「欠点のない男」と「完璧な女」。完全無欠のカップルが、交際1年で破局した理由とは？
東京…特に港区は、ウソにあふれた街。
そんな港区を走る、すこし変わったタクシーがある。
ハンドルを握るのは、まさかの元・港区女子。美しい顔とスタイル。艶のある髪。なめらかな肌…。
乗客は皆、その美貌に驚き、運転席の彼女に声をかける。
けれど、彼女と話すには、ひとつルールがあった。
「せめて乗車中はウソ禁止です」
乗客たちは、隠れた本音に気づかされていく――。
▶前回：飲み会で出会ったばかりの男と、タクシーで一緒に帰る女。女が男に仕掛けた、ある罠とは？
神谷町〜清澄白河 広輝を乗せて
25時すぎ。
舞香は、後部座席に広輝を乗せ、タクシーを走らせていた。
先ほどから、広輝は自身の恋愛話を繰り広げている。そしてタクシーが汐留に近づくころ、広輝はこう言った。
「僕の彼女は、いつだって上機嫌なんです。…ほら、多くの女性って、突然不機嫌になったりするじゃないですか？」
広輝は「それって男性的には、理解はできるけど、共感は難しい案件で…」とあわてた様子で付け加えた。舞香が女性なので、フォローをしたのだろう。
「僕の彼女はそういう共感しずらい部分が一切なくて、つまり完璧なんです」
「いいですね。自分の機嫌を自分で取れる人、素敵です」
舞香は答えた。
「僕もそう思ってました。ただ…」
バックミラーの中で広輝の表情があからさまに暗くなる。
「彼女のことを女友達に話したとき、その子が『その彼女、絶対二股してるよ』って言ったんです」
その女友達は「感情が安定している女性なんて1人もいない」と言ったという。
感情の捌け口が他にあるからこそ、広輝の前で上機嫌でいられる。彼女は絶対に二股しているし、もしかしたら広輝は本命ですらないかもしれない。
…それが女友達のアドバイスだったらしい。
「で、僕の彼女、実際どうだったと思います…？」
「どうだったんですか？」
「案の定、二股していました」
広輝を乗せたのは、5分ほど前。
神谷町に差し掛かったところで、彼は舞香のタクシーを止めた。
「残業で、終電を逃してしまった」という広輝は、舞香の顔を見るやいなや、こう尋ねたのだ。
「運転手さんって、二股したことありますか？」
知り合って早々の質問としては、かなり失礼な発言だ。
だがここはタクシー。いつだって一期一会の、別世界。相手が知らない人だからこそ聞ける話があるし、言える話がある。
― でも、男性のお客さんが、私の恋愛について聞いてくるなんて、珍しい。
ドライバーが若い女性だと気づいて、恋愛の質問をしてくる客は少なくなかった。
ただしそれは女性客が多く、しかもほとんどの場合、「自分の恋愛についてどう思うか」という客自身の話に終始する。
「お客様は、私が見ず知らずの女性だからこそ、なにか話したいことがあるんですね」
「…鋭いんですね。そのとおりです」
「その質問、お答えしてもいいですが、その前に、お客様になにがあったのか、正直に話していただけますか？」
「えっ？」
「このタクシーに乗っている間は、ウソ禁止なんです。本当のことを、お話しいただけますか」
「わかりました。じゃ、運転手さんも変な気を使わずに、思ったことを正直に話してください」
「もちろんです」
こうして広輝は語りだした。
広輝は、現在34歳。25歳のときに、大学時代から付き合っていた女性と結婚した。
しかし、たった1年で離婚に至る。元妻に未練はないという。
以来8年、多くの女性と付き合ってきたが、元妻を含め、気の強い女性ばかりだったそうだ。
「僕、自立している女性が好きなんです。そうなるとだいたい、相手は気が強い人になります」
しかし、気が強い人は、感情のアップダウンが激しく、不安定な感情になることが多い。
広輝の歴代の彼女は、感情が不安定になった挙げ句、なぜかいつも浮気に走った。
「元妻との離婚の原因も、浮気です。僕、二股されていて」
淡々と広輝は言った。
未練がましい口調ではなく、昨日の夜はパスタを茹でて食べました、ぐらいの本当に事務的な話し方だった。
「だから、決めたんです。次に付き合うなら、気が強くなくて、感情のアップダウンもない、安定した女性を選ぼうって。その条件にピッタリ合ったのが、1年前に付き合った今の彼女でした」
そして、タクシーが汐留に差し掛かるころ、広輝は言ったのだ。
「僕の彼女はいつだって上機嫌なんです」
「完璧」とまで褒め称えていた広輝だが、そんな彼女もまた二股していたという。
バックミラーに映る広輝は、悲しげに肩を落とした。
「でも今、彼女を責める気はありません。何度も浮気や二股をされて、ようやく僕、気づいたんです。
男の浮気はもちろん男のせいだけど、女の浮気も、男のせい。この世に存在するあらゆる浮気は、男の責任です」
広輝は持論を展開する。
男の浮気は、あらかた性欲。しかし女の浮気は違う。
女の浮気は「彼氏に放置されて悲しい」「彼氏が仕事が忙しくて寂しい」「彼氏が浮気したことに対する腹いせ」など、付き合っている男に原因がある場合がほとんどなのだという。
「だから彼女は、悪くない。僕に原因があるんです。彼女じゃなくて、浮気される僕が悪いんです」
タクシーは、浜離宮から築地へ抜けていく。このあたりは、昼は築地場外に訪れる人々で賑わうが、深夜になると人影はほとんどない。
「でも僕…自分で言うのも何ですが…そこまで悪い男じゃないと思うんですよ」
仕事が忙しいからと彼女を放置する、わけでもない。彼女より友達や趣味を優先する、わけでもない。
彼女の願いは率先して叶えるし「優しい」と言われる。かといって、甘やかしているわけでもない。
そして、とても肝心なことに、セックスレスになったこともない。
ひと通り話した広輝は、照れ笑いをした。
「つまり、自分的には、欠点がないバランスの取れた男だと思っているんです。
もちろん中身以外の問題で、見た目が生理的に受け付けないとか言われたら、それまでですが…。でも、そうだとしたら、そもそも付き合うわけないですもんね」
たしかに、広輝は高身長で容姿端麗だ。見た目で広輝を嫌う女性はいないだろう、と舞香は同意する。
話を聞いている限り、広輝に欠点は見当たらない。
「僕の、どこが悪いんですかね？」
初対面のタクシードライバーに尋ねる類の質問ではないと思ったが、舞香は約束した以上、正直に答えたかった。
しかし、本当に欠点が見つからない。
と、そのときだった。
― あっ。
不意に、舞香は気づく。
「お話を聞いていて思ったのですが、お客様、もしかして…」
「先ほどお話に出てきた『その彼女は絶対二股してる』と言ってきた女友達のことですが」
「えっ？はい…」
「そんな女友達、本当は存在してないんじゃないですか？」
広輝は絶句したように押し黙った。
「この車内ではウソは禁止です、と約束しましたよね？」
「…すいません」と、ばつが悪そうに謝る。
「運転手さんのおっしゃるとおりです。そんな女友達、存在しません。でも、どうしてわかったんですか？」
「友達より彼女を優先するとおっしゃっていたからです。そういう方に、深い話をする関係の女友達が、本当にいるだろうかと直感したんです。
女友達ではないなら、その言葉は誰から言われたんですか？」
「…SNSです。SNSに、そう書いてあったんです」
「SNS？」
「はい。僕、恋愛を理解するために、恋愛についてあれこれ呟いてるアカウントを片っ端から読むんです」
仕事が忙しい上に、少ないプライベート時間をすべて彼女に捧げる広輝は、友人・知人と会話して情報収集する時間がない。
ゆえに、ネットに転がる言説に飛びついてしまうらしい。
「…もしかして、お客様は“マニュアル好き”ですか？」
「あっ、はい。マニュアル、好きです。仕事でもマニュアルをたくさん作って、効率化して部下に教えてます」
舞香の経験上、この手のタイプの男性は頭がいい。だから女性が嫌がることを把握し、徹底的に避けられる。それでいて容姿端麗となればモテる。
が、付き合った女性に浮気や二股されてばかり、ということは…。
「お客様の欠点は『欠点がないこと』です」
「欠点がないことが、欠点…」
広輝は呆然としながら復唱した。
「人間は、欠点がない人間と付き合うと窮屈になるんです。お客様の彼女も、お客様の前では『欠点のない女性』を演じるしかなかったのではないでしょうか。
だから無理をしてでも、常に上機嫌でいたんです。ただ、彼女にはそれが窮屈だった」
広輝は我に返ったように聞き返す。
「で、でも、世の中のほとんどの人間が、欠点のない人間を目指しているじゃないですか？
そういう人間になれたのに、それが欠点って…。じゃあ、俺は一体この先どうしたらいいでしょうか？」
舞香は即答する。
「他人の…それもSNSの言説に踊らされて、完璧になろうと躍起になるのではなく、あるがままの姿で恋人と接すればいいのではないでしょうか？
お互いの欠点や短所を『魅力』だと思い合えることが、本当の恋愛だと私は思います」
後部座席から、広輝がハッと息をのむ声が聞こえる。
舞香は、最後に断りを入れた。
「お客様にウソなく正直に話していただけたので、私も失礼だとは思いつつ、正直にお伝えしました。どうかご了承ください」
「いえ…なんか、少し気が楽になりました。あるがままの自分でやってみたいと思います」
タクシーは永代橋を通過していく。
清澄白河に到着して広輝を降ろしたあと、舞香は自身の過去を思い出す。
「舞香って、欠点がないところが欠点だよね」
港区で出会い、恋に落ちた男性に言われた一言。
表示を『空車』に変えて走り出すと、舞香は思った。
― あの人は、港区女子をやめてタクシー運転手になった今の私を見て、一体どう思うのだろうか。
もう二度と会うことはない男を想いながら、舞香はアクセルを踏む。
タクシーは港区へ戻っていった。
▶前回：飲み会で出会ったばかりの男と、タクシーで一緒に帰る女。女が男に仕掛けた、ある罠とは？
▶1話目はこちら：港区女子を辞め、運転手に転職した美女。きっかけは？
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台風で客がいない夜。舞香はタクシー運転手になる前のことを思い出す。
