待望の赤ちゃんが重い障害を持つ「18トリソミー」だったら…「従来の医療の考え方」に矛盾を感じた夫婦が下した「決断」

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全身のさまざまな臓器に先天異常が

18トリソミーとは、第18番染色体が3本になっている状態をいいます。通常は両親から1本ずつの染色体を受け取るので、2本であるのが正常です。3本になってしまうと遺伝子の働きに異常が出るため、全身のさまざまな臓器に先天異常を伴って生まれてきます。

18トリソミーという言葉は、以前に比べて一般の人にも知られるようになりました。その理由は、2013年に始まった新型出生前診断が18トリソミーを対象にしていたからでしょう(このほかにも、13トリソミーと21トリソミー=ダウン症が対象)。

こうした検査が広まると、18トリソミーの赤ちゃんは生まれない方がいいという風潮になりかねません。でも実際は、あれほど話題になった新型出生前診断は、全妊娠のうち2〜3%でしか行われていません。そして18トリソミーの子はこの世に生まれ続けています。その赤ちゃんの命をどう支えるかについては、親や医療者の間で様々な考え方があります。

『ドキュメント 奇跡の子 トリソミーの子を授かった夫婦の決断』は、航(わたる)さんと笑(えみ)さんの夫婦の決断の連続を綴ったノンフィクションです。

二人は、待望の赤ちゃんを授かります。そして超音波検査で複数の病気が分かり、最終的に18トリソミーであることも判明します。夫婦に赤ちゃんの命を中絶する気持ちは一切ありませんでした。それどころか、必ず赤ちゃんを生んで、生まれた後も最高の治療を受けようと決意します。

やがて女の子の赤ちゃんが生まれてきます。名前は希(まれ)ちゃん。

希ちゃんにはいくつもの病気がありました。

我が子にリスクを負わせるのは親の独りよがり?

・先天性食道閉鎖症

・心奇形による肺高血圧

・肺のう胞

・気管軟化症

・肝芽腫(肝臓にできる小児がん)

・気管出血

18トリソミーは予後が悪いから最初から治療はしないという従来の医療考え方に、夫婦は矛盾しか感じられませんでした。治療しないから予後が悪いのであって、しっかりとした治療を受ければ希ちゃんは生き延びることができると考えたのです。夫婦は医師団にできる限りの治療を望み、医師団も最高レベルの技術を駆使して希ちゃんの手術に挑みました。

ただ、夫婦は病気に対する正しい知識をちゃんと持っていました。希ちゃんの予後を楽天的に考えたわけではありません。18トリソミーの子が親より長く生きることはないと分かっていました。笑さんは、我が子を失う母親になることを恐れました。明日、どうなるか分からない命を懸命に支え、毎日を大切に生きていこうと心に決めたのでした。

そして笑さんの胸には一言では言い表せない複雑な気持ちもありました。人によっては、こんなに何度も手術を受けさせないかもしれません。ここまで重症の赤ちゃんに対して次々と手術を希望して、ある意味で我が子にリスクを負わせるのは親の独りよがりと言われるかもしれないという悩みを抱いたのです。

しかし、取材をしながら私は、それは違うと思いました。病気というのは人間を苦しめます。手術を受けなければ、希ちゃんは苦しむことになります。手術を繰り返すことを、痛々しいとかかわいそうだという意見もあるでしょう。しかし、病気を放置することはそれ以上にかわいそうなことではないでしょうか。

「希ちゃんの存在」が夫婦の価値観を変えた

特別な例を除いて、人間には「生きよう」とする生存本能があります。0歳の希ちゃんがどう思っているかは知りようがないものの、希ちゃんが生き延びることを拒んでいるとは夫婦には思えませんでした。希ちゃんが生きようする力を信じ、それを支えるのが家族の務めと二人は決意を固めました。

そして病状が落ち着いたときには、何度も自宅での生活を経験しました。外出もしました。桜散る道を親子で歩き、青空の下、希ちゃんは風を感じて、陽光を感じました。医療的ケアは、他人から見れば大変だったかもしれませんが、航さんも笑さんもつらいとは全然思いませんでした。家族で一緒にいられる時間は宝物でした。

ただ、希ちゃんが生きてさえいてくれれば、それだけで二人は幸せだったのです。家族として自宅で共に暮らすこと。それ以上の望みはありませんでした。

だが、やがて希ちゃんの心臓の働きは徐々に弱くなっていきます。命の炎が燃え尽きる時間が迫っていました。医師からは悲観的な言葉が漏れました。でも夫婦は希ちゃんの生きる力を信じ、医師に対しても諦めない気持ちを伝えました。

希ちゃんの存在は夫婦の生き方や価値観を大きく変えました。

自分たち家族が当事者になってわかったこと

希ちゃんを育てる中で、夫婦は多くの13・18トリソミーの仲間たちとつながっていきました。病気の子を持つと世界が狭くなるかもしれないと初めは思いましたが、それは逆でした。この世には病気の子や障害の子がいることは以前から知っていましたが、自分たち家族が当事者になることで、そうした子どもたちへの理解が深くなったのです。

闘病を通して笑さんは、医療者たちの献身的な力添えに深く感動しました。そして自分も人の役に立つ人間に、社会の役に立つ人間になりたいと誓いを立てます。1日でも時間をむだにしないで、意味のある毎日を過ごしていきたいと決意します。

選択の連続だった夫婦は、最後の決断をします。二人は生まれたばかりの赤ちゃんを特別養子縁組として我が家に迎え入れます。その赤ちゃんは、両手両足の指が何本も欠損した重い障害を持った子でした。それが人のために生きようとする夫婦の選択だったのです。

本書の帯には「私たちはまだ諦めていません」という言葉があります。この言葉は医者にとって重いと言えます。小児医療の世界では、「親は子どもの最善の利益の代弁者である」という言葉があります。親と子の関係性の深さがこの言葉の基盤にあります。

13・18トリソミーに限らず、重い病気を前に治療を諦めてしまうのは、実は親ではなく医者の側であるという現実があります。小児医療の原点に立ち返れば、子どもが何を望んでいるのかを知っているのは親ということになります。ですが、医者は先が見えてしまうので諦めるのが早いのです。

命の価値に優劣はない

2014年に兵庫県で日本小児外科学会が主催する秋季シンポジウムが開催されました。テーマは「小児外科と倫理」。13・18トリソミーの赤ちゃんに対する外科治療の工夫や治療成績が、13施設から発表されました。

20世紀までは「治療の対象ではない」とされたトリソミーの子に対する外科治療の画期的な報告でした。ですが、こうした流れはまだ道半ばです。日本には13・18トリソミーの子に対して一切手術をしない大病院が今でも多数存在します。

命の在り方は多様です。ごく普通の命もあれば、ハンデキャップを持った命もあります。しかし、命の価値に優劣はありません。医師たちが思っている以上に、命の形はさまざまで、子を思う親の気持ちの強さは医者の決めつけや思い込みを超えていると言っていいでしょう。

本書の中で、医師が治療を諦めかける場面があります。そのとき、航さんが言います。「諦めたらそこで試合終了だ」。この言葉は筆者の胸に重く響きました。実際、私は本書を書きながら、自分ならば最後まで諦めずに治療しただろうかと自問自答しました。かんたんに答えることはできません。

夫婦の最後の決断に、私は強く心を揺さぶられました。家族とは何でしょうか?

血が繋がっていても、いなくても、親が子を無条件の愛で包み、支えるのが家族なのでしょう。本書は、闘病の記録を綴った医療ノンフィクションですが、それだけにとどまりません。航さんと笑さんの夫婦が、家族の本質とは何かについて考えを述べる最終場面に、本書のメッセージのすべてが込められています。

つづく記事『「出生前診断」は本当に人を幸せにするのか…「90%の妊婦中絶を選択」という現実に対する、小児外科医の「考え」』では、この20年で起きた医療界の「変化」について、詳報しています。

「出生前診断」は本当に人を幸せにするのか…「90%の妊婦が中絶を選択」という現実に対する、小児外科医の「考え」