京都・平安神宮会館での特別対談「『源氏物語』が今語りかけてくるもの」に登壇した角田光代氏(左)と山本淳子氏(写真提供:河出書房新社)

『対岸の彼女』で直木賞受賞、『八日目の蝉』などヒット作を生み出す作家にして、5年をかけて『源氏物語』の新訳を行った角田光代氏。そして、『源氏物語』などの平安文学研究者で京都先端科学大学教授、山本淳子氏。2023年11月に行われたこの2人による京都・平安神宮会館での特別対談「『源氏物語』が今、語りかけてくるもの」から、その一部をお届けします。

東洋経済オンラインでは1月1日より、河出文庫『源氏物語 1 』から第1帖「桐壺(きりつぼ)」を全6回でお送りしています。

「桐壺」を最初から読む:愛されれば愛されるだけ増えた「その女」の気苦労

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「いけない物語」との出会い

角田光代(以下、角田):昨日、初めて山本先生にお会いできました。うれしかったです。

山本淳子(以下、山本):私もずっとお会いしたかったので、本当にうれしく存じました。

角田:山本先生と『源氏物語』の出会いを聞きましたら、非常に面白いエピソードがあると伺ったので、ぜひそこから伺いたいと思います。

山本:私は小学校5年生のときに、『源氏物語』を子ども用のダイジェスト版で初めて読んだんです。これはいけない物語だと思いました。

その頃、ちょうど社会科の授業で日本史を習っていて、先生が何の気なしに「源氏物語を読んだことがある人はいますか?」というふうに聞かれたんですね。読んだことのある生徒は誰もいないだろうという前提のもとに先生は聞かれたのですけど、私は反射的に手を上げてしまいました。

先生の目と私の目が合った瞬間、「これはいかんぞ」という雰囲気が流れましたね。けれども、先生は手を上げた私を無視するわけにもいかず、「どんなお話でしたか?」と質問されてしまったんです。

先生を困らせてはいけないと思った私は、とっさに答えました。「光源氏という人がいて、光源氏にたくさん奥さんがいるというお話です」。それが私と『源氏物語』との出会いでありました。

角田:そのときから『源氏物語』に興味をおもちになったんですか?

山本:そうですね。その頃はもうたくさん図書館通いをして、毎日1冊読むくらいの本の虫になっていたので、有名な『源氏物語』ってどんなお話なのかなと思って、子ども用の200ページくらいのものをざっと読んだんですね。でもやっぱりわからなかったです、小学生の私には。

角田:古典として興味をもたれたのはいつくらいですか?

山本:高校生くらいのときには教科書に出てくるので必ず読みますけれども、『枕草子』の短い文章に表れているような清少納言のちゃきちゃきした人間像に比べて、『源氏物語』はべたっとして文章も長くて、ちょっと肌に合わないようなところがあったんです。

加えて紫式部は神格化されているといいますか、作家として大変な能力があって1000年も読まれ続けてきたということで権威化していました。ですから、高校生の私はその年代がよく抱きがちな反発心をもって、紫式部を毛嫌いしていたところが多少ありました。

けれども大学院に入って、『源氏物語』と紫式部について本格的につっこんだ研究をすることになったんですね。そのとき私はもう33歳だったんです。

普通の方は大学院には23歳でお入りになるんですけど、私は10年間、図書館や自治体、高校に勤めておりましたので、そうした大人としての問題意識を抱いたあとに『源氏物語』や紫式部の和歌を読むとまったく違ったものがありました。それからのめり込んでいきましたね。

最初は「嫌々ながら引き受けた」

山本:角田さんが現代語訳を始められたきっかけを伺ってもよろしいですか?

角田:実はですね、恥ずかしいことに、私は古典も『源氏物語』もまったく興味がなくてですね。

池澤夏樹さんが個人編集をなさる「日本文学全集」シリーズがあって、「古事記」から始まって名だたる古典の名作を現代の作家に訳させるという企画なんですけれども、河出書房新社の編集の方が会いに来たとき、「こういうラインナップになっています」と作品と訳者の組み合わせがもう決めてあったんですね。

自分の名前を見たら『源氏物語』と書いてあったので、どうしようかと内心慌ててしまいました。でも私は池澤夏樹さんの大ファンなので断るという選択肢がなくて、嫌々ながら引き受けたんですね。それが2013年だったんですけれども、そのときはまだ連載がいっぱいあって、すぐには取りかかれなかったんです。

角田:ただ、それまで私は『源氏物語』を終わりまで通して読んだことがなかったので、これを機にきちんと読もうと思いました。ところが非常に読みにくいんですよね。どうしようかと困ってしまって。そのときに最初に読んだのが山本先生の『平安人の心で「源氏物語」を読む』です。

この本が本当におもしろくて、『源氏物語』ってこんなにおもしろいのか、これなら私も頑張れるかもしれないと思いました。そういうわけで、山本先生は最初に私の背中を押してくださった方です。

山本:ありがとうございます。そういうお助けができたのだったら、すごくうれしいです。

目指したのは「落ちこぼれでも読める訳」

山本:現代語訳はどういう方針でなされたのですか?

角田:『源氏物語』の訳はもういっぱいあるじゃないですか。錚々たる作家の方々のいろんな訳がすでにあるので、私がやらなくてもいいじゃないかと思ったんですよね。でも、私がやらなくてもいいじゃないかということは、今までとは違うなにかをやらなくてはいけないということ。

そう考えたときに、立派な訳がいっぱいあるけれども、ガーッと読めるような格式が低い訳はないと思ったんですね。

実際に私自身、『源氏物語』に何度もトライしては落ちこぼれてきた経験があるので、そういう落ちこぼれ組でもガーッと読めるような訳にしたいと思って、とにかくわかりやすさを目指しました。

本当はやってはいけないことだし、研究者の方々はお怒りになるんじゃないかと思うんですけど、私は敬語を全部抜いてしまったんです。『源氏物語』は敬語がとても重要な作品ですよね。

山本:そこなんです。私は本当に驚いて、今、学生にも一般の方にも角田さんの現代語訳をお薦めしています。

山本:角田さんの現代語訳、冒頭はこうですね。「いつの帝の御時だったでしょうか--」。冒頭は「ですます調」の敬語表現ですが、このあとから変わります。

その昔、帝に深く愛されている女がいた。宮廷では身分の高い者からそうでない者まで、幾人もの女たちがそれぞれに部屋を与えられ、帝に仕えていた。帝の深い寵愛を受けたこの女は、高い家柄の出身ではなく、自身の位も、女御より劣る更衣であった。女に与えられた部屋は桐壺という。

河出文庫『源氏物語 1 』第1帖「桐壺」より抜粋

普通の小説のようにさくさくと読めて、作品世界の中に入っていけます。

普通の現代語訳だったら、「女御、更衣あまた候ひ給ひける中、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」を、「女御や更衣といったお妃様がたくさんお仕えになっていらっしゃったなかに、最高の家柄ではなくて帝の深いご寵愛を受けていらっしゃる方がいました」というふうに訳しますね。

〈候ふ〉〈給ふ〉〈奉る〉などの語にしたがって、現代語まで〈いらっしゃる〉〈なさる〉〈さしあげる〉といった敬語のオンパレードになるので、読んでいてわけがわからなくなることが多いんです。でも角田さんの訳は、すっとわかる。ストーリーが一番入ってくる訳です。

「文法に忠実」であることよりも

角田:ありがとうございます。お叱りを受けなくてよかったです(笑)。


山本:いえいえ(笑)。私も現代語訳をするんですけれども、私の訳をそのままテストの解答欄に書いてしまう高校生や受験生がいたら困るので、「これはテストには書かないでください」と言いながら、自分なりの意訳みたいなことをしています。

私は10年間、高校の教壇に立っていたんですけれども、テストの解答欄に書けること、つまり文法に忠実なことを教えていると、あちこちで生徒が眠ってしまうんですよね。「み・み・みる・みる・みれ・みよ(上一段活用)」なんて教えていると、スゥッと寝息が返ってくる。

それよりも「紫式部はお餅を食べていたんですよ」とかそういう話をすると、生徒の目が爛々と輝くんです。ですから「その昔、帝に深く愛されている女がいた」と言われると、みんな爛々と読めるだろうなと思います。ありがとうございます、この現代語訳を書いてくださって。

角田:あたたかいお言葉をありがとうございます。

「桐壺」を読む:愛されれば愛されるだけ増えた「その女」の気苦労


(角田 光代 : 小説家)
(山本 淳子 : 平安文学研究者)