「見えない階層」を超えて結婚した2人。その経緯と幸福感とは?(イラスト:堀江篤史)

都会には「見えない階層」のようなものがあると思う。家庭環境や学校、職業などによって最初からもしくは徐々に分かれてゆき、大人になって家庭を築く頃には異なる階層の人とはあまり交わらなくなる。街中でたまたま近くにいることはあっても親しくはならない。生活習慣や言葉遣いが異なるので、同じ日本語を使っていても話がかみ合いにくいのだ。

地方とは違って都会には人がたくさんいるので、同じ階層内の人付き合いで生活も仕事も完結できてしまう。そして、年齢差などよりもはるかに高い壁が形成される。

結婚相手は「彫師」

こうした階層を越えるかけ橋があるとしたら趣味かもしれない。バンドのファン仲間などで結ばれた意外な組み合わせをときどき見かけたりする。今回紹介するのは、彫師(入れ墨師)と半官半民の堅い組織で働く正社員という結婚事例だ。2人に共通するのは広義のアート好きという点しかない。

筆者はライター業のかたわら、男女を引き合わせて結婚までをお手伝いする「お見合いおじさん」をしていて、彼らは10組目の成婚カップルとなる。お見合い用に、彫師である清水一馬さん(仮名、46歳)の紹介記事を筆者が書いてネットで公開したのが2022年7月。後の妻となる朋美さん(仮名、39歳)からすぐにお見合いの申し込みがあり、オンラインで対面。昨年の12月に結婚した。

池袋駅から急行列車で30分ほどのところにある繁華街に彼らの新居がある。アニメ好きだという朋美さんがインタビュー場所に選んでくれた居酒屋は某人気アニメ映画に出てくるメニューを再現しているらしい。

Vネックのニット姿で髪も艶やかな朋美さんは快活に挨拶をしてくれて、こちらに気遣いをしながらもどんどん話し始める。仕事ができる美人OLという第一印象だが、緊張するとしゃべりまくってしまう傾向があるらしい。

「一馬さんと初めてリアルで会ったときもそうでした。普段は人に話さないアニメの話もしてしまって……。でも、一馬さんはバカにせずに『どのアニメがおすすめ?』と聞いてくれて、実際に観てくれたんです。そのタイトルですか? 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』と『ドロヘドロ』です」

朋美さんは恥ずかしそうにしている。アニメファンであることで嫌な思いをした経験があるのかもしれない。一馬さんがすかさず話に入ってきた。

「どんな分野でも人気作には必ずカッコ良かったりキレイだったりする表現があります。どちらのアニメも面白かったです。仕事の参考にもなりました」

早くも息が合ったところを見せつけてくれる2人だが、そもそも朋美さんはどんな経緯で彼に興味を持ったのか。入れ墨は怖いという感覚はなかったのだろうか。

タトゥーはキレイな芸術

「子どもの頃に両親が離婚して、母と姉との3人で東京で暮らしていました。あの頃の母は何も言わなかったので、私は自由になってしまってヤンチャをしていたんです。女子校に通っていましたが、夜遊びばかり。お酒もたばこも覚えて、タトゥーっていいなと憧れのような気持ちがありました」

短大を卒業後に大手予備校に就職した朋美さん。堅めの職場での忙しい日々でヤンチャな過去は忘れ去ったが、入れ墨やアニメを含むアートへの関心は消えなかった。

「タトゥーには怖さではなくキレイな芸術だという感覚があります」

そんな朋美さんは一馬さんと知り会ったときも結婚願望は薄かったと明かす。好奇心は強いけれど人見知りなので、一人で過ごすことのほうが楽だと感じていたからだ。転職して10年以上が経つ勤務先を辞める気もない。

「30歳過ぎまで長く付き合っていた人がいました。私よりも10歳以上年上で、結婚して子どもも欲しがっていましたが、同棲しても家事を一切やらない人だったんです。私も仕事が忙しかったり体調を崩したりすることもあるので、この人の人生を背負うのは重すぎると思って別れました」

一人好きとは言え、孤立はしたくない。いろんな人と会ってネガティブ思考の自分を変えたいと思っていたときに一馬さんの記事を見つけた。結婚願望は薄くて入れ墨のほうに興味があることも正直に書いたところ、お見合いOKの短い返事が来た。入れ墨師として「家族を食わせていく」自信がようやくついたという一馬さんは来るもの拒まずの姿勢だったと淡々と振り返る。

「何事もある程度は進んでみないとわからないですからね」

そんな一馬さんは2回目のデートでマリア像を紙に描いて朋美さんにプレゼント。アート好きの朋美さんはプロの仕事に大いに感激した。

「ちゃんと薄紙に包んで持ってきてくれたんです。今でも家に飾ってあります。私は人から何かを作ってもらった経験がなかったのでひどく感動してしまって……。もしかしてこの人と結婚するかもと感じました。何度会っても居心地が良くて、そのうちに入れ墨への興味がきっかけだったのも忘れるほどでした」

出会ってから2カ月後には2人は真剣交際を始める。しかし、それからはケンカが絶えなかったらしい。原因は意外にも一馬さんが「会う時間が少ない!」といら立ったことだ。

同じ首都圏内とはいえ、当時のお互いの家は電車を乗り継いで2時間ほどかかる距離にあった。平日勤務、土日休みの勤め人である朋美さんは仕事帰りに一馬さんの家に寄る時間はない。一馬さんのほうは、日曜日が仕事が忙しい。建設現場などで働く顧客が貴重な休日を使って通ってくるからだ。金曜日もしくは土曜日の夜に朋美さんが一馬さんの家に来て、1泊して帰っていく日が続いた。月に4泊。朋美さんは十分だと思ったが、一馬さんは足りないという。

「きちんと料理を作ってもらったこともないので味覚が合うのかもわかりませんでした。生活がすごくダラしない人とも一緒にはなれません」

マイペースな2人は時間の使い方などで衝突

ちなみに一馬さんは一通りの家事はできるが、自分のためには何もやらないタイプだ。日中は眠くなっては困るのでタバコとコーヒーしか口にせず、夜はストレス解消のために酒場に行っていた。結婚前の交際費は月30万円ほどだったらしい。どちらかといえば朋美さんのほうが不安になる生活習慣である。

2023年の夏からは同棲を始めて、ケンカの内容が変わった。お互いにマイペースなので、休日に家事をする際の段取りや時間の使い方などで衝突するらしい。

「いつも一馬さんに怒られるけれど最近は聞き流せるようになりました。私が仕事で悩んでいるときは話をじっくり聞いてくれるし、最終的にはすべてを預けられる人だと感じています」

新居の家賃や光熱費は朋美さんの銀行口座から引き落とされるようになっている。毎月、十分な金額の生活費を一馬さんが朋美さんに渡し、その中から朋美さんがやりくりをしている。一馬さんには自由に使えるお金も残るが、飲みに行くことは「週6」から「週1」に激減した。

「朋美とケンカしたときに頭に来てスナックに行くぐらいです(笑)。飲みに行くこと自体には何も言われませんが、普段から『外で飲食すると余計な金がかかる』と洗脳されています。コンビニで酒やアイスを買うと、同じ銘柄のものをスーパーで3分の1ぐらいの値段で売っているのを見せられたり。確かに!と納得しちゃいます。酒がないと言うと、わざわざ安いスーパーまで自転車で買いに行ってくれる。冷蔵庫には副菜をいつもたっぷり作り置きしてくれているのでつまみには困りません」

完全に胃袋をつかまれている一馬さん。元公務員の父親と看護師の母親も朋美さんを大歓迎しているという。妹と弟にはそれぞれ配偶者と子どもがいるので、折に触れて集まると動物園状態だと一馬さんは嬉しそうだ。堅気とは言えない長男がしっかりした女性と結婚したことで清水家の幸福度が増しているのだろう。

しかし、階層を越えた結婚には代償もある。朋美さんの母親から拒絶されてしまったことだ。一馬さんの人柄ではなく職業名で一発アウト。一馬さんは鳳凰の絵を描いてプレゼントしたが逆効果だった。結婚以来、朋美さんは母親と連絡を取り合っていない。

親には拒絶されたけど、この結婚は正解

「育ててくれた母に親孝行したいと思っていたのでショックでした。もっと若い頃だったら、親の意見を大事にして一馬さんとの結婚をやめていたかもしれません。でも、40歳になる今は後悔したくないんです。人生、長くはありませんから」

母の古い知り合いからは、「今はそっとしておいてあげて」と助言してもらっている。時間とともに母親の気持ちはほぐれていくかもしれない。逆に、20年以上会っていない父親とは姉の仲介で再会する予定だ。


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結婚とは赤の他人と最も親しい関係を結ぶ行為なので、既存の人間関係に波紋を起こさずにはいられない。離れていく人もいれば、新たに出会ったり絆が強くなったりする人もいる。その変化の中で自分たちなりの正解をつかみ取っていくしかない。

一馬さんには若い弟子がいて、2店舗目は誰でも予約がしやすい安価なタトゥーショップにして運営を任せる予定だ。朋美さんはその構想に反対している。口コミで密かに評価されている一馬さんの技術を弟子を通じてでも安売りしてほしくない、という考えだ。まったく別の場所で生きてきた純粋なファンだからこその意見である。困りつつもまんざらでもない表情を浮かべる一馬さんを見て、この結婚は正解だと筆者は思った。

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(大宮 冬洋 : ライター)