「結婚して豹変したよね」夫に“詐欺師”呼ばわりされた30歳女。女のまさかの言い分とは
『20代のうちに結婚したほうがいい』
一昔前の価値観と言われようとも、そう考える女性も少なくはない。
そんな焦りにとりつかれ、30歳目前でスピード婚をした広告デザイナー・穂波。
しかし穂波は、すぐに後悔することになる。
「なんで私、焦ってプロポーズをうけてしまったんだろう」
私にふさわしい男は、この人じゃなかった――。
◆これまでのあらすじ
穂波は颯斗に心を奪われている。そんな中、一樹との結婚式の話が具体的に進もうとしていた。
穂波は、自分の発言をすぐに後悔した。
「来年の秋頃、私たちはどうなってるかな」だなんて、夫に言うべき言葉ではない。
ソファに座ったままこちらを見上げる一樹の視線は、あまりに冷徹だった。
「穂波、それどういう意味？」
「…そんなに怖い顔しないでよ。だって私たち、どう考えても今うまくいってないじゃない」
「だから？」
穂波は一瞬たじろぐが、ひくにひけない状況だ。
「…だから、来年の秋に結婚式を予約しても、その前に私たちがダメになるかもって…」
「はあ」と一樹はため息をもらす。
「いいよ、単刀直入に言ってよ。つまり、離婚したいってこと？」
問いかけられたことで、改めて考える。
― 離婚は、したい。でも今、こんなに簡単に言っていいのかな。せめて颯斗と佐奈が別れる確証を持ってから、切り出そうかな。
「離婚したい」と一度でも口にすれば、事態が急に深刻化するのはわかっていた。
やはり慎重になるべきか。そう思ったとき、スマホが鳴った。
ちらりと画面を見ると、メッセージは颯斗からだ。
その内容に、穂波の心は跳ねる。
颯斗：本当にもう、佐奈とは終わりかもしれない。
もう一度、通知音が鳴る。
颯斗：今、佐奈の家まで行ってきたんだけど、佐奈はドアを開けてくれなかった。部屋にいるのに。これはもう別れるしかないな。
なんというタイミングでのメッセージ、と穂波は感動する。まるで神様が、自分と颯斗をくっつけようとしているかのようだ。
LINEに後押しされるかたちで、思い切って口を開いた。
「そうよ、離婚。離婚したい」
「離婚したい、か。…なんなんだよ」
一樹の消え入りそうな切ない声が、静かなリビングに響いた。
「まるで、詐欺師だよ。前も言ったけど、結婚前と結婚後の穂波は別人だ。ついこの間までは、小料理屋みたいな完璧な料理を作って、マッサージをしてくれてたのに」
そんなの過去の話だと思いながら、穂波は口をとがらせる。
「なのに、いざ結婚したら豹変して、そのあげくやっぱり離婚したいだって？最悪だよ。一体どうするんだよ。親になんて言うの。会社には？」
一樹は、頭を抱えた。
「恥だよ。大恥。結婚報告をしてまだ3ヶ月ちょっとで、この有様？大人として恥ずかしい」
「ねえ、一樹。良いこと教えてあげる」
穂波は、諭すように呼びかけた。
「一樹が理想としているような献身的な女の子が、この時代、どこにいると思うの？」
「…」
「結婚したいからって取り繕ったのは、たしかに私が悪かった。けど、結婚前なんて、みんな猫をかぶるよ。それを想定していない一樹も悪い。そして、理想に無理がありすぎ」
一樹は頭を抱えたまま、表情を見せずにしばらく押し黙った。
「一樹さ、前からさんざん“妻なら支えてほしい”だの“献身的であってほしい”だの言ってたけど、その支えられたい病、治したほうがいいよ。あの亭主関白なお義父さんから遺伝したんでしょうけど、今の時代そんなの通用しないんだから」
長い沈黙のあと、一樹はとても優しい声でこう言った。
「穂波。…今すぐ出ていって」
不本意ながらも、同じ空間にいたくもないので荷物をまとめた。
とりあえず颯斗に会いにいこうと思ったが、電話をしても出てくれなかった。
次の候補に思い浮かんだのは横浜にある実家だったが、両親に「夫婦喧嘩？」などと詮索されるのは面倒だ。
悩んだ末に穂波がタップしたのは、退職したばかりの会社の同僚・花苗の連絡先だった。
「もしもし？」
「ああ、花苗。遅くにごめんね。あのさ…今日、泊めてくれない？」
「なに？旦那さんとケンカでもしたの？」
「そんなところ…」
花苗は「わかった」と快諾してくれた。
「気をつけておいでね」
目黒にある花苗のマンションに入るのは、初めてだった。
部屋に入ると、リビングのローテーブルの上に、部屋着とタオル、パウチ入りのメイク落としシートがきれいに重ねて置かれている。
横に置かれたティーカップからは、アールグレイの香りが立ちのぼっていた。
「まあまあ、とりあえず着替えて、リラックスしな。よかったら、クッキーとかアイスもあるよ。食べる？」
その至れり尽くせりな対応に、穂波は呆然とする。
「そんなに献身的な子が、この時代、どこにいると思う？」と数十分前に言ったばかりだが、発言を取り消す必要があるかもしれない、と思った。
部屋着に着替えて紅茶を飲んでいると、花苗が横に座って言った。
「で、どうしたの？」
「実はね…」
穂波は、説明する。一樹が、まるで家政婦のように扱ってくること。一樹を育てた義両親も、それが当たり前だと思っていること。家にいると息がつまってしまうこと。
自分の結婚生活が幸せではないことを誰かに白状したのは、初めてだった。
「それで、ケンカになったのか。つらかったね」
「うん。…でも一樹いわく、結婚生活がうまく行かないのは、私のせいなんだって」
「え、どうして？」
「私ね、30歳目前で、結婚に焦ってたの。だから早くプロポーズされるために、交際期間中、一樹にちょっと猫をかぶったの。一樹が献身的な子が好きって言うから、料理とか、マッサージとかしてあげて」
花苗は、続きを促すようにうなずく。
「ただ、当然そんなの続かなくて。私は、私の時間を奪われるのがいやなのよ。あの人に、なにもしてあげたくないの。それが一樹からすれば、騙されたように思うんだって」
「そっか…」
「ねえ、ひとつ聞いていい？花苗はさ、なんでこんな献身的にできるの？生まれ持った性格？今日も、部屋着とメイク落としに、この紅茶も…。私はこういうのできない」
すると花苗は「誰にでもこうできるわけじゃないよ」と笑う。
「大切な友達とか、彼氏には、色々してあげたくなる。それだけよ」
「穂波はさ、旦那さんのこと好きだから結婚したわけでしょう？好きな人のためにあれこれしてあげるのは、嬉しくないの？」
花苗の言った「好きな人」という言葉が、引っかかった。恋愛の意味で好きだと思ったことが、果たしてあっただろうか。
「…あのね、花苗」
「ん？」
「一樹は、好きな人ではないの」
「え？」
スプーンにアイスを乗せたまま、花苗は静止した。
「一樹は、ただ結婚可能な男だっただけなの。正直、恋に落ちた感覚は一切なかった。結婚向きだと思ったから、選んだの」
花苗は口をへの字にして眉間にしわを寄せた。
「そんな…かわいそう。一樹さんもだけど、穂波もかわいそう。そんなふうに結婚しちゃうなんて、かわいそう」
穂波はそのとき、悔しい気持ちが湧き上がるのを感じた。人から「かわいそう」と連呼されることを、プライドが断固拒否している。
「かわいそうなんかじゃない」
「いや、かわいそうよ…」
「違うの。私、ようやく出会ったの」
自信に満ちた表情で穂波は言った。余計なことを口にしている自覚はあったが、「かわいそう」でないことを証明したくて、言葉がするすると滑り出る。
「花苗と一緒に行った書店イベントに登壇してた広告事務所の社長・秋岡颯斗よ。私、一樹と別れたら、あの人と一緒になろうと思ってるんだ」
急な話に、花苗は目を丸くした。
「それって…その人と不倫してるってこと？」
「ううん、食事はしてるけど、手も握ってない。彼には今彼女がいるし、私たちはまだなにも始まっていないの。ただ颯斗はもう彼女と別れるわ。だから付き合える確信はある」
花苗はただ、信じられないものを見るような目で穂波を見ていた。
▶前回：「酔っちゃった…」カウンター席で、若手社長に肩を寄せた女。しかし男はまさかの反応で…
▶1話目はこちら：スピード婚は後悔のはじまり…？30までの結婚を焦った女が落ちた罠
▶Next：10月28日 金曜更新予定
穂波は、ついに佐奈と対面することに…
