娘と公園で記念撮影。「妻はヘアメイクとしていまも働いているので、子どものお迎えなど、お互い協力しています」

「じつは将来に備え、心臓の手術をしたんですよ。娘のために、少しでも長く元気でいたいですからね」

と語るのは、俳優の野村宏伸(58)だ。野村といえば1984年、2万3000人のオーディションを勝ち抜き、映画『メイン・テーマ』で薬師丸ひろ子の相手役としてデビュー。1987年に始まったドラマ『ラジオびんびん物語』(フジテレビ系)に出演すると、瞬く間に国民的なスターになった。

「20代のころは勢いだけでしたよ。本心では、演技力がないことにコンプレックスがありました。50歳をすぎたころから、ようやく自分の演技に自信が持てるようになったんです」

 その後、1993年に、世田谷に2億4000万円の自宅を建てたことも話題となったが、順風満帆に見えた生活も長くは続かなかった。友人たちに次々と多額のお金を貸し、家のローンと合わせて1億円近い借金も抱えた。さらに、肝心の仕事も激減したのだ。

「きついな、と思ったこともありました。ただ精神的にたいへんだったのは、お金よりも2009年の離婚ですね。周囲からは『金銭トラブルで離婚した』と言われましたが、事実は少し違うんです。実際の離婚原因は、元妻と僕の方向性の違いでした。当時、子どもはまだ3歳と8歳。離婚しても、父としてできるだけのことをしてあげたいと思いました。借金があったので家を売り、そのおかげで離婚のときは、それなりのお金を元妻と子どもたちに渡すことができました」

 野村が示した“誠意”は伝わっていた。現在も、子どもたちとはいい関係だという。

「長女は2022年、社会人になってファッション関連の仕事をすると話していました。長男は高校3年生で、つい先日、僕の舞台を観に来てくれました。音楽をやっているので、舞台にも興味があるようでうれしかったですね」

 残った数千万円の借金をなんとか返し終えた2015年、現在の妻となるヘアメイクアーティストの女性と出会った。

「完済したときは、すごく身軽になり開放された感じがしました(笑)。15歳下の妻は、『びんびん』シリーズのころの僕を知らないんです。だから、イメージにとらわれず僕を見てくれる。僕にとっては、それがすごく新鮮に感じたんですよ。自然と2人で暮らすようになりました」

 同年、野村が50歳、妻が35歳でゴールインした。

「子どもは自然にまかせてできたらほしいね、と話していました。ただ、妻は食事に気を遣ったり、基礎体温をつけたりと、体調には気を配っていましたね。『授かるぞ!』と意識していたころもありましたが、ダメ。もういいかと半ばあきらめた途端に妊娠がわかり、僕も妻も大喜びでした」

 50代で父になる――。周囲の言葉に不安になることもあったという。

「みんな純粋に心配してくれているんだけど、『子どもが20歳のとき、父は70歳だ』と言われることが多かったですよ。でも、出産に立ち会い、子どもと出会った瞬間から、うれしさが圧倒的に勝っています。がんばるぞ、という気持ちですね」

 70歳まで“現役”を決心した野村は、さっそく、健康管理を始めた。

「まず、肥満遺伝子検査をおこないました。これで自分が何を食べると太りやすいのか、ということがわかります。僕の場合は、油物を食べると太りやすく、炭水化物を食べても太らない、下半身を鍛えると効果的だということがわかりました。言われたとおりダイエットをしたら、10kg痩せましたよ。体が軽くなったし、動きやすいですね」

 将来に備えて、心臓の内視鏡手術まで受けたという。

「母は82歳のとき、心筋梗塞で他界しました。家系的に僕も心臓に不安があるんです。そこで、病院でカテーテル検査をしたところ、心臓の血管に狭くなっている箇所が見つかりました。医者には経過観察でもかまわないと言われましたが、早めに手術しました」

 7歳になる娘と自転車でさまざまな場所へ出かけるのが、至福の時間だという。

「4歳からペダルなしの2輪車を乗りこなし、自転車もすぐに乗れるようになりました。バイク好きの僕に似て、バランス感覚があるのかな(笑)。もう少し大きくなったら、バイクの後ろに乗せてみたいね」

 父の“びんびん物語”はまだ続く!

のむらひろのぶ

1965年生まれ 野村が出演する宗野賢一監督の映画『Threads of Blue』が池袋シネマ・ロサにて9月15日より公開される。同月17日には同劇場の舞台あいさつに登壇予定

取材/文・吉澤恵理(医療ジャーナリスト)