バッタの生態研究から人間の食欲の謎に迫ることができる(写真:picture alliance /Getty Images)

多くの人間はついつい食べすぎてしまう。その食欲の根幹には何があるのか。バッタの生態研究をきっかけとして、シドニー大学の世界的栄養学者2人が「人類の食欲の謎」に迫った『食欲人』から一部抜粋、再構成してお届けする。

第1回:「食欲の謎」を追った科学者が見つけた意外な真理(6月2日配信)

動物は「ベストな食べ物」を知っている?

1991年、私たちはオックスフォード大学自然史博物館のスティーヴのオフィスで、コンピュータの前に座っていた。

当時私たちは、それまで試みた中で最も大規模な摂食実験を終えたところだった。実験の対象は、これから説明する研究にうってつけの、特別な種類の「バッタ」だ。

この日の話し合いの中で、栄養へのまったく新しいアプローチが生まれることになるとは、このときまだ知るよしもなかった。

私たちはこの研究で2つの問いに答えを出そうとした。

第1に、動物は「自分にとって何が最適か」という基準で、食べるものを決めているのだろうか?

第2に、もし何らかの理由で最適な食餌を摂れず、やむなく別の食餌を摂るとき、どうなるのだろう?

私たちは実験室で、バッタなどの草食性の昆虫が摂取する二大栄養素である、タンパク質と炭水化物の比率の異なる25種類の餌を注意深く作成した。高タンパク質/低炭水化物食(人間でいえば肉に相当)から、高炭水化物/低タンパク質食(米に相当)までの様々な比率の餌ができた。

これらの餌は、成分こそ異なるが、外見は見分けがつかなかった。市販のケーキミックスに似た、乾燥した粉末状で、昆虫はそれを好んでいるように見えた。

それぞれのバッタは与えられた1種類の混合物だけを、脱皮して成虫になるまでの期間、好きなだけ食べることができた。その期間は餌の種類によって異なり、最短9日間から最長3週間までだった。

実際の作業はとても大変だった――苦労して25種類の餌を準備し、200匹のバッタの1匹ずつに与え、それから各個体の毎日の摂取量を綿密に測定する必要があった。

実験期間中、私たちは動物学部棟の奥深くにある、室温32度――砂漠のバッタが生息可能でかつ人間にも許容できる温度――に保たれた蒸し暑く狭苦しい実験室で、永遠にも思える時間を過ごした。

バッタは1本の金属製の止まり木と、0.1グラム単位で測定された餌の載った小皿、そして水皿が入れられたプラスチック製の箱の中で、1匹ずつ飼育された。

毎日バッタの餌皿を取り出し、汚物処理業者のように、餌皿と箱からバッタの糞を丁寧に取り除いた。餌を与える前と後の餌皿の重さを量り、排泄物を分析して、バッタがどれだけの餌を摂食、消化したかを計算した。

次に餌皿を乾燥機に入れて水分を飛ばし、それから100分の1グラムまで測定可能な電子はかりを使って、もう一度重さを量った。摂食前と後の餌皿の重さの差を測定することで、昆虫がその日どれだけ食べたかを算出し、それをもとにタンパク質と炭水化物の摂取量を正確に知ることができた。

この作業を200匹すべてのバッタについて、脱皮して羽の生えた成虫になるか、その前に死ぬまでの間、来る日も来る日もくり返した。脱皮までに要した日数を記録し、昆虫の体重を量り、脂肪と除脂肪組織がどれだけ増えたかを分析した。

そしてとうとう、スティーヴのコンピュータの前に並んで座り、実験の結果を知るときがやってきたのだ。

だがその結果を理解してもらうために、まずは自然環境でのバッタの生態について説明しておこう。バッタはオックスフォードの地下実験室で暮らしながら進化したわけではないからだ。

NY1週間分の食料を1日で食い尽くす

北アフリカのどこかに2匹のバッタの幼虫がいる。

1匹はひとりぼっちで育った。この地域では何カ月も雨が降らず、ほかのバッタに出会うことはめったにない。彼女はまわりの植生に溶け込むような、美しい緑色の体をしている。単独行動を取り、警戒心が強く、ほかのバッタから離れようとする。それもそのはずで、1匹なら隠れることができても、大きな群れになれば腹を空かせた鳥やトカゲ、捕食クモのいらぬ注意を引いてしまうからだ。

もう1匹のバッタは別の場所で、群れで育った。そう遠くない前に雨が降り、仲間の大勢のバッタとともに豊かな植生を食している。彼女は群れるのが大好きだ。鮮やかな体色をもち、とても活動的で、すぐに集団をつくる。こうした大群は、統制の取れた「マーチングバンド」と化し、ひとたび羽の生えた成虫になれば、飛行する大群となって、アフリカやアジアの広大な地域を移動する。

北アフリカに異常発生するサバクトビバッタの大群は数千億匹におよび、たった1日でニューヨークの全住民の1週間分の食料を食い尽くすこともある。とくに農業地帯に移動した場合の被害は甚大だ。

2匹のバッタは、種が違うわけではない――実際、姉妹だったとしてもおかしくない。

この種のバッタはどの個体も、単独で育つか群れで育つかによって、おとなしい緑のバッタになることも、群れをなす社交的なバッタになることもできる。

1つの相から別の相へ変異するプロセスは、すばやく起こる。孤独相の緑のバッタを群れに入れると、1時間と経たないうちにほかのバッタから離れようとするのをやめて群れに引き寄せられ、数時間もすればマーチングバンドの一員となる。体色もまもなく緑色から鮮やかな色に変わる。

これが「密度依存的な相変異」と呼ばれる現象であり、スティーヴの研究グループが長年かけて理解しようとしていたことだった。

私たちは当初、次の疑問をもっていた。

群れの中にいることの何が相変異を引き起こすのだろう?ほかのバッタからのどんな刺激が、変異の引き金を引くのだろう? ほかのバッタの姿を見ることなのか、匂いなのか、音なのか?

私たちが発見したカギは、「接触」だった。食用に適した植物の量が限られているとき、孤独相のバッタは望む以上にほかのバッタに近い場所で餌を探さざるを得なくなる。

集まったバッタは押し合いへし合いになり、この物理的接触が、反発から引き寄せへの変異を引き起こすのだ。

いったん十分な数の社交的なバッタが集まると、突然、まるで心が1つになったかのように、集団全体が見事に統制の取れた動きを見せ、隊列行進を始める。

行進を開始するという集団的決定が、群れ内の近くのバッタとの単純接触によって生まれることを、スティーヴたちは明らかにした。いいかえれば、バッタにはリーダーも階層的な統制もない。それなのになぜ行進が起こるかといえば、すべてのバッタが「まわりのバッタの動きに合わせる」という、同じ単純なルールに従うからだ。

バッタの群れはいったん臨界密度に達すると、それより1、2匹増えただけで、突如として集団的な、統制の取れた動きを取るようになる。そして恐怖の行進が始まる。

もちろん、私たちはなぜバッタが「まわりのバッタの動きに合わせる」という単純なルールに従うのかを、まだ理解していなかった。ただ、もしかすると、「栄養」が関係しているのではないかと推測していた。

この謎が解けたのは、バッタの類似種であるモルモンコオロギを研究していたときのことだ。しかも、その背後にはおどろおどろしい動機があった。

草食のコオロギが「共食い」を始めた

モルモンコオロギは、飛べない大型の昆虫で、アメリカ南西部に生息し、何キロも続く群れで行進する。1848年にユタ北部のソルトレイクに到達したモルモン教徒の開拓者の初めての収穫を壊滅させようとしたことから、この名がついた。

人々はこの破壊になすすべもなく、飢え死にしかけたそのとき、カモメの群れが飛来し、コオロギを全滅させて窮地を救った。今ではソルトレイク寺院にこのできごとを記念する碑がある。カモメはユタ州の州鳥にもなっている。

この頃スティーヴはユタ州にいて、研究仲間のグレッグ・ソード、パット・ローチ、イアン・クーザンとともに、モルモンコオロギの群れを調べていた。動きを合わせて行進を始めるという、突然の決定の背後にある理由を発見したのは、このときである。

ここからはスティーヴに話を譲ろう。

私たちの調べていたコオロギは膨大な数に上った。研究仲間のグレッグとパットは、ヤマヨモギが生い茂る地を毎日2キロも北上するコオロギの大群を無線で追跡していた。

これほどの数のコオロギがなぜ行進していたのか、そのヒントを教えよう。

私たちはコオロギの一群が幹線道路を横断する様子を5日続けて記録した。コオロギが車に轢かれると、その真うしろにいるコオロギが立ち止まって死骸を食べた。そして車に轢かれた。

まもなく、くるぶしが埋まるほどの死骸が積み上がり、脂でギトギトした体液を片づけるために、除雪機を手配しなくてはならなかったほどだ。

だが、なぜ草食性の昆虫が、集団自殺に至るまで共食いをしたのだろう? 周囲には豊かな植生があり、食べるものはほかにいくらでもあったのに。

私たちはオックスフォードでのバッタの大実験に使った、乾燥した粉末状の餌を砂漠にもってきていた。この餌を皿に入れて、コオロギのマーチングバンドの前に置いてみた。

その結果起こったことは、多くのことを物語っていた。コオロギは高炭水化物食に目もくれず、タンパク質を含む餌だけを食べたのだ。

すべて「タンパク質欲しさ」ゆえだった

私たちが提供したこのささやかなビュッフェ以外で、コオロギの最寄りの良質なタンパク質源は何だったか?


そう、目の前のコオロギだ。

行進を駆り立てていたのは単純な原理だった。うしろの仲間が前進しているのに、自分だけ前に進まなければ、食われてしまう。他方、目の前の仲間が立ち止まれば、もちろん捕らえて食べることができる。

コオロギの共食いを駆り立てていたのは、タンパク質に対する強烈な食欲だった。

またタンパク質への渇望に関する限り、バッタの習性も同様にむごたらしいことがわかった。

この発見は偶然の産物だった。スティーヴは摂食中のバッタに満腹を知らせる信号について調べていた。ある実験で、スティーヴはバッタの感覚を伝える神経を探し出し、何匹ものバッタの腹の終端から脳までの部分を苦労して切除した。手術が終わると、すべてのバッタを同じ箱に入れて回復を待った。

翌朝見てみると、バッタは1匹残らず、神経を切断された箇所から下の半身を失っていた。バッタは数珠つなぎになって、目の前のバッタの麻痺した下半身を噛み切るとともに、自分の腹部をうしろのバッタに食べられていたのだ。

栄養学の重要なアイデアを試すのに、これ以上うってつけの動物がいるだろうか? 与えられたどんな食品でも平らげるほど貪欲な種といえば、食欲旺盛なバッタの大群をおいてほかにない。だがバッタはそれほど単純でないことも、私たちは知っていた。

なにしろバッタは、タンパク質をはじめとする栄養素の摂取を調整する能力をもっているのだ――たとえそのために仲間を食べる必要があったとしても。

(次回は6月16日配信)

(デイヴィッド・ローベンハイマー : シドニー大学生命環境科学部栄養生態学教授)
(スティーブン・J・シンプソン : シドニー大学生命環境科学部教授)