71歳で芸人の道に飛び込んだ、芸歴5年目の”若手芸人”おばあちゃん(撮影:尾形 文繁)

「私がマイクに触れると点滴に見えますが、マイクです〜」「けっして老人が病院と間違えて迷い込んだのではございません」このつかみから始まり、「朝おきて 今日も元気だ 医者通い」などのシルバー川柳を披露すると、若者で埋まった客席が笑いに包まれる――。

「おばあちゃん」(吉本興業所属)は芸歴5年目、76歳の“若手芸人”だ。2023年6月、芸歴10年目以下の芸人が所属する「神保町よしもと漫才劇場」の劇場メンバーになってからテレビや舞台の出演も増え、注目を集めている。71歳でお笑いの道に入ったおばあちゃんは今、孫ほど歳が離れた若手芸人に揉まれながら何に突き動かされているのか。

500組の中から劇場メンバーに合格

――76歳、デビューから5年目で「神保町よしもと漫才劇場(以下「神保町」)」のメンバーに合格しました。神保町のオーディションライブって、そもそも何組くらいの芸人が参加しているんですか。

(マネジャー)500組から600組くらいです。

――なんと! それだけの芸人たちが必死でしのぎを削って劇場メンバー入りを目指しているわけで、そこに合格したのは快挙ですね。

いえいえ、そんな……そもそも私はオーディションのルールも何も全然知らなくて。5年目までの若手芸人が出られるライブが渋谷の劇場(ヨシモト∞ドーム)で月に3回ほどあって、そこに出させていただいていたんです。

私としてはただ楽しみながらネタをしていたのですが、あるライブの次の日、男の子が「おばあちゃん、昨日受かってたね」って。「受かってたって何が?」「何言ってるの? あと2回ライブを勝ち上がったら、神保町の劇場メンバーになれるんだよ」って。

――そこではじめて、オーディションのライブだと知った(笑)。

それでもあまりピンときていなくて(笑)。よくわからないまま次のライブでも合格して、神保町で行われる入れ替え戦ライブに出られることになりました。

3回もライブに出られただけで満足していましたし、はなから受かるはずがないと思っていましたから、ライブが終わったらすぐ帰ろうと荷物をまとめていたんです。そしたら、合格者を貼りだした掲示板に人だかりができていて、「おばあちゃん、おめでとう!」って次々に声をかけられて。「私、何かしたの?」「この神保町のメンバーになったんだよ」「それ、どういうこと?」「おばあちゃんはいいよなぁ、能天気で」って(笑)。

――その後のご活躍はめざましく、さまざまな人気芸人とライブで共演したり、単独ライブも開催したり。

私自身は毎月新ネタを考えて、舞台で披露できるだけで本当に楽しいので、その一心で今も続けています。デビュー当時からお世話になっている作家さんも「おばあちゃん、とにかく気張らずに、楽しみながらやりなさいよ。変に(笑いを)狙わなくていいからね」と言ってくださいます。でも、そもそも何を狙ったらいいのかもいまだに理解できていなくて(笑)。


若手芸人たちとライブに出演するおばあちゃん(写真:吉本興業提供)

71歳で吉本の養成所へ

――今のような姿は、吉本総合芸能学院(NSC)に入学した当初は想像できていましたか?

とんでもない! 想像もしていませんし、そもそも吉本に受け入れてもらえるとすら思っていませんでしたから。

――その吉本、NSCに入ったきっかけは?

長年勤めていた会社を定年退職してから、高齢者劇団に所属していたんです。でも、まったくの素人で飛び込んだのでお芝居の基本がわからない。「板付き」と聞いて「カマボコじゃあるまいしどうやって板に付くんだろう?」とか、「はけろ、はけろ」と言われても「ほうきがないのにどうやって掃くの?」というレベルで(笑)。


(撮影:尾形 文繁)

それで、舞台の勉強をしたいと思っていろんなお芝居の学校に問い合わせたのですが、どこも「25歳まで」など年齢制限があって、すべて断られてしまいました。若い俳優さんを養成するのが目的だから当たり前ですよね。ところが唯一、「来ていいよ」と言ってくれたのがNSCだったんです。

――70歳を過ぎてNSCに入るのは異例中の異例。周りはびっくりしたのでは?

主人に「吉本に行きたい」と告げたときはびっくりされましたね。でも、「協力はできないけど邪魔はしないよ」と送り出してくれました。

入学前に、入学金を振り込みに銀行に行ったんです。金額が大きかったので「何をされるんですか?」と窓口で聞かれて、「学校の入学金です」「お孫さんの?」「いえ、私です」「どんな学校に行かれるんですか?「お笑いの学校です」って。

そしたら窓口の方の顔が「えっ」となって、上司のところに行って、私のほうをチラチラ見ながら何やら話している(笑)。幸い、合格証明書を持っていたのでそれを見せたらようやく納得してくれました。

――いや、その銀行員さん、真っ当な対応だと思いますよ(笑)。疑われるのは無理もないかと……。

あとは、入学の際に医師の健康証明書が必要なので、病院に取りに行ったんです。先生に「どこに出すんですか?」と聞かれたので「吉本です」と答えたらびっくりされて「大丈夫? 認知症になったんじゃないの?」って(笑)。「なんて書けばいいんですか?」「ぜんぶ健康だって書けばいいと思いますよ」って先生に指示しちゃった(笑)。

孫のような芸人たちと切磋琢磨

――いろいろあって、71歳でNSCに入学。実際に授業を受けてみていかがでしたか?

とにかく大変でしたね。みんなプロの芸人を目指していますから、授業も半端ではありません。発声の授業では腹筋を100回したり、「ちがーう!」と講師の大声が飛んだり。

――まさか、腹筋も若い生徒さんに交じって?

いえ、私は「マグロみたいに寝ていていいよ」って講師に言われて免除されました(笑)。でも、ダンスの授業はなんとかついていこうと必死でしたね。

――それでNSCを無事卒業され、翌年から芸人デビュー。先ほどおっしゃった渋谷の劇場に定期的に出演するのですね。

毎月新ネタを書いては、舞台で披露して、若手芸人の面倒を見てくれる作家さんにアドバイスをもらう、の繰り返しでした。

でも、せっかく徹夜してネタを作ったのに、舞台に上がるとセリフがポーンと飛んじゃう(笑)。それで、作家さんから「短冊に川柳を書いて持っていれば忘れないんじゃない?」とアドバイスをいただいて、今のシルバー川柳のネタができました。

――ネタを毎月作って、舞台に立ち続ける。それだけでも大変なことです。

あとは、名もない若手芸人のライブですから、お客さんがぜんぜん入らないこともあります。そんなときは渋谷の劇場の前でチケットを手売りするんです。

――おばあちゃんもやっているんですか!

何事も経験だと思って、若い子たちに「私も連れていって」と頼んで一緒に手売りしていました。夏のものすごく暑い日で、劇場のスタッフがすっ飛んできて「やめさせろ! おばあちゃんが熱中症で倒れたらどうするんだ!」って、その子たちが怒られちゃった(笑)。申し訳ないことをしましたね。

あとは、私みたいな高齢者が必死で勧誘するものだから、「あんた、もしかして壺でも買わせる気でしょう?」って疑われたこともありました(笑)。

「腰パン」は「こしあんの入ったパン」かと

――こうしてメディアにも取り上げられる機会も増え、知名度も上がってきたのでは? ファンレターやプレゼントをもらったり。

いえ、私なんてまだまだ! ただ、EXITさんやジャングルポケットさんなどと共演させていただく機会があったのですが、劇場を出るときに出待ちしている彼らのファンの子たちから「おばあちゃーん!」と手を振ってもらえて。

あと、舞台で「大福が好きなんです」と話したら、ライブを観に来ていた若い子が「大福を探し回ったんだけど見つからなくて……」ときんつばをくれました。うれしかったですね。

――ファンの皆さんもそうですが、周りの芸人も孫ほど年齢が離れていますよね。それこそ育ってきた時代も価値観もぜんぜん違う。

全然違いますよ! 今の子たちの言葉だって意味がわからないじゃないですか。6月に私が神保町のメンバーになってから、ある芸人が「おばあちゃん、バズったね!」って言うから「え……私、何か悪いことでもした?」って。あと「腰パン」も「こしあんの入ったパン」だと思って(笑)。

――若者の言葉は難しいですよね(笑)。

あと、吉本って上下関係が厳しくて、後輩が先輩の弁当やジュースを買ってくるとか、ありますよね。この間、芸人たちが私の前で話していましたよ。「お前、おばあちゃんは後輩なんだから酒やタバコを買ってこい、って言えるよな?」「い、言えません!」って(笑)。

今の子たちは本当に優しい

――年齢のギャップを生かしてうまく溶け込んでいるんですね。でも、特に40代、50代の中には、今の「Z世代」と呼ばれる若い部下とどう接したらいいかわからない、と悩んでいる人は多いんです。何かコツはありますか?

いや〜、あまり意識したことはないのですが……わからないことは素直に聞く、ということですね。これでも芸歴5年目の若手芸人で、私にとっては皆さん“先輩”ですから。


楽屋で若手芸人とくつろぐおばあちゃん(写真:吉本興業提供)

吉本に入るまではガラケーでしたから、吉本のスタッフの方にスマートフォンの使い方を教えてもらいました。「ここでパスワードを打って……」「なんでパスワードを打つんですか?」って、1時間くらい(笑)。あと、YouTubeっていうんですか? あれも見方がわからないので、マネジャーに私でも観られるように送ってもらったり。

――そうやって素直に人を頼れるって、できそうでできないことです。

私、プライドありませんから。とにかく芸歴も下だし、ライブでもすぐトチっちゃうから、若い子たちにみんな助けてもらっています。本当に今の子たちは優しいですよ。

(堀尾 大悟 : ライター)