そうして、筆者の介護生活は始まった。意外にも穏やかな1年だった。父は酒をやめなかったし、介護事業所が入ることは頑なに拒んだが、「精神病院で廃人になるか」と言ったこともあり、酒量は大幅に減っていた。

◆ふらりと現れた父がくれた5万5000円

 筆者を他人と間違うこともあり、「本当にご親切に。ありがとうございます」と深々と頭を下げることもあった。過去の出来事を許せそうなほど、おだやかな日々が過ぎて行った。失禁等があったものの、父は筆者宅にも孫の顔を見に通う程度には、元気だった。

 2024年7月15日、自宅に父がふらりと現れた。認知症になってから、父が筆者宅にアポなしで訪ねてくることは何度かあった。その時はいきなり「貯めたんだ」と言い、5万5000円を差し出してきた。

 父の退職後に、お金の無心をされることはあっても、お金をもらうことは少なかった。ラッキーストライクを吸いながら、孫の運動会の動画を観て、「見に行きたかった」と言う父の表情は、とても幸せそうだった。最後に「今後の人生、男にだまされないように気をつけなさい」の一言を残し、父は帰宅した。

◆警察からの電話と事情聴取

 2024年8月10日夜、知らない番号から何度も着信がある。下四桁は「0110」。あとで警察官から「警察署の電話の下四桁は0110ですので出てください」と言われるまで、知らなかったが、警察署からの電話だった。無視していると、22時に警察官が訪ねてきた。

「お父さんが自宅で亡くなっていました。死後、時間が経っているので、腐敗した状態です。事件性はないと思いますが、事情聴取させてください」と父の死を知らされる。

 筆者は7月17日に、父に5万5000円のお礼の電話をしているが、その時には、電話はつながっていない。その後、1日2回ほど安否確認の電話をしているが、この暑さだし、そろそろ様子を見に行こうと思った矢先の出来事だった。

 今は戸籍謄本も電子化している。筆者は離婚後、父と分籍しているが、母も姉も同様だった。身元を確認できるものがなかったため、警察の取調室で、DNA鑑定をすることになる。

◆変わり果てた父との対面はできず

 孤独死した老人は、最初は事件扱いだ。事情聴取を受けることになる。家族関係を答えた。

「父はアルコール依存症だったので、父の離婚後、父と私・母と私・姉と私・父の妹と私・父の元同僚と私は連絡を取っていたけど、父自身は全員から拒否されていました」とそれぞれの電話番号を教える。

 母は一昨年、ガンで闘病の末、他界している。警察官より「そうなんですね。ご両親の離婚後、田口家で全員と連絡が取れるのは、あなただけだったんですね。あなたが田口家を回していたんですね。お母さんに続き、お父さんまで。本当にお疲れさまでした」と言われた時に、初めて涙が出た。両親の離婚後、壊れた家族をつないでいたのは、筆者だったのかもしれない。

 夏場は高齢者が死ぬ。「腐敗した遺体でいっぱいだから」という理由で、安置室には入れてもらえなかった。「トラウマになるかもしれないし、やめたほうがいいのでは」と言われたが、どうしても父の最期の姿を見たかった。写真で見た顔には、取りそびれたウジが1匹ついていたが、その骨格は間違いなく父だった。

 父の「お金を貯めた」は嘘で、父の部屋の電気は止まっていて、懐中電灯で生活していたようだ。だから、クーラーはついていなかった。食事したあとはなかったが、缶ビールの空き缶の山だけはあったという。父らしい死に様にホッとした。遺品も匂いがひどく引き取れる状態ではなく、部屋にはすぐに特殊清掃業者が入った。

◆介護は「緩慢な死」の受容