『紅白』というと日本の風物詩のイメージが強いですが、実は海外アーティストの出場も意外に多い(画像:NHK「紅白歌合戦」公式HP

旧ジャニーズ勢の出場がゼロという話題から始まった今年の『NHK紅白歌合戦』。そうしたなか、発表とともに大きな反響があったのがクイーン(正式にはクイーン+アダム・ランバート)の出場だ。『紅白』というと日本の風物詩のイメージが強いが、実は海外アーティストの出場も意外に多い。ひと味違う、番組のもうひとつの歴史を振り返ってみたい。(文中敬称略)

クイーンと日本の深い縁

いまやレジェンドでもある世界的ロックバンドのクイーンは、日本との縁が深いことで有名だ。まだデビュー間もない1970年代、音楽性の高さはもちろんビジュアルの魅力もあって日本での人気がいち早く沸騰した。1975年の初来日時には空港に若い女性ファンが殺到して大騒ぎになったほどだった。


来年2月に来日公演も予定している(画像:Photo by Xavier Vila ©Miracle Productions LLP/ユニバーサル ミュージック合同会社プレスリリース)

ボーカルのフレディ・マーキュリーも親日家で有名。「ボヘミアン・ラプソディ」、「伝説のチャンピオン」、今回『紅白』で披露される「ドント・ストップ・ミー・ナウ」など誰もが知るヒット曲も多く、アカデミー賞4部門を獲得した映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年公開)の大ヒットも記憶に新しい。しかも今年はデビュー50周年ということもあり、出場が実現した。

戦後直後に始まり今年で74回の歴史を誇る『紅白』は、かつては80%を超える驚異的視聴率を記録したこともあって「国民的番組」と呼ばれてきた。日本を代表する歌手がその年のヒット曲を歌い、視聴者はそれを聞きながら1年をしみじみと振り返る。そんな大晦日の風物詩のイメージが『紅白』にはある。

だが、長い『紅白』の歴史を振り返ってみると、海外アーティストが出場したケースは意外に多い。いつ、どのアーティストが出場し、どんなパフォーマンスをしたのか、時代背景とともに『紅白』のもうひとつの歴史を振り返ってみよう。

世界情勢を反映した1990年の『紅白』

1980年代にも、韓国、香港などアジアの歌手が出場するケースがあった。代表的なひとりが、「釜山港へ帰れ」(1982年発売)が日本でもヒットしたチョー・ヨンピル。1987年に、韓国人歌手として初めて『紅白』に出場し、それから4年連続で出場した。

だが海外アーティスト出場の多さという点で画期的だったのは、1990年の『紅白』。フィリピンのガリー・バレンシアーノ、ソ連のアレクサンドル・グラツキー、モンゴルのオユンナ、さらにこの後ふれるようにアメリカ人アーティストも複数組出場するなど、空前の出来事が起こる。

背景には、世界情勢の激変があった。1989年に東西ドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊。そして翌年東西ドイツの統一があり、長かった冷戦体制が終わりに向かう。同じ1990年の『紅白』では長渕剛がベルリンからの中継で15分以上にわたり3曲を披露し、いまも伝説として語り継がれている。そのなかでの海外アーティストの大挙出演だった。

アメリカ人アーティストとしては、R&B歌手のアリスン・ウィリアムズもアメリカからの中継で久保田利伸とデュエットを披露したが、なんといっても話題を呼んだのは、シンディ・ローパーとポール・サイモンの出場だった。

シンディ・ローパーは、「ハイ・スクールはダンステリア」(1984年発売)のヒットなどで日本でもブレーク。このときの『紅白』では番組のためにわざわざ来日した。親日家として知られる彼女らしく、ステージには駕籠に乗って登場。そして着物を身につけて「I Drove All Night」(1989年発売)を熱唱した。

ポール・サイモンは、サイモン&ガーファンクルのデュオで数々のヒットを飛ばしたビッグネーム中のビッグネーム。このときはアメリカ・ニューヨークからの衛星中継で、日本でも広く知られる名曲「明日に架ける橋」(1970年発売)を歌った。

海外アーティストが大挙出場する流れは翌1991年も続いた。ラトビアのライマ、フィリピンのスモーキー・マウンテン、さらにイギリスからはミュージカル女優で歌手のサラ・ブライトマン、アメリカからは日本のファンにも馴染み深いザ・ベンチャーズ、アンディ・ウィリアムスといったベテランも出場するなど、海外勢が存在感を示した。

とはいえ、それ以降は韓国出身の歌手、「島唄」をTHE BOOMと共演したアルゼンチンのアルフレド・カセーロ、中国の古楽器演奏グループ・女子十二楽坊などの出場例はあるものの、欧米系のアーティストの出場はいったん途絶える。

そのあたりは、やはり日本の風物詩的存在としての『紅白』を求める声や、「テレビ40年」や「戦後50年」といった日本の戦後史の節目にまつわる企画がいくつかあって、海外アーティストの出場は一定しなかったというところだろう。

「特別企画」枠の増加で出演しやすくなった

ただ2000年代に入ると、欧米系だけでなくK-POP(韓流)系のアーティストも台頭してきたことで、海外アーティストが出場する機会が再び増え始める。

まず欧米系アーティストから振り返ると、2008年には、アイルランドの歌手であるエンヤが代表曲「オリノコ・フロウ」と同名ドラマの主題歌「ありふれた奇跡」を披露した。癒し系音楽として日本でも人気の高かったエンヤだが、このときは同年開催の北海道洞爺湖サミットでも議題になった環境問題に関連した特別企画での出演だった。

翌2009年には、これも特別出演でイギリスのスーザン・ボイルが「夢やぶれて-I Dreamed A Dream-」を披露。この年、ボイルはイギリスの人気オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』において抜群の歌唱力で一躍注目を集め、世界的な話題になっていた。

この2つのケースからは、『紅白』の番組構成の変化も見える。昭和時代の『紅白』では通常の歌合戦があくまで基本で、「特別企画」はめったになかった。ところがこの頃になると毎年「特別企画」枠を設けるのが半ば当たり前になり、その枠に海外アーティストがわりとスムーズに収まるようになった。今年のクイーンも同様である。

その後も、東日本大震災が発生した2011年にはレディー・ガガが復興を願うメッセージを込めながら「ユー・アンド・アイ」「ボーン・ディス・ウェイ」の2曲を、2014年「アナ雪」ブームのときにはイディナ・メンゼルが「レット・イット・ゴー」などを披露。

2016年には歌や演奏はなかったものの、ポール・マッカートニーがVTRでサプライズ出演をしてメッセージを送り、2017年には「紅白HALFTIME SHOW」という企画でアメリカのオースティン・マホーンがネタで楽曲を使っていたブルゾンちえみ with Bと共演するなど、特別枠での出演があった。

また興味深いのは、YOSHIKIの存在だ。2010年代後半からYOSHIKIと海外アーティストのスペシャルコラボが立て続けに企画された。

2018年にはサラ・ブライトマン、2019年にはロックバンドのKISS、さらに2020年にはサラ・ブライトマン、クイーンのブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと共演。YOSHIKIは海外での活動に積極的なことでも知られている。今後もこうしたケースが出てくるのではないだろうか。

一方で2000年代、韓国ドラマなどが日本でブームになる現象、いわゆる韓流ブームが起こる。2004年には、ドラマ『冬のソナタ』の爆発的人気に端を発する「冬ソナ」ブームがあった。同年の『紅白』には、「冬ソナ」の主題歌を歌ったRyu、そして韓国ドラマ『美しき日々』にも出演したイ・ジョンヒョンが出場した。

韓国発のポピュラー音楽、すなわちK-POPの人気も高まった。早いところでは、日本でも活躍し、2002年から2007年まで連続出場したBoA、2008年に初出場し、2009年、2011年と出場した東方神起などがいる。さらに2011年には、KARA、少女時代といったガールズグループが日本でもヒット曲を出し、初出場を果たす。

その流れを受け、現在のK-POPブームを担うアーティストも『紅白』に登場するようになった。

2017年には、韓国、台湾、そして日本出身者からなる多国籍グループのTWICEが初出場。“TTポーズ”の振り付けも話題になった「TT−Japanese ver.−」を披露した。その後も2018年、2019年、2022年と出場。さらに今年は日本人メンバー3人によるユニット「MISAMO」が初出場を果たし、いまや『紅白』でおなじみの一組になりつつある。

また同じく日本人メンバーを含む多国籍ガールズグループのLE SSERAFIMも2022年、そして今年と2年連続出場。2022年に出場したIVE、今年まだ日本デビュー前にもかかわらず初出場が決まったNewJeansも多国籍メンバーからなるガールズグループである。海外アーティストというわけではないが、今年で4年連続出場となるNiziUなども広く見ればこのラインに入るだろう。

さらに今年はガールズグループに加え、ボーイズグループの出場も実現した。Stray KidsとSEVENTEENで、やはりいずれも多国籍グループである。今年に関しては、旧ジャニーズ勢が不在のなか、その空いた席を埋めたという見方もできるだろう。来年以降、勢力図がどうなっていくのか、要注目である。

グローバル化のなかの『紅白』

かつて白組司会を9回も務め、『紅白』の顔だった元NHKアナの高橋圭三は、『紅白』には報道番組の側面があると語っていた。歌にも番組にも、その年の世相や社会情勢が反映されるからである。

ここまで見てきたように、海外アーティスト出場の歴史にも、時代ごとの流行や社会情勢の変化が映し出されているのがよくわかる。その意味で、海外アーティストの出場もまた『紅白』の立派な一部と言える。そして今後はグローバル化の波を受けて、『紅白』においても日本と海外の境界線がだんだんなくなっていくのかもしれない。

(太田 省一 : 社会学者、文筆家)