1922年の今日、池上電気鉄道によって蒲田〜池上間に池上線が開業しました。現在の東急池上線です。「都会のローカル線」で知られますが、廃駅のほか、かつては延伸構想もありました。

初めは目黒を目指した池上線

 ちょうど100年前の今日、1922(大正11)年の10月6日は、東急池上線(蒲田〜池上)が開業した日です。同線は東急電鉄の前身のひとつ、池上電気鉄道によって開業しましたが、当時の目的は省線(現・JR)の蒲田駅から日蓮宗の大本山・池上本門寺への参詣客の輸送でした。


東急池上線で使われる1000系電車(2015年2月、大藤碩哉撮影)。

 池上線はその後、雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)、大崎広小路と延伸し、開業から6年後の1928(昭和3)年には五反田駅まで全通します。なおこの間に、早くも久が原〜池上間の光明寺駅が廃止されています。また当初は終点を、五反田ではなく目黒にしようとしていました。

 しかしそれを阻んだのが目黒蒲田電鉄でした。同社は1923(大正12)年に目黒〜蒲田間を開業させ、池上電気鉄道は計画を変更せざるを得なかったのです。両社とも現在の東急電鉄のルーツですが、当時はライバル同士でした。

 池上電気鉄道も負けじと延伸構想を打ち立てます。雪ヶ谷から西へ分岐し、国分寺まで至るという壮大なルートです。敷設免許を取得し、池上線全通から4か月後には「新奥沢線」という名称で、まずは雪ヶ谷〜新奥沢間の約1.5kmを開業しました。

五反田駅が高い位置にあるのはなぜ?

 しかし、次々と新線を開業させていた目黒蒲田電鉄に、池上電気鉄道は吸収合併されます。1934(昭和9)年のことでした。新奥沢線も廃線になり、現在は新奥沢駅の跡地に記念碑が立っているのみです。なおもう1か所、池上電気鉄道が延伸をもくろんでいた箇所があります。五反田駅先です。

 池上線の五反田駅はJR山手線のさらに上部にありますが、これは山手線を高架で越え、その内側に位置する白金猿町(現・都営浅草線の高輪台駅付近)まで到達しようとしたからでした。白金猿町には当時、銀座方面から東京市電が通っており、その乗り換え客を呼び込もうとしたのです。しかしこちらも、市電の五反田延伸などにより、実現することはありませんでした。


2017年、開通90周年特別イベントとして、池上線全線で乗り降り自由な「1日フリー乗車券」が配布された(乗りものニュース編集部撮影)。

 先ほど光明寺駅について触れましたが、同線にはもうひとつ廃駅が存在します。戸越銀座〜大崎広小路間の桐ヶ谷駅です。同駅は終戦間際の空襲で焼失し休止され、戦後も復活することなく1953(昭和28)年に廃止されました。現在、痕跡はほとんどないものの、改札口があったと思しき場所は、東急電鉄の私道となっています。

 3両編成の電車が行き交い、下町風情を残す沿線など「都会のローカル線」としても知られる全長10.9kmの池上線。活性化プロジェクトの一環で、2017年には「無料乗車デー」が設けられたほか、「木になるリニューアル」を通じて駅舎を木造化するなど、資源循環型まちづくりのモデル路線にもなっています。