台湾で「日本産小麦のパン人気」裏に潜む大問題
日本での高級食パンブームの波を受け、台湾でも近年、食パン専門店が増加している。(写真:筆者撮影)
台湾には日本との共通項が3つある。1に海洋国家、2に貿易国家、3はともに食料自給率が30%台という点だ。コロナ禍で物流が滞り、ロシアによるウクライナ侵攻で食料自給率の見直しが求められる中、台湾の小麦事情を取材した。
食パンにナイフを入れた瞬間、香りが沸き上がってきた。小麦の香りに加えて、甘い匂いもする。はちみつの原料である台湾産の龍眼が入っているからだろう。口に入れると、もっちりとした中に、黒ごまのぷちぷち感が楽しめる――。
これは、2020年に台湾発の食パン専門店として開店した「niko bakery」が手掛けた食パンだ。 台湾ではここ最近、食パンの専門店をあちらこちらで見るようになった。「乃が美」「嵜本」「TREES BREAD」といった日本からの進出組もあれば、「niko bakery」などの台湾発の専門店もある。
「日本で食パン専門店に出会った」
「niko bakery」は、台北市内でも大型の観光スポットとして人気の華山文創エリアにある。歴史建築のリノベーションと活用は台湾ではよくあるアプローチだが、華山は中でも先駆けと言っていい。元々は日本統治時代の工場で、今ではイベントスペースであり、映画館であり、公園という形で台湾の人々に親しまれている。
「niko bakery」があるのは、その中でも人通りが多い好立地だ。店の外にある看板には、冬の季節商品が大きく打ち出されていた。実際にお店にはいると、店内の手前には出来上がったパンを並べる販売スペースがあり、奥ではパンが作られていた。
なぜ食パン専門店を開いたのか。同店の経営者であり、パン職人の武子靖さんは次のように話す。「台湾にはこれまで、ベーグル専門店、クロワッサン専門店はありましたが、食パンはありませんでした。日本へ旅行した時に食パンの専門店があることを知り、台湾で食パン専門店を開いてみようと思ったんです。食パンはいろいろな素材と組み合わせやすく、普段の食事に取り入れやすい。今は台北市内で3店舗目の移転先を探しているところです」。
ちなみにここ華山店は、「niko bakery」の製造拠点でもある。現在、2店舗ある店の商品はすべて華山店で作られ、1日に2回、支店へと配達するセントラル方式で運営している。
「日にもよりますが、1日に1000本くらい出ますね」
販売チャネルは店舗だけではない。公式サイトやLINE、Instagramから注文できる。店をオープンさせたのがコロナ禍で、お客さんから宅配の要望が多かったためだそうだ。
「ようやく外出できるようになって、店舗まで買いに来る人が増えました」。 取材中も、お昼時に重なったこともあってか、お客さんの数が途切れなかった。
そんな「niko bakery」を経営する武さんはフランスで2022年に行われた「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・ブーランジュリー 」というパンの世界大会で優勝した人物でもある。
今回の大会では初めて「自国で生産された材料を使用すること」という条件が出された。そこで台湾産の小麦、ごま、はちみつを使ったハードパンを作ったところ、審査員から高い評価を得たのだ。
武さんが手がけた優勝パンを再現したもの。芳醇な香りが食欲をそそる。(写真:筆者撮影)
小麦はすべてが台湾産ではない
今、実際に店で販売しているのも、優勝時の素材を生かして作った食パンだ。しかし、使われている小麦粉は台湾産ではない。
大会で使用した小麦粉は100%の台湾産だが、ハードパン用の粉で、最近人気の柔らかな食パンにはあまり適さない。そのため、店で使用している「台湾産」の小麦粉は、海外から輸入し、台湾でブレンドしたものだという。
100%純正ではないと聞いて驚くと、武さんは言う。 「日本もそうですよね。たとえば日本産と銘打っていても、実際には海外の小麦がブレンドされている。これまで、各国で小麦粉の工場を見学してきたので、すべて台湾産にするのは難しいことだと感じています」
その難しさはどこにあるのだろう。
「コストと生産量ですね。通常、ベーカリーで使う小麦粉は25kgの大きな袋のものですが、たとえば台湾ブレンドの小麦粉が1袋1800台湾ドル(約7200円)のところ、オール台湾産だと3000台湾ドル(約1万2000円)するのです。もっと生産量を増やして小麦粉の原価が下がらない限り、使用するのは厳しいと言わざるをえません」
昨年11月中旬、台湾鉄道台中駅そばのホテルの宴会場で台湾産雑穀メーカー「十八麦」による記者会見が開かれた。開発した9種の商品が披露された会見に登壇した行政院農業委員会農糧署(行政院農業委員会は、台湾の農業・林業・漁業・牧畜業など、食糧全般の行政を担う政府機関)の胡忠一署長によると、「現在、台湾全土で作られる小麦は2240トンです。このうち全体の80.5%を生産するのが金門島で、以下、台南、台中、彰化となっています。ですが、台湾で必要となる量の0.5%にすぎません」 という。
つまり他国からの輸入に頼らないと、台湾国内で必要となる小麦の量を確保できないのだ。
新商品開発の経過説明の他、関連商品の試食と、かなり大がかりな会見となった。(写真:筆者撮影)
改めて農業委員会が出している2021年のフードバランスシート(食料需給表)を確認すると、国内生産量は900トン、国外からの輸入量は152万3700トンとなっていた。それゆえ台湾産の小麦の原価が高くなり、ベーカリーなど小麦を買い求めるお店側も手が出しにくくなっている。
そこで武さんの店では、日本産の小麦粉も使っている。日本産の小麦を使用しているのは価格の問題だけではない。実は台湾のベーカリーでは、値札に原料名として「日本産小麦」と明記されているのみならず、店内に、小麦粉の空袋がオブジェとして置かれたり、台湾の雑貨ブランドでは、袋を加工してショッピングバッグへと生まれ変わらせたり、と人気の裾野は広い。
武さんのバックヤードに置かれた小麦粉。日本産の他、フランス産の小麦も使う。(写真:筆者撮影)
「日本産というと売上が上がる」
では一体、いつから日本産小麦粉のブームが始まったのだろう。武さんは言う。
「ああ、それなら野上さんの台湾進出でしょうね」
2008年にオープンしたベーカリー「野上麵包坊Nogami Boulangerie」が小麦粉を日本から仕入れるようになり、日本から台湾への小麦粉の流通ルートができた。それが台湾の人たちの間で高い評価を得て、しだいに広がっていったのだという。
武さんに日本産小麦が好評な理由を尋ねると「私もよくわからないのですが、日本産と言うと売り上げが上がるのは確かです」と笑った。
日本産小麦の人気の一方で、台湾産の小麦にこだわるメーカーもある。
台湾南部・屏東にある「長安製麺」では、台湾に昔から伝わる天日干しの麺を作り続けている。天日干しの麺は、工場で人工的に乾燥させる麺とは異なり、茹で過ぎても麺の食感を保つという。
原料の一部には、前出の台湾産雑穀メーカーの「十八麦」から仕入れた小麦粉を使用している。
「原価は、ほかの小麦粉に比べたら4倍もするのです。ですから、かなり厳しいのが現状です。それでも、今の国際情勢を考え、持続可能な麺づくりのためには、やはり台湾産の小麦を応援したいと考えて、十八麦の小麦粉を使っています」
台湾も日本同様、戦後の食料難でアメリカから安価な小麦粉を輸入するようになった。さらに粉物料理へのニーズとも相まって拡大の一途を辿り、日本同様、食が欧米化していく道筋が強化されてきた。
自国産小麦を使うメリット
だが、コロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻というダブルパンチで、国際貿易に頼りすぎる食のあり方への見直しが始まっている。
筆者は胡署長が言っていた言葉を思い出した。 「台湾産小麦を使うメリットはどこにあるのか。第1に、とにかく新鮮であること。第2は、組み換え遺伝子作物ではないこと。第3に栄養価の高い健康的な小麦であることです」
台湾のカロリーベースでの食料自給率は、2021年に31.3%と史上最低を記録した。台湾政府は40%を目標に掲げているものの、この開きは少なくない。今後、台湾がどのような手を打つのか、大いに注目していきたい。
(田中 美帆 : 台湾ルポライター)