「若者こそ、優遇されてしかるべきなのです」と言う根拠とは?(撮影:尾形文繁)

オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。

退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきた彼の新刊『給料の上げ方――日本人みんなで豊かになる』が上梓された。

「いまの日本の給料は、日本人のまじめさや能力にふさわしい水準ではありません。そんな低水準の給料でもガマンして働いている、その『ガマン』によって、いまの日本経済のシステムは成り立っています。でも、そんなのは絶対におかしい」

そう語るアトキンソン氏に、日本人の給料を上げるために必要なことを解説してもらう。

「最低賃金」の次は「初任給」をターゲットに


去る8月31日、岸田総理は「2030年代半ばまでに、最低賃金の全国平均を1500円以上にすることを目指します」と述べました。

仮に2035年に1500円に達するとすると、毎年3.4%ずつの上昇が必要です。これは、1978年以降の平均上昇率である2.61%を大幅に上回るペースです。

このペースで上昇すれば、安倍政権と菅政権の間の最低賃金の引き上げ率を上回り、2027年には特に1999年から2007年までの期間に停滞していた過去のトレンドを完全に取り戻すことができます。


岸田首相の言葉が現実になれば、それはそれで喜ばしいのですが、それだけで日本の将来が明るくなるわけではありません。なぜならば、今までの最低賃金の引き上げは、主に高齢者と女性の賃金上昇には貢献していますが、全体の賃金水準の引き上げにはつながっていないからです。このことは大卒新入社員の初任給を見れば明らかです。

1990年以降、大卒初任給は年平均0.99%ずつ上昇してきましたが、同時期の最低賃金の引き上げ率は2.04%でした。通算すると、この間、最低賃金は1.9倍になったのに、大卒初任給は1.4倍にしかなっていません

結果として、最低賃金に対する大卒初任給の倍率は当初の2倍から、1.4倍に大幅に低下しています。要するに、政府は賃上げに積極的ですが、民間企業はそうではないのです。


岸田総理は今こそ「初任給倍増計画」を掲げよ

ここで、政府には一段と強いリーダーシップが求められます。私は、それが「初任給倍増計画」だと思っています。

岸田総理が掲げた1500円の最低賃金目標をもとに、大卒者の初任給を最低賃金の2倍に戻す前提で計算すると、大卒者の初任給は「(1500円×8時間×5日間×4週間)×2=48万円」となります。現在の初任給は23.5万円なので、ほぼ2倍です。

仮にこのような「初任給倍増計画」と呼べる政策が実行に移されると、どのような経済効果がもたらされ、どのようなメリットが生まれるのか、検討してみたいと思います。

前回(日本を蝕む「20代の給料安すぎ問題」超残念な実態)も説明したとおり、日本の場合、人口減少が「個人の消費総額の縮小」という形で経済に悪影響を及ぼしています。

また、同時に進行している高齢化が経済に及ぼす悪影響も無視できません。先進国の場合、50歳を過ぎると、所得は増えても消費性向が低下し、1人当たりの消費額が減少する傾向が顕著に見られます。


日本の場合、国民の平均年齢がすでに49.7歳になっているので、放っておけば、1人当たりの消費額が減少する可能性が高いのは改めて言うまでもないでしょう。

このような状況になっている国では、仮に政府が税率を下げたり、政府自身の支出を増やしても、お金は貯蓄に回され、経済への波及効果は限定的になってしまいがちなのは、誰の目にも明らかです。

実際、日本政府は1990年から財政赤字を増やしてきましたが、GDPはほぼ横ばいで、賃金も上昇していないため、世界で最も不健全な財政状態に陥っています。


総需要を増やすための積極的な財政政策は、経済成長には寄与してこなかった、つまり、失敗だったのです。このことは、誰も否定できない、ただの統計的な事実です。

政府が「若者に注目すべき」根拠

では、政府としてはどうするべきか? 答えは明白で、「消費力の高い人々に、より多くのお金を分配する」よう誘導するべきです。消費力の最も高い人々こそ、若者です。

前回の記事でも紹介したように、50代の日本人男性はアメリカ人の所得の92%ももらっているのに、現在の日本の大卒初任給はアメリカの半分以下という、異常に低い水準にとどまっています。


皆さんにうかがいます。日本の若者の能力や価値が、アメリカの若者の半分以下だと思いますか? そんなことはないでしょう。私もまったく同感です。

若者は日本の将来をしょって立つ存在です。また、子どもを生み育てるのも若い世代です。彼らの活力なくしては、日本の明るい将来はあり得ません。だから、若者こそ優遇されてしかるべきなのです。また、それは補助金や手当ではなくて、所得の増加という形にするべきです。

若者が低賃金で我慢し、後々収入を取り戻す年功序列の仕組みは、人口が増加していた時代にはうまく機能したのかもしれません。しかし、現在の日本のように、人口減少が始まってしまった国ではまったく機能しません。百害あって一利なしです。

一方、大卒の初任給を引き上げれば、入社数年目の先輩世代の賃金も上昇し、所得も増加します。すると所得税収入が増加し、消費が増えて、消費税収入も増えます。このような流れが生まれれば、財政健全化に向けて歩み出すことにもなります。

企業の設備投資と生産性向上がカギ

初任給を上げるためには、企業が設備投資を増やし、生産性を向上させなくてはいけません。

現在の日本の労働生産性は世界39位と、ルーマニアより低い順位に甘んじています。正直、先進国を名乗るのもためらってしまうレベルの、体たらくっぷりです。ですが、その分たっぷりと改善の余地が残されているとポジティブに考えることもできます。


政府は政策を総動員し、企業の尻を叩いて、イノベーションによる生産性の向上を促進すべきです。また、この政策では中小企業を主たる対象とするべきです。なぜなら、日本の全企業の99.7%が中小企業で、雇用者の70%が中小企業で働いているからです。


日本の企業は内部留保金を貯め込みまくり、現在その水準は過去最高に達していることも、政府が政策を実行するにあたって考慮しておくべきです。内部留保金を貯め込みまくっているのは、大企業に限った話ではなく、中小企業も同様です。

「企業には賃金を引き上げる余裕はない」と反論されることがありますが、積み上がった内部留保金を見れば、それはまったく事実とは異なる妄想であることは明らかです。政府は決して惑わされてはいけません。

岸田総理は「所得倍増」から「初任給倍増」を

岸田総理は就任時に、「所得倍増論」を掲げました。しかし「労働者全員の給料」をターゲットにしたため、実現性に乏しく、いつしか消え去りました。仮に消費性向が低下する50代以上の賃金を上げても、経済成長につながる効果は小さかったと思います。

しかし、「所得倍増計画」を捨てるのはもったいないです。全体の所得倍増計画を修正して、経済に最もプラス効果が期待できる「初任給倍増計画」を実行していただきたいです。

岸田総理には、「新しい資本主義」の中心に「初任給倍増計画」をすえ、日本経済をふたたび蘇らせてもらうよう、切に期待します。

(デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長)