光をまとって生まれた皇子(写真:星野パルフェ/PIXTA)

輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。

紫式部によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』。光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵が描かれている。

この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 1 』から第1帖「桐壺(きりつぼ)」を全6回でお送りする。

光源氏の父となる帝の寵愛をひとりじめにした桐壺更衣。病弱で、後ろ盾もない桐壺は、帝に愛されれば愛されるだけ、周囲の目に気苦労が増えていき……。

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桐壺 光をまとって生まれた皇子

輝くばかりにうつくしいその皇子の、光君という名は、
高麗の人相見がつけたということです。

目ざわりな者

いつの帝(みかど)の御時(おんとき)だったでしょうか──。

その昔、帝に深く愛されている女がいた。宮廷では身分の高い者からそうでもない者まで、幾人もの女たちがそれぞれに部屋を与えられ、帝に仕えていた。

帝の深い寵愛(ちょうあい)を受けたこの女は、高い家柄の出身ではなく、自身の位も、女御(にょうご)より劣る更衣(こうい)であった。女に与えられた部屋は桐壺(きりつぼ)という。

帝に仕える女御たちは、当然自分こそが帝の寵愛を受けるのにふさわしいと思っている。なのに桐壺更衣(きりつぼのこうい)が帝の愛を独り占めしている。女御たちは彼女を目ざわりな者と妬み、蔑んだ。桐壺と同程度、あるいはもっと低い家柄の更衣たちも、なぜあの女が、となおさら気がおさまらない。朝も夕も帝に呼ばれ、その寝室に行き来する桐壺は、ほかの女たちの恨みと憎しみを一身に受けることとなった。

そんな日々が続いたからか、桐壺は病気がちとなり、実家に下がって臥(ふ)せることも多くなった。すると帝はそんな桐壺をあわれに思い、周囲の非難などまったく意に介さず、ますます執心する。上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)といった朝廷の高官たちは、度の過ぎた帝の執着に眉をひそめ、楊貴妃(ようきひ)の例まで出して、唐土(もろこし)でもこんなことから世の中が乱れ、たいへんな事態になったと言い合っている。そんなことも聞こえてきて、いたたまれないことが多いけれど、帝の深い愛情をひたすら頼りにして、桐壺は宮仕えを続けている。

桐壺の父親は大納言だったが、とうに亡くなっている。母親は名家出身の教養ある女性である。自分の娘が、両親健在の、世間でもはなやかな評判の女性たちに引けをとらないよう心を配っていた。けれども何かあらたまった行事がある時などは、やはり後ろ盾もなく、心細い様子だった。


「桐壺」の人物系図

うつくしい皇子

前世からのよほど深い縁で結ばれていたのだろう、帝と桐壺のあいだにかわいらしい皇子(みこ)が誕生した。桐壺は出産のために実家に戻り、帝は出産の日を、まだかまだかと気をもんで待っていた。生まれたとの知らせが入り、その後ようやく宮中に連れてこられた皇子を見ると、この世のものとは思えないほどのうつくしさである。

帝の最初の子どもは、右大臣家の娘である弘徽殿女御(こきでんのにょうご)の産んだ男の子である。弘徽殿女御にはしっかりとした後ろ盾があり、この男の子は疑うことなく世継ぎの君としてたいせつに扱われていた。けれども弟となるこの皇子のうつくしさには、とうていかなわない。帝は、兄宮はそれなりにだいじに思うだけだが、この弟宮こそ自身の宝物のように思うのである。

母親となった桐壺は、もともと、ごくふつうの女官のようにずっと帝のそばにいて、あれこれと世話をしなければならないような身分ではなかった。しかるべき身分の品格があり、世間からも尊敬を受けていた。けれども帝が桐壺を放そうとせず、管絃(かんげん)の遊びや重要な催しにはかならず呼び寄せ、寝室に泊めて朝になっても帰そうとしないこともあり、自然と桐壺は世間から軽く見られることもあった。けれどもこの若宮が生まれてからは、帝は別格の配慮を持って、母なる「御息所(みやすどころ)」としてそれに似つかわしい待遇をするようになった。そうなると、もしやこの若宮が東宮(とうぐう、皇太子)とされてしまうのではないかと、最初の子を産んだ弘徽殿女御は不安を覚える。この弘徽殿女御はだれよりも早く入内(じゅだい)し、帝にもそれなりに扱われ、皇子だけでなく女皇子(おんなみこ)も産んでいた。帝も、この女御だけはけむたくもあるが、無視のできない存在でもあった。

帝の深い愛情に頼ってはいても、ほかの女たちからとかくあらさがしをされ、悪(あ)しざまに言われる。病弱で、後ろ盾もない桐壺は、帝に愛されれば愛されるだけ、周囲の目を気にし、気苦労が増えていく。

つらいことが日に日に増え


桐壺という部屋は、帝の住まう清涼殿(せいりょうでん)からいちばん遠い東北の隅にあった。帝はひっきりなしに桐壺へと向かうのだが、その都度、大勢の女御、更衣の部屋の前を通りすぎることになる。素通りされる女たちがやきもきするのも致し方ない。また、帝に呼ばれて桐壺が清涼殿に向かうことが続くと、打橋(うちはし)や渡殿(わたどの)といった通り道に汚物が撒き散らされることもあった。桐壺に仕える女房たちが送り迎えをする際に、着物の裾がたえがたく汚れるほどである。またある時は、桐壺が通る廊下の、前後の戸の錠をあちらとこちらで示し合わせて閉めてしまい、桐壺を戻るも進むもできないようにして困らせることもあった。

とにかく何ごとにおいてもつらいことが日に日に増え、桐壺はますます苦しみ、悩むのだった。そんなふうに悩み抜く桐壺を不憫(ふびん)に思った帝は、清涼殿に近い部屋、後涼殿(こうろうでん)に仕えている更衣をほかに移し、そこを控えの間として桐壺に与えた。当然ながら、移された更衣は晴らしようもない恨みを桐壺に持つことになる。

次の話を読む:「定められた別れの道」桐壺の最期と遺された若君


*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

(角田 光代 : 小説家)