70年以上看護に携わり、93歳の今でも仕事を続けている川嶋みどりさん。20代で結婚をし、2人に子どもに恵まれました。夫と4人家族で、忙しいながらも充実した毎日を送っていましたが、47歳のときに息子さんを亡くす悲劇に見舞われました。そんな川嶋さんが過去を振り返り、今思うことを語ってくれました。

20歳の長男が帰らぬ人に。口では言い表せないほど辛かった

18歳で看護師として仕事をスタートした川嶋さんは、26歳で結婚し、27歳で長男を出産します。その後、3歳違いで次男も生まれました。当時は、「結婚したら仕事を辞めるのは当たり前」というような時代だったそう。

でも、結婚・出産で仕事を辞めるのはおかしいと、仲間たちと院内保育園をつくり、砂場を買うためにメーデーでゆで卵と夏ミカンを売って資金を稼いだりと、仕事と子育ての両立に奔走。さまざまな苦労をしながらも、夫と子ども2人の4人家族で幸せに暮らしてきました。ところが、47歳のときに辛い出来事に遭遇します。

「20歳の長男が、電車の事故で急死しました。看護師として、たくさんの人たちの死に立ち会ってきました。でも、自分の子どもに先立たれる経験は、口では言い表せないほど辛いものでした」

大学を2浪し、やっと入学試験が終わった長男は、「友達が飲み会に誘ってくれた」とうれしそうに出かけていきました。でも、その晩、帰ってこなかったのです。警察から電話で事故を聞いたとき、川嶋さんは泣くというよりも、転げ回って吠えたと言います。

「試運転の電車に轢かれてしまったそうで、即死でした。そのとき、たくさんの人から、温かい言葉やお悔やみに言葉をかけてもらいましたましたが、当時は全部はねのけてしいました。あなたたちには、子どもを亡くした親の気持ちはわからないって。それほど、辛かったんです」

悲しみから立ち直る特効薬はない。自分のペースで乗り越えていい

なかなか立ち直れなかった川嶋さんは、長男を思って、和歌を読み始めました。書きためた和歌は100首を超え、ノートは今でも手元にあります。それから、毎朝、長男が好きだったコーヒーを淹れるようにもなりました。40年以上、毎朝、写真の前にコーヒーを供えて、長男と話をしているそうです。

「よく『時間が解決する』と言いますが、時が経てば悲しみの質は変わるけれど、悲しみは消えません。それから、『同じ悲しみを持った人と交流すればいい』とも言われますが、私はかえって思い出してしまって辛かったんです。だから、『こうしたらいいよ』という特効薬はないと思います」

常に死と向かい合っている川嶋さんでさえ、なかなか立ち直れませんでした。

「どうにか乗り越えられたのは、やっぱり仕事があったからでしょうか。でも、乗り越え方もそこにかかる時間も人それぞれです。無理をしないで、自分のペースでいいと思います」

東日本大震災の被災地で、被災者の人たちの気持ちがよくわかって

辛い体験をし、一つだけメリットがあるとすれば、大切な人を亡くした悲しみが、深くわかるようになったことです。それまで看護師として、たくさんの看取りに立ち会い、一緒に涙を流したこともあったけれど、本当の意味で寄り添ってきたわけではなかったと、感じました。けれど、辛い体験をし、「変わった」と言います。

2011年の東日本大震災のとき、被災地の支援に入りました。被災者の方々から「あなたは、わかっていない」と言われたそう。大切な人、財産、家を亡くした悲しみが、経験していないあなたにはわからないと。川嶋さんには、その方々の気持ちが痛いほどわかりました。「私も長男を亡くしたから、わかるわ」と言葉では言わなかったけれど、そういう思いで背中をさすり、黙って話を聞いたそうです。

辛い思いをしている方には、声のかけ方は難しい

辛い思いをしている方は、どんな声をかけ方を川嶋さんはしているのでしょうか。

「声をかけて喜ばれる人もいるし、そうじゃない人もいる。あるとき、講演で私の話を聞いた方から『お子さんは何人ですか?』と聞かれました。『2人です』と答えたら、『じゃあ、よかったですね』と言われました。その方は、私を励ますつもりで言ってくれたのだと思いますが、心臓に釘を刺されたように辛かった。『子どもが何人いようとみんな同じくらい大切なのよ』って」

だから、声のかけ方はとても難しい。正解はありません。言葉はかけずに、黙って話を聞くだけのほうがいいのかなと思うことも。川嶋さんは自身の体験を踏まえ、言葉をかけるときは、気をつけているようにしていると言います。