HiDEさん

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―[貧困東大生・布施川天馬]―

「難関大学合格には、豊富な教育投資が不可欠」。そう思い込む方が一般的ではないでしょうか。首都圏では今日も熾烈な受験戦争が繰り広げられます。
 確かに、これこそが「一般的」なルートには違いありません。ですが、必須かといえば、そうではない。「やるべきこと」さえやり切れば、どんな環境からでも進学は可能です。問題は、方法が世に広まっていないこと。独学で難関大進学を果たす秀才たちは、どのような学習法を採用しているのでしょうか。

 今回は、偏差値40台の高校から一年の浪人を経て慶応義塾大学文学部に進学し、現在はYouTuber、実業家として活躍しているHiDEさんにお話を伺います。

◆勉強に興味がなかった幼少期

「小さい頃はインドア派でした。遊びに行くことも好きではなく、幼稚園にも行きたがらなかった。だからといって勉強もせず、親からも勉強に関しては何も口出しされた記憶がない。当然お受験もしませんでした」

 東京23区内に生まれたHiDEさんは、のびのびと育ちました。親子ともに勉強には興味がなく、勉強しろとも言われず、大学進学を強制もされなかったそうです。

 首都圏といえば受験熱が高そうですが、彼の住んでいた地域は無縁でした。まわりにも中学受験を選ぶ友人はあまりおらず、地域の公立校へ進学します。

 中学校でも生活は小学校時代と変わらず。成績は5段階評価で2か3を取る程度で、落ちこぼれではなかったものの、優等生とも言えません。彼は当時の自分を「真面目に学校には通っていたものの、自習はしていなかったから、しかたない」と振り返ります。

◆地域の偏差値40台の高校に進学

 高校は金銭的事情から地域の公立高校を選択。偏差値40台の高校でした。

「当時の自分のコンプレックスが、『これまでなにも頑張ってこなかったこと』でした。だから入学後は、心機一転して部活動に打ち込もうと考えてバレー部に入りました。

 ただ、継続して一つの物事に打ち込む経験がなかったのに、いきなり上下関係が厳しい環境には耐え切れなかった。半年程度で退部し、バイトしたり、遊んだり、適当な日々を過ごしました」

 やめてからも、何回か入退部を繰り返しますが、結局定着はせず。「何かに打ち込む」ことができないまま、日々を過ごします。

 この頃の成績は、学年200人強のうち、70位程度。勉強をする人が少数派だったので、「普通に授業を聞ける」だけで、相対的に上位層に食い込めたのだそうです。

◆「自分は賢い」と勘違い

「校内では割と上位だったから、『自分は賢い』と勘違いするようになりました。当時の母校は荒れていて、トイレからタバコの吸い殻が見つかることもありましたし、退学者も珍しくなかった。『ここにいたらまずい』と思うようになったんです。

 さらに、同時期、中学校時代の親友からも影響を受けました。彼は進学校に行ったのですが、話を聞くうちに『勉強するのが当たり前』と考えるようになったんです。しかも、彼らの進路は『大学進学』一択で、『自分も大学に行くべきかも』と感じました」

 勉強に前向きになって、初めて模試を受験することに決めたHiDEさん。しかし、結果は偏差値40程度でした。学校内ではできる方でも、全国レベルでは大したことがない現状。浮かれていた彼に現実が重くのしかかります。

◆努力むなしく、高3秋の模試でも偏差値40

 友人から影響を受け「最低限、日東駒専レベルの大学へ」と独学で頑張っても、結果はなかなかついてこない。金銭的事情で塾には通えませんでした。しかし、真面目に勉強した経験もなく、「何から始めればいいのかわからない」状態に。まずはネットや友人のアドバイスで「勉強のやり方」を探りました。