妻からの誘いを断り続ける、5歳上の夫。彼の書斎から出てきた“信じられないモノ”とは
お金も時間も自由に使える、リッチなDINKS。
独身の時よりも広い家に住み、週末の外食にもお金をかける。
家族と恋人の狭間のような関係は、最高に心地よくて、気づけばどんどん月日が流れて「なんとなくDINKS」状態に。
でも、このままでいいのかな…。子どもは…？将来は…？
これは、それぞれの問題に向き合うDINKSカップルの物語。
◆これまでのあらすじ
年上のアーティストを夫に持つ万里子は、広告代理店で働く管理職。でも部下と飲みに行ったある日、口説かれて…。
万里子・38歳。芸術家との夫婦関係【中編】
「万里子さんに旦那さんがいなかったらなって、よく思ってます」
「……」
6歳下の部下・藤田くんから真剣な表情で見つめられて、私は内心、かなり混乱してしまっていた。
藤田くんからはこれまで、冗談半分に「俺、万里子さん推しですから」なんて言われたことはあったけれど…こんなにまっすぐと目を見て好意を伝えられたのは初めてだ。
― これ、どう答えるのが正解なの…！？
私には夫がいる。夫婦仲は決して順調ではないけれど、かといって今すぐ離婚するほどの熱量もない。
でも…こんな状況になって改めて気づかされた。藤田くんに、ほんのりとときめいている自分がいるのだ。
ぴしっとキマッたスーツ姿に、長い手足。低い声に、スマートな身のこなし。そして、尽きることのない楽しい会話。
― 好かれてるのは、正直ちょっと嬉しいかも…。でも、それを言うわけにもいかないよね。
何か言った瞬間、後戻りのできない関係に発展しそうな気がしてならない。
そんなふうに頭の中で色々と葛藤していると、藤田くんはふわりと笑って、肩をすくめた。
「なんか僕、飲みすぎちゃったみたいです。そろそろ行きましょうか」
「そ、そうだね。また明日も仕事あるし！」
彼の言葉に、ホッとした気持ち半分、もう少し一緒にいたかったという気持ち半分で、私はバッグに手をのばした。
噛み合わない夫
「ただいま…あれ、和樹帰ってたの？」
「うん。今日は作業が早く終わったから」
25時過ぎに帰宅すると、珍しく夫がリビングでくつろいでいた。
普段、和樹は夜通しアトリエで作業して、明け方に帰宅することが多い。自営業は休日もないので、土日も含めてそんな生活だ。
だから、こんな夜に彼がソファでワインを片手に雑誌を広げている姿を見るのは、ものすごく久しぶりな気がした。
「…私も一緒に飲みたい！」
藤田くんにときめいてしまった罪悪感からだろうか――なんだか今夜は妙に、和樹に甘えたい気持ちになる。彼も「いいね、グラス出すよ」と嬉しそうな表情だ。
立ち上がってキッチンでWedgwoodのペアグラスを用意してくれる彼の姿を見つめながら、私は満たされた気分になる。
― 藤田くんに心が揺らいじゃったけど…。きっと最近、和樹と一緒の時間が少なかったからだよね。
自分に言い聞かせつつ、和樹が取引先からもらったというヴィンテージのピュリニー・モンラッシェを喉に流し込む。
コクのあるどっしりとした味わいと上品な果実感のバランスが心地よく、うっとりとした気分になった。
久しぶりに夫と近況を報告し合う。
私の仕事のこと。彼が今手掛けている案件のこと。コロナが落ち着いたら海外旅行に行きたいね、とか年末の過ごし方とか。
色々なことを話していると「やっぱり和樹のことが好きだな」と思えてくる。
― 和樹も、機嫌よさそうだし。今日はこのまま“アリ”かも…？
気分は高揚しつつも、頭の中でもう1人の自分がいて、このあとの展開を冷静に予想する。
さして交際期間も設けずに結婚して、まだまだ3年目だというのに、私たちは既にレスだ。もう半年以上もご無沙汰の状態だ。
主な原因は、生活時間が噛み合わないこと。なにしろ、私が起きている時間に彼が帰って来ないのだから。
かといって、たまに2人で予定を合わせて旅行に行っても、和樹は旅先でなにかと「インスピレーションを得たい」と動き回ったり、あるいは1人で集中したりしている時間が長く、いいムードになることなんてほとんどない。
2人とも子どもを望んでいるわけではないので、絶対にしなければならないわけではない。
だから、私からも強く主張することはなく…そんなこんなで、月日が流れてしまったというわけだ。
― でも、やっぱりスキンシップはしたい！子どもがいないからこそ、2人の関係を育むことは大事だし…。
頭の中で結論を出すと、意を決して和樹に向き直る。
なるべく重くないトーンで、少し甘えた声で、酔っぱらったフリをして…計算に、計算を重ねつつ。
「ねえ、和樹。今日、久しぶりに、さ…」
普段より1オクターブは高い声で極力ゆっくりと喋り、彼の胸に掌を当てた。
それなのに。
「うん、久しぶりに万里子とこうして飲めてよかった。でも、明日も仕事なんだろ？もう寝た方がいいんじゃない？」
「え？」
1ミリも酔ってない声で返事が返ってきて、唖然とする。
「あのね。私たち、しばらくしてなかったし…たまにはどうかな、って思ったんだけど」
正直、ここまではっきりと言うのは嫌だった。どうしても“したい女”と思われそうだし、私ばかりが求めているような、むなしい気分になる。
でも、今日ばかりはチャンスだと思ったのだ。だから、勇気を振り絞って言ったのだけど…。
「うーん、なんか急に酒が回ってきたなぁ…」
あろうことか、和樹は酔ったフリをし始めたのだ。
― なにこれ、はぐらかされてる？
すっかり興ざめしてしまった私は「そっか」と無理やり笑顔をつくった。
「シャワー浴びて、そろそろ寝るね」
「うん、行っておいで。俺はもう少し、ここで飲んでいようかな。明日も頑張ってね、おやすみ」
「…」
和樹の声色は、優しい。
それなのに、私にはとても冷たく感じられた。
友人の助言
その週の週末。
私は、長年の親友・優香と中目黒の『ビストロ イノッチ』を訪れていた。この店の季節野菜と穀物のテリーヌは味だけでなく見た目も華やかで、運ばれてくるとつい写真を撮ってしまう、私たちのお気に入りだ。
母校である慶應商学部で優香と知り合ったのは、もう20年近く前だ。
代官山に住む彼女は、私と同じDINKS妻だ。
和樹のことを知っている彼女に、私は夫とレスになってしまっていることを相談することにした。
「夜の誘いの拒否、かぁ。『今日は疲れてる』とか、理由つけて断ってくれた方が、気持ち的にはラクだよね」
木曜の夜の出来事のことを話すと、優香は渋い顔をした。
「半年もレスなんだもんね…他に女性がいる可能性はないの？毎晩アトリエにこもって、朝になるまで帰ってこないんでしょう？」
優香の言葉に、ハッとする。そんなふうに考えたことなど1度もなかった。
芸術家という職業柄、自分のようなふつうのサラリーマンとは違う働き方になるのは、当たり前のことだと思っていた。だから、毎日朝帰りしているからといって、彼の不貞を疑ったことなんてなかったけれど…。
「たしかに、いくらでも女性を連れ込める環境だよね…」
一度気にかかると、不安は雪だるまのようにどんどん大きくなっていく。
「ごめん、不安をあおるようなこと言っちゃって」
申し訳なさそうな顔をする優香に「ううん、全然」と慌てて笑顔をつくって答える。
― でも、考えてみたら和樹の人間関係のこと、あまり知らないのよね。結婚式もやらなかったから…。
彼とはダイニングバーで知り合ったから、その店の常連客とはお互いに友人だ。
けれど、それ以外の彼の友人に会わせてもらったことは、ほとんどない。
「僕は仕事で若くして成功しちゃったから、美大時代の友達からは嫉妬されちゃって。自然と、縁が切れちゃったんだよね」と和樹が言っているのを聞いたことがある。
「芸術家も大変なのね」と、特に疑問にも思わなかったけれど。
― “和樹自身が話してくれること”以外に、彼のことを知る手段がない。それって、ちょっと心配かも…。
ふと、そんな不安にかられた。
帰宅後
家に着いたけれど、今日も和樹は不在だった。
優香と食事した後だからか、いつも通りのはずのがらんとした部屋が、いっそう寂しく感じられる。
― 和樹のこと、もっと知れる方法はないのかな。
友達を紹介してもらえないことも、土日も含めて朝に帰ってくることも、長くレス状態なことも。
「彼はアーティストだから、そんなものなのかも」「アラフォーなんだから、そんなにガツガツしなくても」と、なんとなく流していたけれど…先日の夜をキッカケに、彼への不信感が募ってしまっていた。
― そうだ。書斎になにかあるかも！
思い立って、彼の書斎に向かう。3LDKのこのマンションは、ベッドルーム以外の2部屋を、それぞれ私と和樹の仕事部屋にしていた。和樹は結局アトリエにこもりがちだから、この1年は使っているところをほとんど見たことがないけれど…。
そろりと、彼の部屋に足を踏み入れる。4畳ほどの部屋には大きな作業用デスクと、壁いっぱいにたくさんの本棚が設置されていて、画集や写真集、ノウハウ本に文庫本と、さまざまな本がところ狭しと並べられている。
― あれ？これって…。
その一角に、私はスケッチブックを見つけた。同じサイズのスケッチブックが10冊以上、隅の方にまとまって収納されている。
そのうちの1冊を開いてみて、私は息をのんだ。
50枚はあるスケッチブックのはじめから終わりまで――すべて、同じ1人の女性の絵が描かれていたのだった。
▶前回：酔った勢いで付き合う前に一晩過ごしてしまった…。その後、彼と意外な関係に発展し…
▶1話目はこちら：「子どもはまだ？」の質問にうんざり！結婚3年目、32歳妻の憂鬱
▶Next：10月29日 土曜更新予定
大量の女性の絵を発見してしまった万里子。夫を追及するものの
