伊藤歩、デビュー30周年。13歳のデビュー作は「恥ずかしかった」… オーディションでは「ずっと机の下に隠れて」合格
1993年、13歳のときに映画『水の旅人 侍KIDS』(大林宣彦監督)でデビューした伊藤歩さん。
1996年に公開された映画『スワロウテイル』(岩井俊二監督)で第20回日本アカデミー賞・新人俳優賞と優秀助演女優賞を受賞し、若き演技派女優として注目を集める存在に。
映画『リリイ・シュシュのすべて』(岩井俊二監督)、映画『ふくろう』(新藤兼人監督)、『Dr.コトー診療所』(フジテレビ系)、『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』(フジテレビ系)、『CODE-願いの代償-』(日本テレビ系)に出演。
誰もが知る“口裂け女”を演じた映画『ストーリー・ゲーム』(ジェイソン・K・ラウ監督)がヒューマントラストシネマ渋谷で公開中の伊藤歩さんにインタビュー。
◆大林監督の映画のメインキャストに
東京で生まれ育った伊藤さんは、小さい頃は人目に付くことがあまり好きではなかったという。
――6歳のときに雑誌のモデルをされていたとか。
「ほとんどしてなくて。1回雑誌の仕事をしたかなという感じです。祖父が芸能の仕事をしたかったというので、そういうオーディションを受けたのがきっかけです。私自身は、抵抗感ありましたし、セリフも言えないし、何をやったらいいのかわからないという状況でしたので」
1993年、伊藤さんは、映画『水の旅人 侍KIDS』に出演。この映画は、時空を超えてやってきた一寸法師のような侍(山崎努)と小学生の悟の交流を描くSFファンタジー。伊藤さんは悟の姉・千鶴子を演じた。
――最初に受けたオーディションが映画『水の旅人 侍KIDS』でメインキャストに選ばれて。
「そうですね。あのオーディションはいろんな方が受けていて、10人ぐらいずつ集められて、『何かパフォーマンスをしてください。それぞれ自分を表現してください』みたいな感じだったのですが、私は何をしたらいいのかわからなかったので、とりあえずずっと机の下に隠れていました(笑)。
ほかの皆さんはやりたくて来ている方たちばかりだったので、熱量が違ったんですよね。私は何をしたらいいかわからなくて。オーディション会場で何もせずに受かったぐらいなので、私がすごく芝居がうまかったとか、そういうことではなく、『何が良かったんですかね?』という感じで不思議でした」
――大林監督にそのオーディションについて聞いたことはありますか?
「はい。皆さん、なりたい人たちが集まるような世界で、やっぱりひとりだけ浮いていたって(笑)。机の下にずっと隠れていて出てこなくて、黙ってじっとしていたのが、あまりにも素人すぎて、『どうしたんだろうと興味深かった』と言われました。
でも、千鶴子は、野球少女ですけど、活発なというよりは無口で反抗期という役だったので、その役のイメージと合っていたのかなって(笑)」
――初めての映画出演でしたが、撮影はいかがでした?
「緊張はしていたと思いますが、大林監督がすごく上手に色々指導をしてくださったので楽しかったです。あの作品は4カ月くらいいかけて撮っていたんですよね」
――大林監督は、子どもたちを使うのもとてもお上手でしたね。セリフはスムーズに?
「私は、結構映っているところは多かったですけど、セリフはあまりなかったので、そんなに苦労しませんでした。黙ってじっとしていたり、黙って歩いていたりとかで、セリフがほとんどなかったので。でも、セリフを言うときはめちゃくちゃ緊張しました。子どもだからセリフが早口になっちゃうんですよね」
――監督は現場ではどんな感じでした?
「ものすごく優しかったです。大林監督に現場で怒られたことはないです。ただ、子どもがいっぱい集まっていたので、騒ぎすぎちゃったときは、助監督にみんなで一斉に怒られました(笑)。
でも、初めての映画で俳優という仕事に関してはそんなに知識がなかったのですが、映像、映画ってこんなにすてきな現場なんだって思いました」
――出来上がった作品をご覧になっていかがでした?
「恥ずかしかったです(笑)。当時はフィルムで撮っていたので現場でプレイバックとかもなかったですから、完成した後で自分の声も初めて聞くし、自分のやっていることも初めて見て、『こんなだったの?』って。一生懸命やったつもりだったのに、全然うまくいってなくてびっくりしました」
――でも、子どもがちょっぴり大人になっていくときの変化、反抗期の雰囲気も出ていて良かったと思いました。
「ありがとうございます。弟役の方の力というか、おかげでですね(笑)。本当にいい時代でしたね。一つの作品を3、4カ月かけて撮影していましたから。北九州でずっと撮影していて学校に行けなかったので、家庭教師をつけてもらって勉強していました。今ではそういうことはできないでしょうけど」
――ホームシックにならなかったですか。
「全然ならなかったです。むしろ親から離れられてラッキーという感じでした(笑)。そういう時期でもあったのでしょうね」
――最初からこの世界に向いていた感じですね。ずっとやっていこうと思いました?
「まだそういう思いはなかったです。その瞬間、瞬間を生きているという感じだったので、その次に何をやりたいかとか、そんなことはまったく考えていませんでした」
※伊藤歩プロフィル
1980年4月14日生まれ。東京都出身。1993年、映画『水の旅人 侍KIDS』でデビュー。映画『スワロウテイル』、映画『カーテンコール』(佐々部清監督)、映画『渾身 KON-SHIN』(錦織良成監督)、映画『忌怪島/きかいじま』(清水崇監督)、『その男、意識高い系。』(NHK BSプレミアム)、『明日の君がもっと好き』(テレビ朝日系)など映画、テレビに多数出演。女性5人組バンド「Mean Machine(ミーン・マシーン)」ではAyumi名義でヴォーカルを務めるなど幅広い分野で活躍。
◆岩井俊二監督との出会い
1996年、伊藤さんは映画『スワロウテイル』(岩井俊二監督)に出演。この映画の舞台は“円都(イエンタウン)”と呼ばれる架空の都市。伊藤さん演じる少女は、娼婦だった母親を殺されて行き場をなくし、名前もなかったが、娼婦・グリコ(CHARA)に引き取られ、アゲハと名付けられる。
伊藤さんは、犯罪がはびこるなか、さまざまな大人たちの姿を見ながら少しずつ成長していくアゲハを繊細に体現し、第20回日本アカデミー賞・新人俳優賞と優秀助演女優賞を受賞した。
「13歳のときに岩井さんの『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のオーディションを受けに行って、そのときは落ちたのですが、その次の作品でと思ってくださっていたということを後から聞きました。
『スワロウテイル』はオーディションもなく、いきなり呼ばれて、『次のこの作品でやってもらいたいんだけど』と言われたので、『何でそんな話になるんだろう?』ってビックリしました。
私はオーディションに行った記憶もなかったし、岩井さんと会った記憶もなくて(笑)。落ちたオーディションのことは早く忘れたいというか、あまり覚えていないですよね。
それに子どものときは、自分の興味のあることにしか記憶がなくて、芝居は向いてないとも思っていたし、学校で遊びたいという気持ちのほうが強かったと思います」
――でも、岩井監督は伊藤さんが印象に残っていてキャスティングされて。
「そうみたいです。『打ち上げ花火〜』のときにはもう『スワロウテイル』の原型ができていて、この子がいいなっていう風に思ってくださったみたいです。
元々は『FRIED DRAGON FISH』という作品で浅野(忠信)さんがやっていた殺し屋役の妹役でと思っていたらしいのですが、『スワロウテイル』でということになって。でも、監督は久しぶりに会ったら、私があまりにも急に大きくなっていたので、早く撮らなきゃという感じだったみたいです(笑)」
――刺青を入れるシーンではヌードにもなりました。
「そうですね。やっぱり脱ぐことに抵抗感はありましたが、岩井さんだから、そこは監督を信じていました」
――設定も架空の街で、言葉も日本語、英語、中国語が入り混じって難しかったでしょうね。伊藤さんは英語のナレーションも担当されて。
「難しかったです。撮影はちょうど高校受験のときだったんです。日本語、英語、中国語のセリフで、撮影も4カ月はかかったかな。それで受験もあって。朝まで撮影をして学校に行くということもありました。
それぐらい日々一生懸命生きるのに必死だったので、自分の中ではやり遂げた達成感よりも、1日1日必死で生きていたなっていう感じでした。
私はフィルムの時代を知っているギリギリの世代というか、いい時代を見てきているので、財産だなと思います。ひとつの作品を3、4カ月かけてフィルムだけで撮影するという経験はなかなかできないので」
――伊藤さんは、『スワロウテイル』で、日本アカデミー賞の新人俳優賞と優秀助演女優賞を受賞されました。いかがでした?
「『何でだろう?』って(笑)。私は本当に岩井さんのおかげでできていたし、CHARAさんとか共演者の皆さんやスタッフに助けられて、日々一生懸命やっていたので、あまり実感がなかったというか。その当時は、岩井さんと、カメラマンの篠田(昇)さんに本当に可愛がっていただいていたので、おふたりのおかげです。
岩井さんの台本ってすばらしくて、絵コンテがちゃんと書いてあるんですよ。全部台本にセリフと同時に、アニメみたいに描いていて、漫画のようになっているんです。
だから、自分たちが言葉でイメージしなきゃいけないことよりも、そこに絵でメッセージが書いてあるので、私でもなんとなく、こういう流れなんだなというのがわかりました。15歳だったので、とにかく一生懸命毎日やるしかないと思っていました」
――賞も受賞されて高い評価を受けて、お名前も知られるようになってプレッシャーは?
「プレッシャーはありました。その後、期待されることが多くなったときに、私はお芝居大好きという感じではなかったので。監督との出会いとか、俳優さんとのコミュニケーションだったり、そういうことが好きでやっているので、芝居がうまいと言われて期待されることがプレッシャーでした。
期待に応えなきゃいけないというのもそうですし、うまいって言われることを変に意識しすぎてしまって、どうやったらもっとうまくできるんだろうということで、楽しめなくなってしまっていた時期はありました」
1998年には、CHARAさん、ちわきまゆみさん、YUKARIEさん、YUKIさんとともに女性5人組バンド「Mean Machine(ミーン・マシーン)」を結成し、Ayumi名義でヴォーカルを務める。1999年には『リップスティック』(フジテレビ系)で連続ドラマ初レギュラーに。
活躍の場を広げていくが、『スワロウテイル』出演をきっかけに英語力の必要性を実感したという伊藤さんは、岩井俊二監督の勧めもあり、高校卒業後、ニューヨークに留学。10カ月後、岩井俊二監督の映画『リリイ・シュシュのすべて』に出演することもあり帰国することに。
次回は『リリイ・シュシュのすべて』、映画『ふくろう』などの撮影エピソードも紹介。(津島令子)
ヘアメイク:飯野聡美