいの裁判において「あたかも水中に月影を掬いあげようとするかのごとし」との判決文を書いたのも桂場だ。さらに寅子が日本初の女性弁護士のひとりとして祝賀会の席でスピーチをブチあげたときも彼はその場にいた。

 また、夫・優三(仲野太賀)が戦病死したことを知り無気力になった寅子が、優三との思い出の河原で焼き鳥のたれに汚れた新聞の日本国憲法条文を読み、再起を図ろうと訪ねた司法省で人事課長の椅子に座っていたのも桂場である。

 その後も法曹界である種のアイコンとなった寅子を新潟に赴任させるなど、彼女の法律家としての転機に必ず立ち会ってきた桂場。これだけ主人公の人生に深くかかわる人物でありながら、驚くほど彼のプライベートは謎に包まれている。私たちが桂場について知っているのは求道的といえるほど甘いものが好きでその味(特にこしあん)について強すぎるこだわりを持っているということだけだ。

 そんな桂場が最高裁長官、法律家として衝撃的な動きを見せたのが第25週「女の知恵は後へまわる?」。寅子の事実婚相手・星航一(岡田将生)の長男・朋一(井上祐貴)ら、リベラルな勉強会に参加していた若手判事を桂場は一気に降格させた。これは実際におこなわれたブルーパージをモチーフとした展開だろう。

 ブルーパージとは桂場のモデルと推察される石田和外氏が最高裁の長官時代に青年法律家協会所属・リベラル派の裁判官らに対しておこなった左遷や降格人事のこと。“青年”の青を取りこう呼ばれている。

 ここで今一度思い出してほしい。なぜ桂場は穂高イズムに反し、リベラルな若手判事たちに対する降格人事を指示したのか。

 桂場等一郎という法律家が徹頭徹尾貫き、信念としてきたのが司法の独立だ。この信念があるからこそ彼は共亜事件のさい、政界の黒幕・水沼(森次晃嗣)から脅迫めいた言葉で圧力をかけられても屈せず、あの名判決文を書いたのである。

 戦後も政治家が司法に対して口を挟もうとするたびに彼はそれを阻止してきた。だが、ここにきてその足元がだいぶ危うくなっている。

 桂場の若手判事に対する降格人事について話をしようと訪ねてきた寅子に彼は言う。

「裁判官は孤高の存在でなければならず、団結も連帯も、政治家たちが裁判の公正さに難癖をつけるための格好の餌食になる」

 今の桂場にとっての最大の命題は法律家としての芯である司法の独立を守り抜くことと、被害者側に寄り添い補償をおこなうための公害裁判を迅速に執り行うこと。彼はその使命を果たすため政治家たちにつけ入る隙を与えないよう、結果リベラルな若手判事たちを切った。

 大いなる信念を守り達成するため他の何かを犠牲にする。寅子に言わせれば「不純な正論」だが、老人特有のシミを顔に作りながら孤独に生きる桂場を見ていて思い出した作品がある。それは桂場等一郎役の松山ケンイチが2012年に主演した大河ドラマ『平清盛』(NHK総合)だ。

 清盛にとって一生をかけて達成するべき目的は、貴族が支配する世界を終わらせ、武士の世を創ることだった。そのために清盛は貴族の犬と蔑まれても必死に戦い武力を高め、のちに宋との貿易や身内の入内で経済と権力を手中に収める。だが頂点へと昇りつめるなかで盟友たちは彼のもとを去り、清盛は孤独な王者となって病の床で死んだ。

 桂場等一郎と平清盛――。松山ケンイチという俳優は白黒、または善悪はっきりとした立場でなく、さまざまな矛盾を抱えた人間の姿を具現化することに非常に長けた俳優だとこの二作を観ると特によくわかる。そういえば松山が客演した劇団☆新感線の舞台『髑髏城の七人』でも主役の捨之介と敵役・天魔王の両方を同時に演じ、人間が宿す善と悪の両面を見事に表現していた。

 さて、あまりに強大な力を有した清盛は軌道修正することなく道半ばでこの世を去った。では『虎に翼』における桂場はどうか。今や最高裁長官となった彼に面と向かって意見できる者はごく少数で、その代表であった多岐川(滝藤賢一)は先に逝き、寅子は桂場から絶縁宣言ともいえる言葉を投げつけられた。今の彼に「お前はそれでいいのか」と問いかけるのは“イマジナリー多岐川”だけである。そういえばあれほど好きだった甘味店にも最近は足を運んでいない。

 『虎に翼』の主人公はいうまでもなくさまざまな疑問に対し「はて?」と問い続け、女性法律家として道を切り拓いた寅子だ。また、脚本の吉田恵里香氏が語っているように、外で戦わなくとも自らの意思で家族が生活するスペースを守り、家を支える花江(森田望智)ももうひとりの主人公。

 が、あえて言いたい。この作品において桂場等一郎は第3の主人公であると。彼はつねに司法制度そのものに忠誠を誓い、他者と迎合することなくみずからの正義の道を突き進んできた。法律の世界における寅子の転機に必ず居合わせるその存在は、角度によっていろいろな色に見える羽を有した天使(もしくは悪魔)のようでもある。先を行く桂場の背中がなければ寅子の「はて?」はもっとぼんやりしたものになったかもしれない。

 最終週、桂場はどんな結末を迎えるのだろう。願わくば笹竹の団子を口にして笑顔を見せてほしい。そういえば、劇中で彼が心から笑った瞬間を私たちはまだ確認できていない気がする。

(文=上村由紀子)