中国で知識人に人気の「単向街書店」が銀座店をオープンさせたのは、日本の中国人社会では一大事件だった(写真:筆者撮影)

「日本の警察はめちゃくちゃ友好的です。中国だと勝手にドアを破って入ってきますからね」

2023年春に北京から東京に拠点を移したばかりの郭氏(33歳、仮名)はそう呟く。若きドキュメンタリー映画の監督だ。かつて中国には、当局の審査を受けないインディペンデント映画としてドキュメンタリーを撮った監督が、欧米で賞を獲得しスターダムに登り詰めるというキャリアパスがあった。

だが、2012年に習近平政権がスタートして以降、記録映画業界は徐々に追い詰められて行き、北京、南京、雲南にあったインディペンデント映画祭は2020年までに全て終了となった。

「言論の自由」が移住の理由に

「日本に来たのは、作品の安全のためです。私の作品は未来の人に向けたものなのです」。彼が中国で撮った歴史をテーマとする作品は全て未公開のままで、採算は取れていない。日本に来た最大の理由は、自分が苦労して作った作品をせめて守り通すこと。

習近平国家主席に権力の一極集中が進む中で政治的なリスクが今後増大するだろうという判断、そして中国では人々が本当のことを言わなくなってきていることへの失望も祖国を離れた理由なのだという。

郭氏が知っている範囲だけでも、ここ3年ほどで自身を含め7人もの記録映画監督が日本へ渡った。特に2022年春の上海ロックダウン以降、雪崩を打ったように中国人が先進国などへ移住するようになってきている。これは「潤(ルン、英語のrunとかけている)」と呼ばれる現象で、富裕層や都市部のアッパーミドルクラスが日本にやってくるパターンが知られる(参考記事:中国から日本へ大脱出する「新富裕層」驚きの生態)。

「資産の保全」「良好な教育」以外に日本を選ぶ人々のもう一つの典型的な理由が「自由な言論空間」で、郭氏はその典型だ。

中国で有名な作家・コラムニストの賈葭氏もコロナ禍期間に日本へ移住してきた知識人の一人だ。賈葭氏はテンセント傘下のメディア「大家」を立ち上げ、北京・香港での生活をまとめた随筆集などの著作がある。今では東京大学教養学部の客員研究員も務める。2016年には、習近平国家主席の辞任を求める公開状に関連してか、一時消息を絶ったこともあった。

賈氏は2010年頃から「早発早移(=早く稼いで早く移民する)」という言葉を提唱し始めたことで知られる。今振り返るとある種の体制批判だったのだという。

「辛亥革命」前後の状況と通じる

最近中国人知識人が日本に相次いで移住してきている現象については、辛亥革命(1911年)の前後、1895年〜1920年代半ばごろの状況と似ているところもあるとみる。

当時、魯迅、梁啓超、孫文といった進歩派の中国人の文学者、思想家が日本に滞在していた。混沌とした清末〜中華民国初期にあって、彼らは日本で貪欲に西洋思想を身につけた。東京では、清朝打倒を目的とする中国同盟会が設立され、横浜では「清議報」や「新民叢報」といった雑誌や新聞が誕生した。

日本側も中国の動向に関心を持ち、政界では犬養毅が、民間では宮崎滔天や梅屋庄吉といった人々が反体制派の中国人を側面支援した。

賈氏は、日本で中国人知識人が増加していることから、今後は中国の教材を使わない中国人学校、中国政府の影響を排した中国系メディアアプリ、中国系出版社などが日本に登場する可能性があると予測する。

実際に、中国で20年以上出版業界で働いた経験があり、「潤」してきたばかりの張適之氏は2023年12月に自ら起こした「読道社」から簡体字の本を2冊出版した。「中国人知識人が東京に集合するようになったと感じたことが出版のきっかけになった」と話す。

さらに特筆すべきことに、東京では中華系書店の本格進出が目立つようになってきた。しかも、それぞれイベントの開催に力を注いでおり、コミュニティの形成が着実に進んでいる。

中国国内で独立書店チェーン「単向街書店」を運営する許知遠氏が、その仕掛け人の一人だ。中国を代表する知識人で、故・坂本龍一氏をはじめとする世界のオピニオンリーダーと対話してきたことで知られる。長身で7頭身はありそうな、芸能人のような風貌の人物だ。


「単向街書店」を運営する許知遠氏は中国を代表する知識人。故・坂本龍一氏とも交流があった(写真:単向街書店)

許氏らは、2023年8月に東京・銀座に初の海外店をオープンした。独立書店とは大手チェーンに属さない特色のある書店で、オーナーの独自色が打ち出されている。

ここでは、主に中国で出版された書籍を扱い、日本語や英語の本も販売している。日本人が普通イメージする個人書店とは違って、外見や内装はとにかくオシャレ。エントランスの縦に長い自動ドアと螺旋階段、そして吹き抜けが開放感を演出する。

カフェ機能も備えるほか、2階では思想家や作家を呼んで毎週のようにイベントが開かれている。中国でよくみられる独立書店そのものだ。最近は、書籍購入やイベントの際に割引が受けられる会員制も導入した。

店内でインタビューに応じた許さんに問うてみた。「どうしてあなたを含めた中国人知識人はこんなにも日本に注目するんですか?」。

「今でも日本が鏡だからです」と許さんは回答する。「清朝末期、日本は大国でした。(当時、ロシアに戦争で勝利するなど)日本は西洋にインパクトを与えました。日中両国には似たところも似てないところもあります。さらに20世紀には日中間で大きな戦争も起きました」。

日本の近代は避けて通れない

中国の問題を考えるとき、日本の近代は避けて通れない、というのが中国人知識人の共通認識だ。

日本にやってきた中国人知識人はどのような暮らしをしているのか? 多くは目立たないように過ごしている。親戚がまだ中国にいる、もしくは本人がまだ時々中国に帰国するような場合は、より一層慎重な言動に努めている。

去年から都内のURで暮らし始めたばかりのある中国人ジャーナリストは「東京に来た知識人には、靖国神社を訪ねる人が多いです」と明かす。靖国神社は中国では徹底的に否定されている存在なので、実際にどんなところなのか見てみたいとの好奇心がわくのだそうだ。

前出の張氏は、先日、江戸末期にアメリカに開港を迫られた静岡県下田市まで車で行ったと話していた。こちらは、中国の近代化がなぜ日本の明治維新のようにスムーズに行かなかったのかという疑問から出発している。

単向街書店銀座店について、許氏は文化交流の場になってほしいと言う。日中だけでなく、韓国やタイ、フィリピンなどを含めた「アジアの書店」にする目標を掲げる。「政治ももちろん非常に重要ですが、表面的でもあります。文化は非常に深くて、長期的に影響を及ぼします」。

1970年代生まれの許氏が中国における環境の変化を説明する。「中国では2000年以降の経済成長に伴って知識分子が影響力を失いました。ここ10年はスターを中心とするエンタメの興隆もあり、知識分子の存在がさらに周縁に追いやられました」。

許氏ははっきり語らないが、中国では過去10年で当局によるコントロールによって言論空間がグッと縮まり、社会問題を真剣に議論するような雰囲気は雲散霧消した。

国際ランキングでの躍進とは裏腹に、許氏の目には、教育システムの硬直化により、中国の大学の質は悪化していると映る。その中で独立書店が提供する空間は実はますます重要になってきているとの見方だ。銀座店でも、日本などで良好な教育を受けた若い在日中国人が来るようになると期待を寄せる。

東京に「知識人」が集まってきている証左

それだけにとどまらず、2023年12月には中国人社会活動家の趙国君氏が神保町に「アウトサイダー中文館(中国名は「局外人書店」)」をオープンした。中国語の絵本を取り扱うほか、店内で自由に本を閲覧でき、会員になると本を借りることもできるのが特徴だ。


神保町に「アウトサイダー中文館(「局外人書店」)」をオープンした趙国君氏。店内で自由に本を閲覧でき、会員になると本を借りることもできる(写真:筆者撮影)

開店を前にクラシック音楽の流れる店内でインタビューに応じた趙氏は、薄縁の丸メガネをかけ、左手に収まった木製パイプと相まって、いかにも知識人という風貌だった。

開店理由については、「書店は、元来私のような読書家にとっての夢と理想です。2022年に日本に来て生活が落ち着いた後、自分の好きなことややりたいことをやりたいと思いました」と語る。

自身は学者にはならなかったものの、法律学者を招くサロンを長く運営した経験があり、そのことも書店を開くきっかけとなった。

開店当日に開かれたオープニングセレモニーには多くの新華僑や近年日本に渡ってきた人々が駆けつけ盛況だった。さらには、中国を代表する著名なリベラル系法律学者、賀衛方氏がオンライン参加していた。また開店は、中国の著名思想家である胡適(1891〜1962年)の誕生日に合わせるというこだわりぶりだ。

さらに、「東渡飛地」書店が2024年3月に東京・市ヶ谷でオープンする見込みだ。「飛地書店」はもともと香港メディア端伝媒の創立者でジャーナリストの張潔平氏が2022年に台北で1店目を立ち上げた。

「東渡飛地」は、フルオープンを前にした現在、新宿御苑前駅近くのアナーキズムをテーマとするショップ「イレギュラー・リズム・アサイラム」の一角で書籍やグッズを販売中だ。関係者によると、「東渡飛地」では、主に台湾や香港で出版された本を扱う予定とのこと。インディペンデント映画の上映会やスタンドアップコメディのライブも企画する。

都内で華語書籍を扱う店には神保町の老舗である内山書店や日本橋に進出した台湾の大手チェーン誠品書店などの前例があるが、単向街書店のような本格的な華語書店が相次いで開店することそれ自体が、中華圏から東京に少しずつ知識人が集まってきている証左と言えるだろう。

(舛友 雄大 : 中国・東南アジア専門ジャーナリスト)