光をまとって生まれた皇子(写真:星野パルフェ/PIXTA)

輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。

紫式部によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』。光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵が描かれている。

この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 1 』から第1帖「桐壺(きりつぼ)」を全6回でお送りする。

光源氏の父となる帝の寵愛をひとりじめにした桐壺更衣。病弱で、後ろ盾もない桐壺は、帝に愛されれば愛されるだけ、周囲の目に気苦労が増えていき……。

「桐壺」を最初から読む:愛されれば愛されるだけ増えた「その女」の気苦労

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桐壺 光をまとって生まれた皇子

輝くばかりにうつくしいその皇子の、光君という名は、
高麗の人相見がつけたということです。

ふたたびの病

さて、桐壺(きりつぼ)の産んだ若宮が三歳になり、袴着(はかまぎ)の儀を行うことになった。先に儀式を行った第一皇子に引けをとらないよう、という帝(みかど)のはからいで、内蔵寮(くらづかさ)や納殿(おさめどの)からありったけの宝物を出して盛大に行われた。これにもまた、あちこちから非難の声が上がった。けれども、成長するにつれてはっきりしていく顔立ちも性質も、抜きん出てすばらしいこの若宮を、だれも憎めないのである。もののわかる人ならば、このような方がよくこの世にお生まれになったものだと、ただ呆然と目をみはるばかりである。

その年の夏、桐壺御息所(きりつぼのみやすどころ)はふたたび病にかかってしまった。療養のために実家に下がりたいとお願いするも、帝はいっこうに許可しない。この数年、ずっと病気がちだったので、帝にとってはそれがふつうのこととなっていたのである。「このまま、もうしばらく様子を見なさい」とくり返し言い聞かせているうちに、病気は日に日に重くなり、わずか五、六日のうちに急激に衰弱してしまった。女の母君が泣いて帝に嘆願し、やっとのことで実家に下がれることとなった。このような時でも、また嫌がらせをされるかもしれない、その巻き添えにするわけにはいかないと彼女は考え、若宮は宮中に置いていくことになった。

いつまでも引き止めておくことはできないとわかってはいるものの、身分がら、見送っていくこともできないことを帝は嘆き悲しんだ。みずみずしくうつくしかった愛する人が、今はすっかりやつれてしまっている。深い悲しみを胸に抱いて、それを言葉にすることもできず、意識も朦朧(もうろう)としている女を見て、帝は、もはや分別もなく、思いつく限りのことを泣く泣く約束する。女はもう答えることができない。目には力もなく、いっそうつらそうに、今にも息絶えそうな様子で横たわる女を前に、帝はどうしたらいいものか途方に暮れるしかない。いったんは、女を輦車(てぐるま、車のついた輿)に乗せる宣旨(せんじ)を出したのに、また部屋に戻って、どうしても女のそばを離れることができないでいる。

「運命が決めた死出(しで)の道をも、ともに旅立とうと約束したではないか。いくらなんでもこの私を残してはいかないね」

と言う帝の言葉を聞き、あまりにも悲しく思ったのか、女も息も絶え絶えにささやいた。

「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
 (定められたお別れの道を悲しく思います、私の行きたいのはこの道ではなく、生きていく道ですのに)
 こんなふうになるとわかっていましたら……」

と、その先はもう言えずにいる。いっそこのまま、ここですべてを見届けたいと帝は思うが、宮中に死は禁忌(きんき)である。

「今日からはじめる祈禱(きとう)の数々を、すでにしかるべき僧にお願いしてあります。今晩からはじめますので」

と周囲にせき立てられ、帝は胸が張り裂けそうな気持ちで女の退出を許可した。


「桐壺」の人物系図

大人たちが泣き惑う中

深い悲しみに沈み、帝は眠ることもできず、夏の短い夜に目をこらす。女の実家に遣わせた使者がまだ戻らないうちから、帝は不安な気持ちをしきりにつぶやいていた。

その頃、女はすでに息絶えていた。お付きの人々が泣き騒ぐ女の実家から、気落ちして戻ってきた使者は、

「夜中を過ぎる頃、とうとう息をお引き取りになりました」と伝えた。それを聞いて帝はひどく取り乱し、もう何も考えることができず、部屋に閉じこもってしまう。

せめて女の遺(のこ)した若宮は手元に置いておきたいと帝は願った。けれど母親を亡くし、喪に服す者が宮中に留(とど)まるなど、前例のないことである。若宮も女の実家に下がらなければならない。

その若宮は、何が起きたのかまるでわからず、大人たちが泣き惑うだけでなく、帝まで涙を流し続けているのを不思議そうに眺めるばかりである。通常の場合でも母親と死に別れることはとてつもなく悲しいものだけれど、こんなふうにまだ何もわからない様子なのが、よけいに人々の悲しみを搔き立てる。


しきたりの通りに葬儀が行われ、亡骸(なきがら)を荼毘(だび)に付すことになった。母君は、娘の亡骸を焼くその煙といっしょに空に消えてしまいたいと泣き、野辺(のべ)の送りの女房の車を追いかけて無理やり乗りこみ、愛宕(おたぎ)という、厳かに葬儀の行われている場所に向かうが、いったいどんな気持ちであったことでしょう。

「亡くなったあの子の姿を見ても、まだ生きているように思えてならないのです。いっそ灰になるのをこの目で見れば、この世にはもういないのだときっぱりあきらめもつくことでしょう」

と健気(けなげ)にも言うが、車から落ちそうなほど全身で嘆き悲しみ、周囲の人々もどうしたらいいものやら、声をかけることもできない。

「なくてぞ」

そこに帝からの使いがやってきて、桐壺に三位(さんみ)の位を与えると、勅使が宣命(せんみょう)を読み上げる。そんな誇らしいことも、しかし悲しみを増すだけだった。生きているあいだに女御(にょうご)の位にしてあげることもしなかった、そのことが帝の心残りだった。せめてもう一段だけでも上の位に、と考えての追贈だろう。このようなはからいにも、すでに亡くなった人をまだ憎む女たちも多い。けれども、ものごとをわきまえている人は、桐壺更衣の姿や、うつくしい顔立ち、気立てのよさやこまやかな心遣い、憎もうにも憎めなかったその人柄に、今さらながら気づくのであった。見苦しいほどの帝の溺愛ぶりに、つい嫉妬してしまったけれど、やさしくて思いやり深かった桐壺を、帝のそば仕えの女房たちもみな恋しく思う。「なくてぞ」(「あるときはありのすさびに憎かりきなくてぞ人は恋しかりける」その人が生きている時はそこにいることが当たり前になってしまい、憎く思うことさえあったが、いなくなってしまった今は心から恋しい)とは、こういうことかと思うのだった。

次の話を読む:「亡き桐壺」に囚われる帝と母、それぞれの長い夜


*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

(角田 光代 : 小説家)