山田太一氏(写真提供:河出書房新社)

2023年11月29日、89歳で亡くなられた山田太一さんは、ドラマ脚本の第一人者として「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」等、テレビドラマ史に燦然と輝く名作の数々を世に送り出しました。

また、ドラマ脚本のみならず、1988年に小説『異人たちとの夏』で山本周五郎賞、2014年にはエッセイ集『月日の残像』で小林秀雄賞を受賞するなど、手練れの作家、エッセイの名手としてもよく知られています。

70代の頃に各紙誌へ寄稿したエッセイが集められた『夕暮れの時間に』は、その随所に人間への優しいまなざし、生活を慈しむ思いがにじむ、声をひそめて語った本音が綴られた一冊。この珠玉のエッセイ集より、2013年元日に発表された「新春の願い」他3篇をお届けします。

新春の願い

先日のテレビで小沢昭一さんへのロングインタビューの再放送があった。その終りに「是非ともおっしゃりたいことは」というアナウンサーの質問に「それはもう戦争をしてはいけないということだ」といい「昔は川中島で武田信玄と上杉謙信が戦った。つまり日本人同士が戦争をしていた。そういうことはいまの日本にはない。人間の世界から戦争はなくならないと訳知り顔にいう人がいるけれど、そんなことはない。日本人同士の戦争はなくなっているではないか。戦争はやめられる。希望をなくしてはならない」と、一度聞いただけなので正確ではないけれど、そういう主旨のことを話していらした。

それに心から共感する。

戦争はいけないなんて、そんないい古された当たり前のことを今更わざわざ正月の新聞でいい出すなよ、とムッとされた人もいるだろうけれど、そんなことはない。私は心配である。

今年の日本が、国内外の空気に押されて外交の柔軟性を失い、局所であれ、戦火をまじえるようなことがないように心から願う。

その動機が正当だとしても、プライドや利権のために戦争をはじめたら、その犠牲は計り知れない。いまはトンネルの天井板の落下も大事件だが、戦争となれば日々爆弾が落ちて来ても当然という世界になるのである。対抗するには相手の国に同じように爆弾を落とすしかない。原発の多い日本がそんなことになったら、仮にその戦いに勝ったとしても滅亡する他はない。

バカ気た心配なら幸いである。年末の選挙で一体この人たちの誰に日本を託したらいいのか、と途方にくれた人も少なくないと思う。勇ましいことをいわないで貰いたい。引くに引けなくなることのないように、ぐずぐずだらだらでもいいから、戦争を外交で避け切る人たちであって欲しい。
(多摩川新聞2013年1月1日)

いきいき生きたい

東北の大震災は、日本の大体験だった。

いや、だったなどとはとてもいえない、いまの若い人が生きている間でも片付かないものをかかえた出来事になってしまった。

思い出して鴨長明の『方丈記』を読んだという人が私の周りでも何人もいる。

私もその一人で、大火事、竜巻、飢饉、大地震、津波の、なまなましく簡潔な名文に支えられた無常観は、まるでいまの私たちに向けて語りかけているように感じられた。

たしかに人の一生なんて、天から見下ろせば小さくて束の間だし、いつなにがあってすべてを失うかもしれず、死ぬかもしれず、見栄をはって豊かさを競うのも権力に身を寄せるのも、はじかれて苦しむのも、むなしいといえばむなしい。人が生きて行くために必要なものは、結局「方丈」──つまり畳五枚ぐらいの住いで、おさまってしまうのではないか、といわれると、ああ無駄なものを抱えているなあ、捨てなきゃと思いながら、いろいろ処分できないでいる私などは、反省ばかりという気持になる。

たしかに死んでしまえば万事が終りなのだから、むなしいといえばすべてがむなしい。なにかに執着するのは愚かといわれればその通り愚かである。しかし、どこに住んでも文句をいわれない土地のある平安時代に、お坊さんで、家族もなく、人ともつき合わず、稼がなくても自給自足できる、老境の近い人のいうことは割り引いて聞いた方がいいと思う。お坊さんへの教訓としてはよく分るが、俗人には無理があると思う。死ぬことを考えたら、たしかにむなしいことばかりだが、すぐ死ぬわけではない人間は、そんな啓示で身をつつしんでいたら、生きているうちから死んだようになってしまう。

大災害は、ぎりぎり一番大切なものを教えてくれる。生きているだけでありがたいとか、絆が大事だとか、たしかにそれは真実だが、究極の真理だけで、私たちは日々をいきいき生きていけないのだと思う。哀しいといえば哀しいが、それが生きているということなのだと思う。

(多摩川新聞2012年1月1日)

なんとか、無理して

大震災からそれほどたたないころ、テレビのCMを見ていて、それはもう何度も見たことがあるのに、まったく別の印象を受けて、一人で驚いていたことがあった。

老人の記憶なので正確ではないが「ラッシュのない東京」「蛍がとぶ渋谷」というような語りと文字が流れ「人が想像できることはきっと実現する」という積極的なメッセージのあるCMであった。

その言葉から不意に、ひどい不況で人がまばらにしかいない東京駅、人も灯りも消えてただ蛍がとんでいる渋谷という光景がなまなましく浮んで自分で驚いたのだった。無論CMをつくった人たちのせいではない。津波で一瞬にして広大な地域が瓦礫になってしまった映像が衝撃で、気がつくとそんな連想までもが強い影響を受けていたのだった。

いつどこでなにが起るか分らないという思いは、あの震災から多くの人が受けた啓示だろう。強い無常感が、直接被害を受けたわけではない私の内部にもずしりと居座っていた。「家族や近隣との絆が大事」「ただ生きていることのありがたさ」「自然の途方もない威力」「人間の無力」それらは反論のしようもない真実であった。


しかし、どうやら人間はそういう究極の認識だけでは長く生きていられないらしい。考えれば家族近隣との悩みごとが消えたわけでもなく、ただ生きていることをありがたくばかりも思っていられない。気がつくと究極の現実から見ればむなしいとしか思えない世界が甦っている。11年の11月11日に入籍しようと役所に順番待ちの男女が並んだという。こういうの、いいではないか。ギリギリの現実から見れば愚かかもしれないことをしなかったら、文化など生まれようもないだろう。

とはいえ、災害の現実は厳として存在する。来年の日本人の正月は哀しい。はしゃいでも、どこかうしろめたく哀しい。

(「文藝春秋」2012年1月号)

(山田 太一 : 脚本家)