(写真:Kwangmoozaa/PIXTA)

アルツハイマー病の原因に作用して進行を遅らせる新薬が登場し、患者への使用が始まった。年間の薬代が約300万円と高額なことに注目が集まるが、そもそも認知症の医療・ケアにいくらかかるのかについてはあまり知られていない。

当事者と研究者、それぞれの立場から話を聞いた(知っておきたい「認知症とお金」を2回にわたってお届けします。今回は1回目。2回目はこちら)。

かかるのは医療費だけじゃない

鳥取県に住む藤田和子さん(一般社団法人日本認知症本人ワーキンググループ代表理事)は、看護師として働いていた17年前に若年性アルツハイマー病と診断され、以来、薬による治療を続けている。

今は、症状の進行を抑制する従来型の飲み薬を2種類処方されているほか、睡眠導入薬、気持ちを安定させる薬、頭痛が表れたときの痛み止め、認知症以外の体の不調に対する薬などを併用することもあるので、それらにも費用がかかる。

さらに、年に1回、脳の状態を調べるなどさまざまな検査を受けるので、その費用もある。

「お金をかけて体調を整え、暮らしている感覚がありますね。医療費には健康保険と、障害者手帳による助成が適用されますが、それ以外に、車で片道50分くらいの通院にかかるガソリン代も高くなっていて……。車を運転するのは家族で、そのために家族は仕事を休む必要もあり、『いろいろとかかるな』という気持ちです」(藤田さん)

ひと口に認知症といっても原因によってさまざまなタイプがあるが、最も多いのが、脳の神経細胞が正常な加齢よりも早く減っていくアルツハイマー病だ。症状の進行度によって軽度、中等度、高度に分けられる。

認知症の前に、軽度認知障害(MCI)という時期もあり、軽度の認知症と合わせて「早期」に分類する場合もある(※外部配信先では図表を閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)。


認知症の場合、1人ひとり病状や進行度が異なるうえ、家族や仕事の状況によってもケアの費用は変わってくる。そうしたことを踏まえても、どれくらいかかるものなのか。

家族がケアする費用はいくら?

この点について、東京大学大学院特任准教授の五十嵐中(あたる)さんがまとめている。公衆衛生学や医療政策を専門とする研究者だ。昨年、認知症のケアにかかる費用などについて過去の研究を含め、論文を執筆した。

認知症のケアに関わる費用は大きく3つに分かれる。「直接の医療費」と「公的介護費用」、それから「家族・介護者のインフォーマルケアコスト」だ。

直接の医療費とは、医師の診察や検査、薬などにかかる費用のこと。公的介護費用は、認知症早期だとあまり使用することはないが、介護保険を利用して受ける訪問介護(ホームヘルパーによる)、通所介護(デイサービス)、訪問入浴介護などの費用だ。

各サービスに単価があり、例えば、介護スタッフが専用の浴槽を積んだ車で訪問して入浴をサポートする訪問入浴介護は、地域や事業所によっても異なるが、自己負担が1割なら1回あたり1200円ほどとなっている。

インフォーマルケアとは聞きなれない言葉だが、「日本語に直すと“非公式のケア”。つまり、お金を払って行ってもらう部分を、家族らが無償で代行しているケアを指します。日本の実態として、多くは家族が無償で、水面下で苦労しています」と五十嵐さん。

そのため、認知症のケアの費用を考えるには、医療費や公的介護費用だけを見ても仕方がないという。「インフォーマルケアを可視化して考えなければ、認知症の全容は見えません」(五十嵐さん)

五十嵐さんのまとめによると、月間の費用は以下の図のようになる。


入院や施設入所ではなく自宅で過ごす場合、MCI (軽度認知障害)ではおおむね7万3000円で、内訳は医療費1万円、公的介護費用1万6000円、インフォーマルケアコスト4万7000円。

同様に軽度認知症は21万円で、そのうち医療費が2万3000円、公的介護費が5万6000円、インフォーマルケアコストが13万円だ(中等度認知症、高度認知症のケースについては2回目で紹介します)。

これはいずれも、健康保険や介護保険が適用される前の金額なので、インフォーマルケアコストは別として、実際に支払う金額はこの1〜3割ということになる。


ここに示したものは既存の薬が中心で、2023年12月に発売された医療用の新薬レカネマブ(製品名レケンビ)を使用したケースは含まれていない。そのため、医療費は比較的抑えられている。

対照的に、インフォーマルケアコストが費用の6割程度を占めていることに注目したい。

前出の藤田さんの例でいえば、通院のためのガソリン代などの費用も積み重なる。さらに、家族が通院に付き添うなどすることで、世帯収入が減少し、生活への経済的な負担が増大する。これらがインフォーマルケアコストといえるだろう。

新薬の金銭的メリットはどれくらい?

レカネマブは、認知症の原因とされるタンパクを取り除く働きがある。早期アルツハイマー病の人に2週間に1回の点滴注射を続けることで、18カ月の臨床試験の結果、認知症の進行を27%遅くすることがわかっている。

症状が進むのを先延ばしできるわけで、症状がある一定レベルに低下するまでの期間が、プラセボ(偽薬)を使った人よりも7.5カ月程度長いと推定されている。

レカネマブの投与量は体重1キロあたりで設定され、体重が50キロの人が1年間続けた場合の薬代は298万円。健康保険が使えるので、患者が払う金額はその1〜3割になる。

さらに「高額療養費制度」という仕組みがあり、年齢や収入に応じて設定される自己負担限度額を超えたぶんは後で払い戻される。

69歳以下で年収が約370万〜約770万円の場合、1カ月間で外来受診にかかる上限は、<8万0100円+(かかった医療費−26万7000円)×1%>。わかりやすく言うと、月に10万円医療費を使ったら約2万円ほど戻ってくる。

とはいえ、年単位で考えるとけっこうな負担になりそうだが、五十嵐さんの研究によると、早期の段階でレカネマブを投与すると、認知症の進行抑制効果と健康状態の改善によって、介護者や社会全体の経済負担を軽減できる。

対症療法と標準的な介護を受けた場合と比べて、医療費だけなら10万円ほど、インフォーマルケアを含むと200万円ほど抑えられるという。

「認知症の進行を遅らせることができれば、本人も、介助者も、就労などで社会参加が可能になったり、自分の趣味を続けたりして、人生を充実させることにもつながります」(五十嵐さん)

何より時間的なものだけでなく、これから先の人生を考える「気持ちのゆとり」ができるともいえるだろう。

医療費の負担を補う存在として、民間の医療保険やがん保険が思い浮かぶかもしれない。入院1日あたりいくら、「●●(病名)と診断されたときにいくら支払われる」といった保険商品だ。

認知症のインフォーマルケアコストを補うニーズがあるからか、レカネマブのような高額な薬の登場を見越したのか、近年、複数の保険会社が「認知症保険」を発売し始めた。

ざっくりといえば、ある認知症保険では月額2000円ほど(50歳男性の場合)の保険料で認知症と診断されれば一時金(100万円)が支払われる。

前出の藤田さんは、「実際に経験していますが、介護が必要になる前、診断されたときから経済的にダメージを受けます。そこをカバーして、暮らしの負担を減らせるような保険があったらいいなと思います」と話す。

そのうえで、「多くの会社が参入して、契約者が保険商品を比較して選べるようになればいいですね。認知症になっても、自分らしく暮らしていけることをサポートする保険ができて、若い人にも備えてもらえるようになってほしいです」と期待する。

経済的負担が減れば家族も安心

2年ごとに予防給付金を支払い、早期発見のための検査に活用できるような仕組みの保険商品もある。

「認知症に早く気がつくことは大切です。そのメリットを得られるためにも、自分らしさや暮らしやすさが確保され、経済的にも安心できる状況をつくる必要があります。認知症になっても経済的負担が減るとなれば、本人はもちろん、家族の安心にもつながります」(藤田さん)

認知症のケアにかかる費用を分解していくと、インフォーマルケアコストという水面下の費用が浮かび上がってきた。認知症の人が増えていくなか、そのぶんをどう賄うか、国民的な議論が必要だろう。

少なくとも、個人レベルでできることは何なのか。後編では、認知症が中等度、高度と進行した場合にかかる費用や、認知症に備えていくら用意すればよいかを紹介する。

(佐賀 健 : メディカルライター)