現在、全国ツアーで47都道府県すべてをまわっているハラミちゃん。テレビやイベントでも引っ張りだこだが、その道のりは決して平坦なものではなかった(写真提供:harami_piano)

小1のころから音大を出てピアニストになる、という夢に向かって走り続けていたハラミちゃん。しかし憧れの大学への入学を果たせず、一時は音楽の道をあきらめ、IT企業へ就職した。新天地で苦労しつつも成果を上げたが、頑張りすぎてしまう性格が災いし、会社へ行けなくなってしまう――。

連載「脱会社員の選択」第13回は、その後、ポップスピアニストとしての道を歩み始めた、ハラミちゃんのストーリーです(今回は、前後編の後編です)。

前編:「音大からIT企業の道を選んだハラミちゃんの胸中

運命を変えた演奏動画

休職中、会社の人たちはそっとしてくれたようだが、一人だけ、気さくに連絡をくれた先輩がいる。2019年6月、その先輩から、誰でも弾けるストリートピアノが東京都庁にあるから行ってみないか、と誘われた。

ストリートピアノ、というものがあるなんて、それまでまったく知らなかった。ずっと外出していなかったけれど、「ピアノ」という言葉には無意識に惹(ひ)かれ、自然に行ってみようという気持ちになれた。

東京都庁の45階、南展望室には、誰でも自由に弾くことができるストリートピアノがある。名誉都民である草間彌生さんがデザインを監修した「都庁おもいでピアノ」だ。

ピアノは久しく弾いておらず、本当にその日、人前で演奏するかどうかは直前まで決めていなかった。けれどピアノを見た瞬間、いろいろな感情がこみあげ、自然と指は鍵盤へ。「観光客の方がたくさんいて、最初は恥ずかしさや怖さがありましたが、ピアノの椅子に座ったら、アドレナリンがバーっと出てきました」。

来る途中、電車の窓から見た新宿の景色から、映画『君の名は。』のイメージが頭に浮かんでいた。弾くならこの曲、と、とっさに選んだのは主題歌だったRADWIMPSの『前前前世』。前に一度弾いたことがあるだけの曲だったが、迷わず弾き始めた。


休職中、気分転換に出かけた新宿都庁でストリートピアノを演奏した動画が、その後の人生を変えた(出所:ハラミちゃん〈harami_piano〉 YouTubeチャンネルより)

演奏の途中で、どこからともなく拍手が湧き起こった。頭によぎったのは、小学校での休み時間。ピアノを弾き始めると、お友達が集まってきて、楽しそうに聴いてくれた、あの日の光景。「演奏中、あのころと同じような、心が解放されるような感覚があって、弾き終わったときには、はつらつとした気分になっていました」。

演奏後、年配の女性3人組から話しかけられ、演奏を褒めてもらった。

「しばらく、引きこもりみたいな生活をしていたので、見ず知らずの人と話すなんて、本当は怖いと思うはずなのに、不思議と自然に話せる自分がいたんです」

わずか2週間で、再生回数は30万回

都庁へ連れ出してくれた先輩は動画編集が趣味で、この日、撮影した演奏の様子を編集し、“ハラミちゃん”というアーティストネームでYouTubeにアップしてくれた。名前の由来は、大好物のハラミ肉から。

ピアノの演奏動画をアップしている人はたくさんいるので、特別な感じはなかった。だが投稿からわずか2週間で、再生回数は30万回を超えていた。その反響に驚き、「上司にばれて、休職中に遊んでいると思われるのではないか」と心配になった。

でもそれ以上に驚いたのは「数年ぶりに弾いた曲でミスタッチをしているし、ボロボロの演奏だったのに、付いたコメントが自分の想像と180度違うものだったこと」。YouTubeのコメント欄には「これからも美しい音色を聴かせてください」「パワーをもらいました」など、見知らぬ人からの温かいメッセージがつづられていたのだった。

一方、休職を延長するのか、復職か、もしくは退職か、決断しなければいけない時期が迫っていた。

「どのような人生を選択するか、悩んだので、考えられるカードを全部、あげてみたんです。すると20代なので、いろいろな選択肢があると気づきました。それは本当にありがたく、幸せなことで、どのカードを選んでもいいはずなんですが、慎重な性格なので、リスクを負いたくなくて。結局、やっぱり会社員に戻ろうかな、っていう気持ちが強くありました」

選択肢の中には、YouTubeを手掛かりに、演奏活動をしていく、という道もあった。ただ「動画がバズったのは、たまたまかもしれないし、それに人生をかけられるほどの勇気はなくて」。職場復帰、または転職し、会社員をしながら、休日にピアノ演奏の動画をアップすればいい、とも考えた。

しかし、動画をアップしてくれた先輩に言われた、「人生、一度でも多く笑った人の勝ち」という言葉に背中を押された。「自分の動画を見たら、すごく楽しそうに笑いながらピアノを弾いていました。自分が笑顔になれる道は、ちゃんと見つかっている」。 会社を辞め、“ハラミちゃん”として活動していく覚悟が決まった。

不安はあったが、「貯金がなくなるまで」という期限付きなら挑戦してもいい気がした。当時、YouTubeでの収益は「駄菓子が買えるぐらい」で微々たるもの。「これで生活をするなんて、絶対にできないけれど、貯金がなくなるリミットまでは、全力でやってみようかな、という感じで、あまり深刻に考えずに決心できました」。

初めてのライブパフォーマンス

YouTubeと並行し、ライブストリーミングサービス「17LIVE」で、演奏のライブ配信を始めた。

だが初めてのライブ配信では「ずっとピアノを弾いているんですが、システムが壊れているのかな、って疑うぐらい、いつまでたっても誰も聴きにこなかったんです。思わず、家族に頼んで、アカウントを登録してもらおうかと思いました。それで実感したんです。あっ、そっか、これが当たり前だよね、って」。

YouTubeで注目された実感があった分、ショックもあった。それでもめげずに毎日、配信を続け、見に来てくれた人を喜ばせられるよう内容をブラッシュアップしていった。中には新人を発掘するのが好きな人もいて、だんだん口コミで視聴者の数は増えていった。YouTubeからの流入もあった。

ライブ配信中は、オンラインとはいえ、配信者と視聴者が直接つながり、コミュニケーションをとれる。コメントを読んだり、リクエストに応えたりしているうち、ハラミちゃんも、視聴者も、「こういう感じでコミュニケーションをとっていいんだ、っていうのがお互いにわかってきて」、距離が縮まっていった。

活動開始から3カ月後、幕張メッセで開かれる「17LIVE」のイベントで、ライブパフォーマンスをできることになった。ファンを前にステージで演奏するのは初めて。会場には20人ほどが来てくれて、演奏後には話ができる機会もあった。

「私を大切に想ってくれている、という気持ちが心から伝わってきて、そっか、この方たち一人一人を笑顔にさせていけばいいんだ、って実感できました」

“お米さん”と二人三脚で

いつのころからか、応援してくれるファンの方を“お米さん”と呼ぶようになった。お肉のハラミちゃんにとって、ベストパートナーである白ごはんのイメージだ。

今でも思う。もしあのとき、ネガティブな言葉をかけられていたら、この道に進むことはやめていた。あのとき、温かい言葉をかけてくれた“お米さん”がいたからこそ、ハラミちゃんとしてピアノを弾き続けられた。

「昔は、ファンはアーティストに熱狂し、追いかける存在だと思っていました。でも、自分がいざアーティストの側になってみたら、ファンの方はぴったり横にいて、二人三脚で一歩一歩進んでいる存在だという感覚が芽生えたんです」

2019年6月に始めた動画投稿からわずか半年後。初めて開いた有料ワンマンライブは、150席が販売開始30秒でチケットが完売した。翌2020年7月にはアルバム『ハラミ定食』でCDデビューも果たし、週間アルバムセールスチャート「Billboard Japan Top Albums Sales」で首位を獲得するなど好評を得た。

人生にそんな展開が待っているなんて、誰が想像できただろう。

確かなのは、“お米さん”たちの存在があってこそのハラミちゃんだということ。「本当に大切な存在だから、数え切れないほどたくさん、“お米さん”の顔や名前が思い浮かぶんです。私をピアニストにしてくれた恩人だから、一生かけて恩を返していきたい」。

そんな出会いと、つながりは、ハラミちゃんの活動をしていなければ、得られないものだった。

忘れられないエピソードがある。コロナ禍の続く2020年11月、感染対策に気を配りながら、久しぶりに岐阜県でストリートピアノを演奏することになった。

“お米さん”たちに直接会え、うれしさいっぱいに演奏をしていたとき、ふと車いすの人が楽しそうに聴いてくれている様子に気づいた。車いすの人の前で演奏するのは、そのときが初めて。わざわざ聴きに来てくれたことに感動し、印象に残ったのだが、帰りの車の中でふと、走馬灯のように思い出したものがある。

それは小学生のころ、夏休みの宿題で描いた一枚の絵。


小3の夏休みに宿題で描いた1枚の絵。大人になって、絵の光景そっくりの演奏ができたこと。そして母がラミネート加工のうえ保管してくれていたことにも運命を感じたという(写真提供:harami_piano)

自分が弾くピアノの周りには、赤ちゃんやお年寄り、障害のある方など、いろいろな人や動物までいて、みんな楽しそうに演奏を聴いている。そんな絵だったのではないかと思い出し、すぐ母に電話した。「もしかしたら勘違いかもしれないけれど、ぐらいの感じで尋ねたら、保存してあるよ、って言われて」。

絵は母の手でラミネート加工され、大切に保管されていた。絵と再会し、改めて思った。「いろいろな道を通ってきたけれど、小学生のときに思い描いていた夢を、確かにこうして実現できている」。

2020年から2021年にかけては初の全国ツアー。2022年1月には、フジコ・ヘミングさん以来、女性ピアニストとしては15年ぶりの武道館公演を成功させた。

テレビやイベント出演なども多く、忙しい日々を送り、現在も47都道府県すべてをまわる全国ツアーの真っ最中。楽譜が読めない人でも魔法のようにピアノを弾ける本を1年かけて開発するなど、ピアノを弾く楽しさを伝える活動にも力を入れている。

原点のストリートピアノは今も

そんな毎日だが、今でも、仕事やプライベートで地方へ行った際には、ストリートピアノの場所を調べて、ふらっと弾きに行くことがある。その様子をYouTubeにアップすることもあるが、「撮影が目的ではなくて。今でもストリートピアノを弾くと元気になれるので、すごく大切な存在なんです」。


活動開始から1年半ほどたったころ、JR大塚駅に設置されていたストリートピアノで演奏する様子。すでにテレビで特集が組まれるなどしていたが、あくまで街の一演奏者としての表現にこだわり、その場にいた人たちに演奏を楽しんでもらった(写真提供:harami_piano)

有名になった分、気をつけている部分もあるという。「ハラミちゃんだ、ってスマホを持った人がワーっと集まってきて、それはそれでありがたいんですけれど、どちらかと言うと楽しそうな演奏が聞こえてくるから行ってみよう”とか、“あれ誰だっけ?”みたいに立ち止まってくれる人たちの反応が楽しみで、そこにストリートピアノの良さがあると思っています」。

そのため、あえて人がいない時間帯や場所を選んで、弾きに行くこともある。もしも街中で、幸せが、喜びが弾けるようなピアノのメロディーが聞こえてきたら、その“ピアノ弾いてる女の子。”はハラミちゃん、その人かもしれない。

(この記事の前編:「音大からIT企業の道を選んだハラミちゃんの胸中」)


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(吉岡 名保恵 : フリーライター)