スタバが歩んできた道のりは、マーケティング的な観点から考えても、非常に興味深い示唆を私たちに与えてくれる(写真:yu_photo/PIXTA)

日本で3番目に多い飲食チェーンなのに、令和の今もわれわれ消費者に特別な高揚感を与えてくれるスタバ。

ブランディングやマーケティングから見ても、一貫した理念や戦略があるように思えるが、実は「コーヒーを大切にしてきた歴史がある一方で、人気商品は、コーヒーとは正反対にも思えるフラペチーノである」など、矛盾とも思える部分も少なくない。

しかし、この「矛盾」こそが、スタバを「特別な場所」にしてきたのかもしれないーー。

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』『ブックオフから考える 『なんとなく』から生まれた文化のインフラ』などの著作を持つ気鋭のチェーンストア研究家・谷頭和希氏による短期連載の第5回(第4回はこちら)。

スタバの歴史をマーケティング的な観点から考える

前回までは、スタバがグローバルチェーンへと拡大していく歴史を追いながら、その過程の中で「フラペチーノの商品化」や「サードプレイスの提唱」といった施策の中で、スタバに「矛盾」が生じてきたことを指摘した。

例えば「フラペチーノ」の販売において、シュルツは自身が持っていた「本物のコーヒーを提供する」というこだわりが、時に顧客側の要望と正反対の方向を向いてしまうことに気づいた。その結果として、顧客の要望に合わせる形で、本来、コーヒーとは全く異なる商品であるフラペチーノが大々的に売り出されることになったのである。

そして、フラペチーノは今や、スタバを代表する商品の1つになっている。いわば、「矛盾」こそがスタバをグローバルチェーンにしたのである。

今回は、前回の話を受けて、少しだけ角度を変えた話をしてみたい。というのも、これまでのエピソードで取り上げた「フラペチーノ」や「サードプレイス」についてのエピソードは、マーケティング的な観点から考えても、非常に興味深い示唆を私たちに与えてくれると思うからだ。

フラペチーノの話がどのようにマーケティングにつながるのか。この話はいわば、企業における理念を純粋に貫き通すこと(純粋主義)と、企業の理念を少し変えてでも顧客の視点に立って経営を行うこと(顧客主義)との対立だと言い換えることができるからだ。

本連載の第2回で確認した通り、スタバはその創業当初、こだわりのコーヒー豆を提供する、シアトルという地元に根付いた小さなコーヒーショップとしてスタートした。そして、その理念を受け継ぐ形でハワード・シュルツがスタバの経営にあたったわけだ。

しかし、フラペチーノの商品化においてシュルツが行ったのは、そのような経営理念を純粋に貫き通すことではなかった。店側のこだわりを顧客に伝えるのではなく、顧客側の観点から商品開発や店舗設計を行う「顧客主義」への転換を図ったのである。

こうした「顧客主義」への転換は、フラペチーノの例だけでなく、ノンファットミルク(無脂肪乳)を取り入れるかどうかの議論においても焦点となったことだったと、シュルツの自伝『スターバックス成功物語』に書かれている。

『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きで走ったのか?』

実は、このような「純粋主義」対「顧客主義」はスタバに限って見られることではない。むしろマーケティングの世界においては、常に多くの人が悩まされている問題なのではないか。

そのことを証明する一冊の本を紹介しよう。それが、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの復活の立役者であり、現在は沖縄北部に誕生する新テーマパーク「ジャングリア」の建設に携わる森岡毅の著書『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きで走ったのか?』である。

森岡が自身のUSJでの経験を回想しつつ、マーケティングの手法やコツについて書いた本だ。

森岡がUSJに入社する前、その経営は低迷していた。その立て直しを任されたのが、当時P&Gでマーケティングを担当していた森岡だった。彼がその改革として、最初に行ったことが「USJを映画のテーマパークから脱却させること」だったという。

その名前からもわかる通り、USJはユニバーサル社の映画をモチーフにしたアトラクションを多く揃えており、特に開業当初から働いている社員の中には、「USJは映画のテーマパークであり、そのことで東京ディズニーランドと差異化を図っている」という意識が強かった。そのため、森岡が提案した「脱・映画のテーマパーク」計画には、社内から大きな反発があったという。しかし、森岡はこの路線を強固に提案した。

それはなぜか。森岡曰く、このような「映画のテーマパークである」という純粋な理念が、逆に経営戦略としては誤った方向を向かせていたからである。森岡はこれを「誤ったこだわり」と呼んでいる。この「誤ったこだわり」のために、顧客の要望とは離れたところで、企業の自己満足になってしまっている経営施策が行われていたのである。

例えば、かつてUSJで行われていたあるショーは、海賊船が登場するものだった。「映画のテーマパーク」としての矜持を持つUSJは、その海賊船の本物らしさを演出するために、船のエイジング加工を徹底して行った。「まるで映画」のようにするためのこだわりだというわけだ。

しかしその結果、ショーを見た観客からは「船が汚すぎる」という苦情が来てしまったのだという。まさにこれは「誤ったこだわり」、つまり理念の純粋主義が経営判断を誤らせた一例であろう。

「消費者目線」を徹底せよ

森岡はさまざまなデータを用いて、社員が持つ「USJは映画のテーマパークであるべき」という考えを解きほぐしていった。そして、顧客が本当に望むアトラクションやショーのあり方を検討したのである。その結果として、アニメやマンガ、ゲームなどを大胆に取り入れたUSJの新しいアトラクションやショーの姿が生まれていったのである。

現在のUSJには、スーパーマリオやONE PIECEをはじめとする、アニメ・マンガをテーマとしたイベントやアトラクションが数多く存在している。

多くの論者が指摘しているように、一見すると、こうしたUSJの姿は初期の「映画のテーマパーク」という軸から遊離し、迷走しているかのような印象も与える。

しかし、USJの業績がV字回復したことが示しているように、それらは顧客に支持されるものとして必然的にそのような姿になっていったのである。

逆にUSJが「誤ったこだわり」によって理念の純粋主義を貫いていたとしたら、他のさまざまなテーマパークと同じく、経営を続けることは難しかったかもしれない。森岡は「マーケターは『消費者目線』を基本にしないとアイデアも戦略も判断も全てにおいて焦点がズレる」と明快に書いている。

「誤ったこだわり」から脱却するための唯一の方法はさまざまな方法を用いながら「消費者目線」を徹底することなのである。

すでに私たちが確認したように、スタバにおいても同じような「誤ったこだわり」への傾倒があった。シュルツがスタバを一度退社し、自身のカフェである「イル・ジョルナーレ」を立ち上げたときのことである。彼は本場イタリアのカフェをアメリカに作りたいと願い、店内でオペラを流したり、イタリアのスタイルに合わせて立ち飲みだけの店を作った。

しかし、それがことごとく顧客に不評だったのである。オペラはBGMとしては耳触りがよくないし、座ってコーヒーを飲みたい客もいる。いわば、シュルツは「誤った純粋主義」が引き起こす問題を、スタバの経営に本格的に乗り出すよりも前に体得していたのである。そこでの経験がフラペチーノへと活かされていったのである。

加えて、我々の連載に照らし合わせて考えるならば、そうした「顧客主義」へシフトするときに生まれたのが、「矛盾」だということになろう。創業の「理念」を重視していると標榜しつつも、その経営判断においては、「消費者目線」に立ってその理念とは相入れない判断も下していくところにスタバの「矛盾」は存在しているのである。

このように考えると、シュルツは表向きは「コーヒーへの情熱」を語る熱い理想家でありつつも、同時に経営判断においては冷静なマーケターであるという側面を持っていることがわかるだろう。その2つのシュルツの顔が、スタバをグローバルチェーンへと仕立て上げた。

「純粋主義」対「顧客主義」はどこにでも起こりうる問題だ

『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きで走ったのか?』で書かれている話は、もしかするとテーマパークという巨大な場所に対する話で、遠い世界のことだと感じる人もいるかもしれない。実際、そこで動いている資本は、森岡が「スズメの涙」というときでも何十億円という額であり、私たちの金銭感覚からは大きく遊離した話のようにも思える。

しかし、ここで書かれている話を「純粋主義」対「顧客主義」の話として捉えると、それはテーマパークビジネスのような巨大なものでなくても、ミクロなレベルまで我々の生活の至る所で発生している問題なのだということがわかる。その顕著な例がスタバに見られるのである。

つまり、こうした問題は企業が新製品を取り入れる際にどのような選択をとるのか、という問題に接続することができるのだ。ビジネスパーソンの身近な場所にある問題と、その根は同じなのだ。


「うちの会社は、対面での販売を大切にしてきた会社だ。ネット通販を強化すると、うちの良さが損なわれるのではないか?」

「うちの会社は、お手頃の価格帯の商品が売りだった。今さら高価格帯の商品を販売しても新しい顧客を獲得できるかわからないし、もともといる顧客にそっぽを向かれるだけではないか?」

「うちの会社は、紙の書籍を何十年も手掛けてきた会社だ。WEBメディアに注力してしまうと、これまで紙で培ったブランド力や精神性が失われるのではないか?」

……などなど、事例を考えればいくらでも思い浮かぶ。そして、そのどれにも「その程度で損なわれるブランド力だったのか?」とか「そもそも消費者は、どの製品がどの会社の商品を知らない場合も多いのではないか?」といった、ツッコミを入れたくなるはずだ。

しかし、いざ「自分の会社の話」となると、われわれは「誤った純粋主義」「誤ったこだわり」の奴隷になってしまうのである。

さて、今回は番外編として、これまで私がスタバについて語ってきたことが、どのようにマーケティングの話に接続できうるのか、ということについて見てきた。スタバが歩んできた道のりには、マーケティングについての多くの示唆が眠っているのだ。

(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)