「バーキンを見せびらかす女って嫌味よね」庶民派ママから同意を求められた、35歳独身女の答えとは
「女の敵は女」
よく言われる言葉ではあるが、これは正しくもあり間違ってもいる。
女の友情は、感情が共鳴したときに強くなる。逆に感情が衝突すると亀裂が生じ、情も憎しみへと変化する。
この亀裂をうまく修復できなかったとき、友人は敵となる。
だが、うまく修復できれば関係性は、より深いものになる。
ここに、性格が正反対のふたりの女がいる。
ひょんなことから東京のど真ん中・恵比寿で、同居を始めたことで、ふたりの運命が回りだす…。
テレビ局に勤める諒子は、大学の同級生で、セレブ専業主婦のマリと再会する。その数日後、諒子の家に突然マリが押しかけてくる。彼女は夫と離婚が決まっているのだという…。
▶前回：恵比寿Sisters：35歳独身女がセレブ妻になった同級生と再会。彼女が放った高慢なひと言に…
Vol.2 30overの女ともだち
ここは諒子の勤務先である、テレビ局のオフィススペース。
フロアにあるTVモニターに映されている自局のワイドショーを眺めながら、諒子は大きなため息をついた。
マリの夫であるメジャーリーガー・濱口海斗の、離婚問題が報じられているからだ。
「奥様は2億円超の慰謝料を要求しており、濱口選手も受け入れる模様です」
「子どもがいないにもかかわらず、これだけの高額は裏に何かあるのでしょう」
「奥様はシーズン終了を待たずして、帰国しているようです」
流れる情報は、問題の当事者と共に暮らしている諒子にとっても初耳のことが多かった。
マリが転がり込んできて、1週間。
行く当てなく傷心で、北海道に実家があるマリに、やすやすと「出ていけ」とも言えず、鍵を渡してしまったのが最後。そのまま居座らせてしまっている。
ここ最近、諒子は多忙で帰宅が深夜に及んでいた。そのため、話し合いの時間をまったく取れずにいるうちに、マリの家具が諒子の家へと運び込まれてしまった。
「ちょっと、諒子。なんなの、彼女！」
千奈津が、頭から湯気を出しながらデスクに近づいてきた。
彼女は、諒子とマリの再会のきっかけを作った、スポーツ局にいる同僚だ。
「マリさん、離婚なんてひと言も言ってなかったのに…。接待して損した！」
「き、きっと、なかなか言えない事情があったのよ」
気持ちは理解できたが、諒子はマリを思わずフォローする。しかし、彼女の怒りの勢いは収まらなかった。
「それ以上に腹立つのが、彼女、白沢クンを口説いているみたいなの。離婚するとはいえ、何なの？」
「え？」
白沢クンとは、千奈津が目をかけているスタッフで、先日の接待の席にもいた男だ。
連絡先を交換したのをいいことに、マリは彼を食事に誘ったばかりか、家にまで押しかけようとしたのだとか。
― マ、マリらしい…。
学生時代、彼女は男性に対して奔放な部分があった。時を経ても変わっていないことに、諒子は笑いを堪える。
「諒子とも、学校が一緒だっただけで本当は親友でもないんでしょ？ふたりって、全然タイプ違うもん。厄介な同級生をもって大変ね」
「え…」
― タイプが違う、とはどういうことだろう。
確かに性格は違うことは理解しているが、諒子は千奈津の言葉に引っかかった。
「初対面から苦手だなって思っていたのよ。マリさん、全身ブランドでバーキンを堂々と見せつけながら現れたのよ。バッグなんて、モノが入れば十分なのにね？」
あきれ顔の千奈津。そんな彼女に見つからぬよう、諒子はサッと自分の通勤鞄であるザ・ロウのマルゴーをデスクの下に隠し、うなずいた。
「…う、うん。どんなにお金があっても、3万円以上のバッグなんて、買う気が知れないわぁ」
「そうよね〜！」
千奈津は、思う存分吐き出し、諒子が同調したことにも気が済んだのか、足取り軽く自分の持ち場へと帰っていった。
― ハァ…。
男勝りな性格の千奈津は、若くして制作会社スタッフと結婚し、今は2人の子どもの子育て中。
高給といわれるテレビ局社員ではあるが、時短勤務中ということもあり、彼女は庶民の感覚を持っていた。
そのため、節約のために弁当を持参し、社員食堂で食事を取る諒子の横でランチを食べるのが日常になっていた。
その際の話題は、子どもの話ばかり。そんな千奈津との時間に、諒子は退屈な想いを感じていた。
― 実を言うと、外で美味しいランチをしたい派なんだけどなぁ。
千奈津の誘いを断るという選択肢はあるが、仲のいい同僚は異動や結婚退職で疎遠になってしまった。
話の合わない仲間でも、大切にしなければならない。
35歳という年齢で新しい友人を作るのは、恋人を作るよりも難しいのだ。
19時ごろ、諒子が恵比寿の自宅に戻ると、玄関には明かりがついていた。
その新鮮さに驚きつつも、この機会を逃さんとばかりに大声で呼びかける。
「マリ、いるの？話があるんだけど」
『今日こそは鍵を返してもらって出て行ってもらおう』と、諒子は決意する。そして、玄関からまっすぐにリビングダイニングの扉を開けた。
「おかえりー！」
マリが笑顔で諒子を迎えた。
目の前には、見たこともない光景が広がっていた。
マリはフリルのエプロン姿で、ダイニングテーブルに色とりどりの家庭料理を並べている。
肉料理や彩り豊かなサラダなどのたくさんのおかず。すべてが手作りで、まるでパーティーのようだ。
「夕食作ったの。今日は早く帰って来たのね」
ニコニコしながら台所に立つマリ。
諒子は夕飯代わりに恵比寿駅前の『東京豚饅』で豚饅をふたつテイクアウトしてきたが、食卓の美味しそうな匂いで、それは朝ごはん用へと変更された。
「すごい…濱口海斗のブログで見たご飯と同じ…」
何気なく返した後で諒子は、ハッと口元をおさえた。
刺激せぬよう、離婚問題については段階を踏んで追及するつもりだったが、いきなり核心をついてしまうとは。
「そうよー。明日から諒子も155キロのストレート投げられるよ！」
すぐに返ってきた直球の明るい答え。逆に諒子は口ごもってしまう。そんな様子に、マリは何かを察したようだった。
「ごめんね、お騒がせして。でも、私は大丈夫。嫌いで別れるわけじゃないから」
「そう…」
“嫌いで別れない”という言葉が気になったが、諒子はスルーした。
聞いて欲しそうだったが、問題に首を突っ込みたくなかった。話を逸らすように別の話題を口に出す。
「でも、まだ離婚していないのに、若手のスタッフ君に手を出すのね」
「…え？」
マリは突然エプロンを脱ぎ捨て、ソファに叩きつけた。
「手を出した！？彼が『お世話をなんでもします』って言うから、泊まるホテルとご飯のアテンドをお願いしただけ！地元も同じだし、可愛かったからあわよくばとは思っていたけど！」
マリは諒子の言葉に怒った様子を見せながらも、下心があったことを素直に白状した。追及したかったが、火に油を注ぐかと思い、諒子は口をつぐむ。
「…まぁ、確かにあのコ、俳優の瀬戸康史さんに似て可愛かったよねえ」
「でしょ？？」
諒子にとっては苦し紛れの返答だったが、マリはそれで機嫌をすぐに直したようだ。
マリは冷蔵庫から缶ビール2本を取り出すと、諒子に1本差し出した。
この頃には、何もかも我が物顔で家を使っている彼女を、責める気も失せていた。
「でも、諒子のタイプじゃないよね？諒子は屋敷錠みたいな雰囲気系が好きよねぇ」
「…！」
屋敷錠。昔好きだった同級生の名前だ。
― この子は、13年前ですべてが止まっているんだ。
どんなに時を経ようが、彼女も、彼女の中で諒子も、いまだ学生時代のままなのだ。きょとんとするばかりのマリに、あきれてため息をつく諒子。
「…そうだ、これ」
そんな時、何かを思い出したかのように、マリはテーブルの下から、大きなショッピングバッグを取り出す。
「これ、あげるね。家に居候させてくれるお礼」
横長の特大サイズ。その中心に、見覚えのあるハイブランドのロゴが輝いている。
まさか、と思いながら、諒子は包装をあけた。
「え、本物…？」
出てきたのはエルメスのバーキン。しかも、諒子がもし購入するならこの色だと妄想していた、トゴのエトゥープだった。
「当たり前でしょう。私の好みではないけれど、今日、お店に行って担当さんが見せてくれた時、諒子好きそうだなってピンときたの」
真面目で地味に見えるが、実は高級志向で野心家の諒子。それは学生時代から友人の間で有名だった。
趣味嗜好や性格を覚えられていたのが悔しかったが、目の前にある憧れのバッグに素直に心が踊る。
― なんだかんだで私も13年間、変わっていないのかもしれない。
マリは昔から友達思いであったことを思い出す。サークルの飲み会でつぶれた諒子を、朝までトイレで介抱してくれたこともあった。
再会の際も、酔った諒子をタクシー乗り場まで送ると寄り添ってくれていた。
「ありがとう…」
恐縮しながらも、素直に嬉しくなってしまう自分が憎かった。
バーキンが嬉しいのではなく、もっと別の意味で……。
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35歳、独身バリキャリの諒子に春の予感が訪れるが…
