駅ビル次々閉鎖「新宿西口」 なぜいま建て替えラッシュ? 駅前だけでは到底終わらないワケ
日本屈指の高層ビル街である新宿西口が建て替えラッシュを迎えています。JR東日本や小田急電鉄など鉄道系列の物件に加え、明治安田生命やヨドバシカメラなども含まれます。その理由を、街の成り立ちから振り返ります。
鉄道系のビルが次々と建て替え予定
日本最大の利用者数を誇る新宿駅。雑居ビルから構成され繁華街が広がる東口に対し、西口は高層ビルが並ぶ近代的な街並みが印象的ですが、そんな西口に今、再開発の波が押し寄せています。
新宿駅周辺の再整備が動き出したのは2017年のこと。駅、駅前広場、駅ビルなどが有機的に一体化した「新宿グランドターミナル」構想が策定され、2046年の整備完了を目標とした事業計画が2021年7月に決定しています。
新宿駅西側を見たところ(画像:写真AC)。
この計画の一環として小田急電鉄と東京メトロは2020年9月、小田急百貨店の入る小田急ビルと新宿地下鉄ビルデイングを建て替え、地上48階 高さ約260mの超高層ビルを建設すると発表しました。また京王電鉄とJR東日本も2022年4月、2040年代までに京王百貨店周辺を建て替える構想を発表しています。
駅ビルだけではありません。西口駅前にあった明治安田生命ビルは2021年8月に建て替え工事が始まっており、2025年11月に高さ約126mの高層ビルが完成予定です。道路を挟んだ位置にあるヨドバシカメラ新宿西口本店一帯でも再開発が検討されているようです。
なぜ新宿西口で再開発ラッシュが起きているのでしょうか。その理由は西口の成り立ちに理由がありました。新宿駅が開業した約140年前までさかのぼって見ていきましょう。
新宿は「僻地」だった
新宿駅は1885(明治18)年3月1日、甲州街道の宿場町だった内藤新宿から西に約800mの「僻地」に開業しました。そのため開業初年度の1日平均乗降人員は70人程度で、雨の日は乗客がいないことも珍しくなかったそうです。
1889(明治22)年に甲武鉄道(現在のJR中央線)が開業し、1894(明治27)年に都心方面へ延伸すると駅の利用者は増え始めます。彼らを目当てに、当時の新宿の中心地であった新宿追分(現在の新宿三丁目)に近い東口の新宿通り沿いから店舗が増えていきました。
一方その頃、西口は工業地帯として開発が進んでいました。1898(明治31)年に江戸以来の上水道・玉川上水に代わる近代水道施設として淀橋浄水場が開設されます。続いて六桜社(現在のコニカミノルタ)が1902(明治35)年に写真活版・印画紙の工場を、1909(明治42)年に東京瓦斯(現在の東京ガス)が淀橋供給所(角筈ガスタンク)を建設。翌1910(明治43)年には大蔵省東京地方専売局(現在の日本たばこ産業)のたばこ工場が銀座から移転してきました。これら施設の通勤需要で新宿駅の利用者はさらに増加。1924(大正13)年に青梅口(西口)が設置されると、翌年には東西を結ぶ地下道が設置され、西口の存在感が増していきました。
ところが新宿西口の工場群は、昭和期に入ると拡大する市街地に飲み込まれていきます。1932(昭和7)年に淀橋浄水場を北多摩郡武蔵野町の境へ移転する構想が浮上し、移転を前提とした都市計画が決定しました。
戦争による中断 再開発始動は1960年代に
続いて1936(昭和11)年にたばこ工場が品川に移転。広大な用地に副都心を建設し、西口地下に総合鉄道ターミナルを整備する計画が動き始めます。しかし戦争の勃発により淀橋浄水場の移転は実現せず、駅前広場を整備しただけで中断してしまいました。
京王・小田急の改良工事が進む西口(1963年)。『ステイション新宿』より引用。
西口の再開発が再始動するのは終戦から15年が経過し、地下鉄丸ノ内線が新宿まで到達した翌年の1960(昭和35)年のことです。1965(昭和40)年に淀橋浄水場が廃止され、跡地の造成工事が1968(昭和43)年に完了。1971(昭和46)年に最初の超高層ビルとして地上47階高さ170mの京王プラザホテルが完成しました。これは当時、日本で最も高いビルでした。
この間、新宿駅も大きく変貌を遂げています。京王電鉄は1963(昭和38)年に輸送力増強のためにホームを地下化すると、翌年に駅の上に京王百貨店を開業させました。当時の写真を見ると、低層の建物が並ぶ中で圧倒的な存在感を誇っています。
続いて営団地下鉄が1966(昭和41)年、丸ノ内線の地上部に地下鉄ビルデイングを建設し、小田急百貨店新館が入居します。小田急電鉄も翌1967(昭和42)年に小田急ビルを開業させ、新館を統合する形で小田急百貨店本館となりました。
こうして昭和40年代に現在の新宿西口の姿が形成されていきました。
実は「丸の内が遅れてやってきている」だけ?
今回、再開発が予定されているのは、いずれも淀橋浄水場の移転を契機として1960年代に建設された、いわば第一世代のビルだということが分かります。同時期に建てられたビルが一斉に築50年を超えたこともあり、一帯を巻き込んだ大規模再開発へと繋がっていったのです。
もし淀橋浄水場が当初の計画通り戦前に移転していたら、超高層ビルの建設は大きく遅れたでしょう。1930年代の高層建築といえば東京中央郵便局や日本橋高島屋、明治生命館などがありますが、ざっくりいえば再開発前の丸の内(東京駅前)のような光景です。
小田急ビルと新宿地下鉄ビルデイングを建て替え、地上48階 高さ約260mの高層ビルを建設予定(画像:小田急電鉄)。
丸の内では、戦前に建てられたビルが築50年を超える1990年代から再開発の検討が加速し、2000年代に入って次々と高層ビルに生まれ変わっていきました。新宿西口も同じような流れを辿ったと思われますが、東京と新宿で並行して再開発をするとなるとそのスピードは低下したでしょう。
もうひとつ気になるのが1970年代に入って淀橋浄水場跡地に次々と建設された超高層ビルの行方です。第1号の京王プラザホテルは昨2021年に50周年を迎えており、今後は70〜80年代に建てられたビルの老朽化が問題になる可能性があります。
超高層ビルでは赤坂プリンスホテルが築40年で解体された事例がありますが、新宿西口では1974(昭和49)年に開業した新宿住友ビルが2020年に大規模リニューアルされたように、必ずしも建て替えだけが選択肢ではありません。新宿西口は新旧織り交ぜながら変化を続けていくことになるでしょう。