キハ40形北海道色の鉄道コーデの服探しには半年がかかった(写真:柚子@_yuzu_40)

ツイッター(現X、以下ツイッター)に、鉄道車両の車体色と同じファッションコーディネートを投稿し話題を呼んでいる女性がいる。首都圏在住の20代会社員という投稿主の柚子さんは、着鉄(きてつ)と名付けたその鉄道コーデについて「着鉄は本人かわいくてヨシ、見つけた周りの乗客楽しくてヨシ、鉄道会社に運賃収入あってヨシの三方良しで、近江商人もニッコリのジャンルなのです」と魅力を語る。

柚子さんの鉄道コーデは北海道のキハ40形にちなむものが多いことから、ツイッターのコメント欄には「北海道のヨンマルの妖精さんですか?」、「北海道の鉄道愛をものすごく感じます」などとファンからの賛辞の声も相次ぐ。そんな柚子さんに「着鉄」の魅力について話を聞いた。

国鉄一般色から着想を得た初めての鉄道コーデ

「キハ40国鉄一般色の色合いが可愛い!洋服選びに使えそう!」――。

朱色とクリーム色のツートンカラーをまとった国鉄一般色のキハ40形を見て、柚子さんはひらめいた。これが「着鉄」を始めたきっかけだ。もともと「かわいい服を考えたり着たりすることや、好きなもの(推し)の色を持ち物などに取り入れることが好きだったことが、鉄道コーデの発想の土台となっていたのではないか」と当時を振り返る。

当初は鉄道コーデを着ることまでが目標で、着ながらその色の車両に乗るということまでは考えていなかったが、たまたま旅先の北海道で国鉄一般色のキハ40形に乗りあわせる機会があり「旅先で着てみよう」という軽い気持ちで着てみたところ、思いがけない楽しさを感じることになった。

こうしたことから、鉄道コーデの服装で実際にその車両に乗りに行く活動を「撮り鉄」や「乗り鉄」にならって「着鉄」と名付け、楽しんでいくことに決めたという。

柚子さんが、鉄道コーデを考えるにあたってこだわっている点は、車両の塗装の位置に服装の色を合わせることだ。例えば、地の色はシャツに、帯の色はスカートに配色することで、元の車両の配色が与える印象をなるべく生かすように工夫を重ねている。

初めての国鉄一般色コーデでは、車体の朱色とクリーム色の明るさや鮮やかさに近い洋服を探すことが大変だった。買い物の際に、実車と洋服を直接見比べることができないことから、スマートフォンの画面に表示された車両の写真と照らし合わせながら洋服を選ぶことになる。

しかし、写真の色合いは日の当たり方や露光の加減などに影響され、実車の正確な色合いが手元の画面上では再現されない。そうした中で、自身の記憶も頼りながら洋服を選ぶのは「本当にこの色でいいのかな」と悩ましい作業だったという。洋服についても無限のカラーバリエーションがあるわけではないので、国鉄一般色コーデを実現させるためには根気強い服探しが必要だった。

結果的にはどうしても実車と洋服の多少の差異は生まれてしまうそうで、実際に着てみると「少し違うかな」と思うこともあるというが、最終的には「服としてのまとまりや自分自身の満足があれば作品としてはヨシ」としているとのことだ。


初めての鉄道コーデはキハ40形国鉄一般色(写真:柚子@_yuzu_40)

鉄道系ユーチューバーがきっかけで鉄道ファンに

そんな柚子さんは、もともとは電車と気動車の区別もままならない鉄道素人だった。しかし、2年ほど前にある有名な鉄道系ユーチューバーの動画をたまたま目にしたことがきっかけで鉄道ファンになった。動画では、線路や駅が明治以降の近現代史を如実に物語ってくれていることに気づき、もともと近現代史が好きだったという柚子さんの鉄道への興味をかき立てることになる。

例えば、線路形状が土木技術を、貨物ホーム跡が物流の歴史を、今も各地に残る長大ホームが往年の長大編成の列車の往来を、無人駅の窓口跡が昔の出札風景を、国鉄型車両のボックス席や扇風機や灰皿跡が昭和の旅行事情を教えてくれるという。

こうして鉄道への興味を深めた柚子さんは、旅行の交通手段をなるべくクルマから鉄道に切り変えることになる。そして、目的地に行くこと以外にそこまでの鉄道利用も楽しみに加わったため、モチベーションが上がり旅行の頻度が上がることとなる。

特に好きなのが北海道の鉄道で、その特有の車窓と旅情、明治以降の入植と開拓の歴史に惹かれてしばしば北海道を訪れている。そうしたことから必然的に北海道のキハ40形気動車に乗る機会も多くなり、その顔やシルエットだけではなく、内装や座り心地も好きになった。

北海道旅行中は、北海道を切り開いた先人の労苦や栄枯盛衰に思いを馳せることが多いという。特に、有名な常紋トンネルを含む石北本線の上川―北見間では建設が難工事だったことや、遠軽町など沿線には開拓に苦労したという歴史があることから、そうした集落や駅、あるいは集落跡と廃止となった旧駅跡を流れゆく車窓から眺めながら、沿線の開拓と鉄道の敷設に捧げられた労苦をしのんでいる。

北海道のキハ40形をモチーフにしたコーデ

北海道好きの柚子さんは、これまで北海道を走るキハ40形の国鉄一般色、北海道色、首都圏色、宗谷線急行色などの鉄道コーデをツイッター上で発表してきた。

国鉄一般色の次に取り組んだのが北海道色コーデ。「もっとも色味に苦戦した」といい、独特の萌黄色と淡い青紫色は洋服の生地としての採用例が少ないため調達難度がとても高く、店頭やフリマアプリで服を探すのに半年ほどかけた。洋服を一度買ったものの「やはりこの色じゃないな」と没にした品もあるそうだ。

首都圏色では、唯一内装を取り入れた。首都圏色は外装が朱色一色なので朱色のワンピースにすることは早々に決めていた。しかし、「全身一色というのは芸がない」「朱色一色は旅行する恰好として浮いてしまう」と考え、キャミワンピとブラウスという合わせ方でもう一色を加える工夫をしたという。もう一色には内装から座席モケットの紺色を採用し、首都圏色を表現した。

そして2023年9月の北海道旅行ではこれまでの集大成として宗谷線急行色のコーデを発表。車体上部の黄緑帯と車体下部の赤帯を表現するために、初めて小物を取り入れるという工夫をした。宗谷線急行色で用いられている4色を表現するにあたっては、今までのようにすべて洋服の生地の色で表現するのは困難と考え小物を検討。その結果、窓上の黄緑帯は髪のリボンで、窓下の赤帯は腰のベルトで表現している。


座席モケットも表現した首都圏色コーデ(写真:柚子@_yuzu_40)

こうして工夫を重ねた宗谷線急行色のコーデは、その撮影にもこだわった。宗谷線急行色のキハ40形に夏服で乗れるのは今季最後の時期に差し掛かっていたこと、また来春のダイヤ改正後の車両の去就がわからないことから、「人生最後のチャンスとなる可能性もあり逃すわけにはいかない」と考えた柚子さんは、9月6日に撮影を決行。宗谷線急行色の運用については、撮影の数日前に目撃情報から計算して突き止め、富良野駅を6時23分に発車する滝川行の始発列車を狙うことにした。

北海道へは9月5日夜に新千歳空港到着便で来訪。この日は、航空便の遅延もあり最終列車に間に合わなくなるのではないかと「気を揉んだ」というが、まずは、新千歳空港駅を22時53分に発車する最終列車で富良野に近づける限界の岩見沢駅へ。すでにレンタカー店も閉まっている時間ではあったものの24時間利用可能なカーシェアに着目。岩見沢駅からはカーシェアを利用し富良野駅を目指すことにしたという。

「キハ40形の地域色を網羅したい」

岩見沢駅に着いたのは日付が変わった午前0時半ころだった。そこからカーシェアのクルマで夜道を走り富良野駅に着いたのが午前2時半ころ。その後、柚子さんは車内で仮眠をとり身支度を整えて、宗谷線急行色のキハ40形が充当された富良野発滝川行の始発列車に乗車することに成功。しかし、カーシェアの返却やその後の旅程に支障を来すことから1駅先の野花南駅で下車し、そのまま富良野駅へと折り返した。

柚子さんは、「宗谷線急行色の撮影については、早朝のたった1駅の乗車と着鉄のために膨大な手間と時間をかけたが、皆さんの反響はもちろん、何より自分自身で満足ができる作品を生み出せたことに無類の悦びを感じた」と振り返る。直近では新たにキハ40形四国色のコーデも発表しており、今後は「各地で昔から愛されてきたキハ40形の地域色や伝統色の作品を網羅していきたい」といい、「ほかの人の着鉄作品に触れられたらなお楽しいと思うので、このジャンルが共感を呼び広がってくれれば」と今後の期待を語った。


早朝の野花南駅で撮影した宗谷線急行色コーデ(写真:柚子@_yuzu_40)

(櫛田 泉 : 経済ジャーナリスト)