リアルに怖い江戸時代!火あぶり、ノコギリ刑…江戸時代の刑罰は明らかに残酷すぎた

写真拡大 (全3枚)

明治初期に日本を訪れたアメリカ人・グリフィスの手記にこんな一幕があります。

「品川にさしかかる前、道路横の田んぼの畦にほんの少し盛り上った草の生えている小さな空き地がある。見ると高さ6フィートの晒し台に人間の首が2つ晒してあるではないか」。

・・・いやあ、怖い!手記の中でもトップレベルで怖い場面です。でも江戸時代の刑罰は更に恐ろしいものもあったんです・・・。

江戸時代の刑罰に関しては以下の記事もぜひ参考にしてください。

屈辱、魚を咥えさせて放り出す!江戸時代、女犯を犯した僧侶への本当にあった刑罰

放火犯は火あぶり

「死刑は梟首・刎首・絞殺に限る」・・・こんな御触れが出たのが明治元年11月の事。それ以前、つまり江戸時代には火あぶりの刑や磔の刑が普通に行われていたという事です。手記を書いたグリフィスさん、晒し首の光景で充分衝撃を受けていらっしゃったようですが、それはまだマシで、江戸時代にはもっとエグい刑が行われていたのですね。

例えば、放火犯は火あぶりと決まっていました。有名なのが鈴ヶ森刑場で火あぶりに処された八百屋お七ですね。「火には火を」という事だったのでしょうか。

罪人の周りに燃えやすい茅などを積んで火をつけ、あおいで火を強め、終盤で鼻を焼き、最後には男性は男性器、女性は乳房を焼いて終了。しばらくは埋葬もせず晒されたそうです。

磔(はりつけ)の刑には流儀があった?

磔の刑は時代劇や映画などでもたびたびそのシーンが描かれるので、ご存知の方も多いかもしれません。十字に組んだ角材に罪人を縛り付け、左右両側から槍で突きます。脇腹から対角線上の肩へ向けて突き、肩から槍の先が1尺(約30cm)出るようにするのが流儀だったとか。執行人もいろいろ大変だったのですね・・・。

鋸引き(のこぎりびき)

鋸引き(のこぎりびき)なんていう恐ろしい刑もありました。まず地中に埋めた箱に罪人を入れ、首だけを地上に出します。そして「この首をノコギリで引きたい者は引いて良い」などという恐ろしい立て看板を立て、通りがかりの人をざわつかせたとか。

実際には立て札を読んで「ふーん鋸引きして良いのか」と本当に鋸引きするような通行人はほとんどおらず、罪人の多くは最終的に磔の刑で処刑されたとか。何にせよ、江戸時代にはこんな恐ろしい側面もあったのですね。

参考文献

グリフィス「明治日本体験記」東洋文庫

八幡和郎「本当は恐ろしい江戸時代」ソフトバンク新書