頭がバグって子どもを殴る・蹴る・馬乗りする極悪非道な親…幼少期から"ごみ箱奴隷"扱いされた40代女性の絶望

ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。
そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。
今回は、暴言・暴力をふるう父親と、愚痴や悪口ばかりの母親の搾取子として育てられた、現在40代の女性の家庭のタブーを取り上げる。
■暴言や暴力をふるう父親
関東地方在住の高戸禎子さん(仮名・40代・既婚)の両親は、中学校時代の同級生だった。高校を卒業後、社会人になって数年後に再会して交際が始まり、20代半ばで結婚。20代後半の頃に高戸さんが生まれ、2年後に妹が生まれた。
メーカーに勤務する父親は、外面は良いが家の中ではすぐに不機嫌になり、家族を無視した。父親の不機嫌は一度始まると1週間ほど続き、無視期間は月に一度ほど発生していた。
「父は家族以外からは明るくいい人だと思われていたようですが、一度怒り出すと子ども相手でも平気で怒鳴り散らす人でした。ただ、無視は家族全員が対象ですが、怒鳴る相手は母と私だけ。そして殴る蹴るの暴行は私にだけ行いました。妹には甘く、暴言や暴力を振るう姿を見たことがありません」
父親は高戸さんが3歳くらいの頃から、「生意気ばかり言うんじゃねえ!」「反抗ばかりしやがって!」「メソメソ泣くな!」と怒鳴ってはゲンコツやビンタをし始め、小学生になると同時に蹴られるようになった。
「明るく楽しい父であるときも少なくなかったのですが、いつ急変して怒り出し、キレたり無視されたり難癖をつけられたりするのかわからず、家の中では常に神経を張り詰めていたように思います。まるで地雷と共に暮らすような感覚でした」
高学年になって勉強が難しくなり、わからないところを父親にたずねたときには、突然怒り出して椅子ごと蹴り倒され、馬乗りになって殴られ続けた。
その間、母親は黙って見ているだけ。それどころか「お父さんはアタシには絶対に暴力をふるわないのよ!」と謎のマウントを取ったり、父親に暴力をふるわれている高戸さんを見捨て、妹だけ連れて避難したりすることもあった。
■母親のゴミ箱係
母親は極度の心配症で、テレビや雑誌で病気のことを知る度に、「こんな病気になったらどうしよう!」「ああなったらと思うと怖くてしょうがない」とまだ罹ってもいない病気に対する不安を高戸さんにぶつけた。
「母は当時としては結婚も出産も遅かったらしく、『周りがどんどん結婚・出産しているのに自分がなかなかできず、焦っていた』と言っていました。地方公共団体の職員でしたが、寿退社して専業主婦になると、『あなたたちのために、私は仕事をせず専業主婦をしている』と言い聞かされました」
高戸さんが物心ついた時、すでに両親の仲は悪く、母親は口を開けば病気不安や父親の愚痴、他人の悪口ばかり。しかもそれを聞かされるのはいつも高戸さんだった。
「母はどうやら、『夫の悪口を子どもに聞かせてはならない』と頭ではわかっていたようです。そのため、父の悪口の最初には『アタシはね! 子どもに夫の悪口を聞かせてはダメだってわかってるのよ!』という枕ことばをちゃんとつけました。これは『私は本当はわかってる。だから私は悪くない』と自分自身に言い聞かせるための儀式だったのでしょう」

父親は、家では気に食わないことがあると突然激怒することがあるため、母親も高戸さんも腫れ物のように扱っていた。しかも父親は外面だけは良い人であり、母親自身も世間体を気にする性格だったため、自分の夫の悪口を他人に聞かせるという選択肢はなかった。
「両親は妹には一切攻撃しなかったので、ノーダメージです。母が吐き出す愚痴や悪口のゴミ箱係は私だけでした……」
妹は泣いてもすねても「かわいい、かわいい」と両親から手放しで溺愛されていたが、高戸さんは容姿を笑われ、何を言っても「生意気だ」と怒鳴られ、殴られていた。
しかも母親は、要らぬ心配をする割には、父親から暴力をふるわれる高戸さんを庇ったことは一度もない。
「母は、私に暴力をふるう父をいさめないどころか、父を必死で正当化し、『アタシたちはお父さんに養ってもらってるんだから我慢しなさい!』などと私に言い聞かせました。母は、父から虐待を受ける子を守るよりも、父と結婚生活を続け、専業主婦でいられる環境を守ることのほうが大切だったのです」
母親は自分の夫が暴虐的であることを必死で否定し、「アタシはあんたたちのためにお父さんとは別れないの!」と、“本当は別れたいけど、別れられないのはあんたたちのため”と子どものせいにした。
幼い高戸さんは、「私が存在しているせいで、お母さんはあんな怖いお父さんと離れられないんだ……」「お母さんがつらいのは自分がいるせいなんだ……」と自分を責めた。
「人は限界を超えたストレスを抱えると頭がバグって、やっちゃいけないことを平気でやってしまうのかもしれませんが、それにしてもやることの質が悪すぎますよね。母には自分のせいで子どもが罪悪感に苦しむと想像できなかったのでしょうか……? それとも意図的に罪悪感を持たせ、子を自分の味方に引き入れようとしていたのでしょうか……? だとしたら、極悪すぎますよね」
■「私の父はもしかして異常ではないか」
小学生のとき、高戸さんは友達に、「うちのお父さんはやさしいよ」と言われたことがきっかけで、「もしかしてみんなのお父さんは怖くないの?」という疑問を持ち、クラスメイトに父親のことを聞いて回った。すると、父親に暴力を振われたことのある子は一人も見つからなかった。
「私の父は異常だということに気付き、愕然としました。祖父母も親戚も世間体ばかりを気にする冷たい人たちで、『子どもは親に孝行をするものだ』という考えで凝り固まっていましたし、父から庇ってくれない母を信頼できない私には、他人を頼るという発想自体、できませんでした。私は異常な鬼父の棲む家で、経済的に自立するまで暮らさなければならない。その残酷な現実に大きなショックを受けました」
やがて高戸さんは、自分の境遇について考えることをやめることにした。「考えるのをやめること」が、逃げることも一人で生きることもできない子どもだった高戸さんができる、唯一の対応策だったのだ。
高戸さんは現実逃避をするために、かわいいキャラクターグッズをお小遣いで買い求め、その世界に没頭するようになった。
しかしそんな努力も虚しく、あるとき父親が高戸さんの部屋を訪れると、「あーあ! ガキは暇でいいよなあ! そんながらくた散らかしてんじゃねえ! 今すぐ捨てろ!」と言い、“宝物たち”を捨てさせた。
「父親に絡まれると私は、自分の命を守るフェーズに突入します。『これはゴミなんだ』と思考停止し、黙ってゴミ箱へ捨てました。以来、私は大切なものをコレクションするという概念がよくわからなくなってしまいました。恐らく、自分の大切なものを大切だと思える心までも鬼父にゴミ扱いされてしまったからだと思います」
■「本来の私」を殺していく母親
高戸さんは小学校に上がった頃から、毎日遊ぶ暇がないほどの習い事をやらされていた。その上、コンクールなどでは常に結果を出し、学校の成績も常に上位であることを強いられた。それができなければ、容赦ない叱責と追加の課題を指示され、場合によってはより厳しい習い事への変更や、塾の追加受講が決まることもあった。

「妹は見た目が良く、両親からかわいがられていたので性格もまっすぐ育ち、存在しているだけで母にとっては自慢の種で、“そのままの姿”で許されていました。しかし私は見た目が悪く、気が強くて全くかわいげのない子だったのです。なので母は、『この醜くかわいげのない子を自慢できる子に仕立て上げなければならない』と思ったのでしょう」
筆者も子どもの頃、母に「かわいげがない」とよく言われた。そのせいか自分は今でもかわいげがない人間だと思っているが、最近娘から「お母さんかわいいよ」と頭をなでられて喜んでいる。おそらく高戸さんも同じように、母親からかけられた呪いのせいで、40代となった現在も自分はかわいげがないと思い込んでいるのだろう。
新しい塾に行くことになると、決まって母親は高戸さんを伴って講師室に乗り込んだ。そして大声でこう挨拶するのだ。
「この子は本当にバカでどうしようもなくて困っているんです! 先生方には本当にご迷惑をおかけしますが、このバカが少しでも治りますように、毎日居残り特訓してください! どうぞよろしくお願いします!」
頭を下げると母親は颯爽と去り、高戸さんは一人残される。教員たちは驚きと気の毒そうな表情で戸惑っており、高戸さんは恥ずかしさといたたまれなさで顔を上げることができなかった。
「“そのままの姿”で許される妹と違い、私は母から課せられたものに対して、すべて優秀な結果を出さないと“この家にはいられない”という強烈なメッセージを常に感じていました」
本来の高戸さんは、一人で空をぼんやり眺めながら空想したり、家でのんびり絵を書いたりして過ごすのが好きな子だったが、その“本当の自分”の存在は許されなかった。
高戸さんは6歳くらいの頃、一度だけ母親にお願いしたことがある。
「お母さんと窓辺で景色を見ながらおしゃべりしたい。2人だけでゆっくり過ごしてみたいな」
しかし言い終わるか終わらないかのタイミングで、「うるさい! そんな暇ない!」と遮られた。それ以降高戸さんは、自分の気持ちを母親に伝えることをやめ、自分の本当の気持ちを押し殺すようになった。
■絶望の高校時代
高戸さんが中学生になると、両親は自分たちの学歴コンプレックスから、膨大な量の勉強を強要。高戸さんは、異常な家庭から逃れたい一心で勉強に没頭し、無事志望高校に合格することができた。

ところが、入学した高校はハイレベルかつ膨大な学習量で有名な進学校。高戸さんは必死で授業についていこうとするが、高校受験ですべての力を使い果たした、いわゆる“燃え尽き症候群”の状態に陥っていたため、だんだん登校することができなくなり、ついに不登校になってしまう。
当然父親は「甘えるな! ふざけるな! 学校へ行け!」と怒鳴り散らし、母親は泣きわめく。
「両親は、いつもは私のことを粗末に扱うくせに、進学校に合格したときだけ自慢の道具として全力で利用しました。“難関校に合格した自慢の種”が、不登校などという恥ずべき烙印(らくいん)を押されることは、彼らには決して許されないことでした」
朝から怒鳴り散らす父親、泣き叫ぶ母親に取り囲まれながら、高戸さんは布団に包まって耳を塞いでいた。(以下、後編に続く)
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
