すべては気づきから始まる。~坂上忍が考えるペットとの「距離感」と子どもの成長に最も大切なこと~
コロナ禍の外出自粛により新しい生活様式が広がり、ペット需要は拡大する反面、動物の虐待や遺棄、多頭飼育崩壊、ペットロス問題などペットに関わる社会問題にもしっかりと向き合う姿勢が求められています。今回は、坂上忍さんが動物を愛する理由、子どもの成長に重要なこと、そして人間が動物に向き合う時にとるべき姿勢について、精神科医の伊井俊貴先生とともに考えていきます。
インタビュー:
坂上忍(タレント、俳優、演出家、司会者)
1967年(昭和42)年東京生まれ。3歳で劇団に入団し、テレビドラマや映画、舞台などで活躍。1997年に映画監督デビュー、舞台の脚本・演出も多数手掛ける。2009年に子役育成のプロダクションを設立。近年ではバラエティ番組に多数出演で司会も務める。大の犬好き。
監修医師:
伊井俊貴(精神科医、心療内科医)
富山県出身。2008年に富山大学医学部医学卒業後、名古屋市立大学病院にて研修。日本若手精神科医師の会においては歴代最年少で理事長に就任。2018年にはメンタルコンパス株式会社を立ち上げ、2019年より愛知医科大学非常勤講師を兼務。
伊井先生
動物の魅力を知るきっかけとなったエピソードを教えてください。
坂上さん
子どもの時から学校帰りに猫がいると、勝手に拾ってきて親にお願いしてというのを繰り返していたので、小さい頃から動物が家にいるのが当たり前の生活でした。きっかけというよりは、動物といるのが当たり前という状態でしたね。
伊井先生
いろんな動物と暮らされていると思いますが、どのような生活を送っているのですか?
坂上さん
犬が12匹と猫が8匹の大家族ですから、朝は3時20分くらいに起きて、メールチェックや事務仕事をして、5時から朝の散歩をスタートします。世話が終わるのが8時半くらいなので、いつも3時間半くらいかかりますね。
伊井先生
そんなにいると大変というか、生活の中心になりますね。
坂上さん
はい。プライベートはないです。ゼロですね。
伊井先生
動物と関わる中で、糧となったことは何かありますか?
坂上さん
学んだことというか、突き詰めるとよっぽど動物の方が偉いな、やっぱり人間ってダメだなってことですね。
伊井先生
なんとなく言わんとしていることはわかりますね。
坂上さん
犬だけで10匹以上いるとなると、犬種もバラバラですし、育ちもバラバラです。それでもみんな折り合いをつけるんです。それは猫も同じです。じゃあ、犬と猫が仲悪いのかというと、全然仲も悪くないんですよ。この環境の中で暮らしていくということがわかっているから、それぞれが我慢するところは我慢し、自己主張するところは自己主張することで折り合いがつくんです。おそらく人間だけですね。折り合いがつけられないのは。
伊井先生
子育てでも同じですが、子どものほうが柔軟にその場での対応をします。何かにとらわれて意地にならないっていうことは、人間の大人だけが出来ないんです。
坂上さん
そう思いますよね。そもそもの原因は人間ですからね。やっぱり人間はダメなんですよ。なんで人間ってダメになるんですか?
伊井先生
子どもの頃は、ダメではないと思います。
坂上さん
子どものほうが大人のように汚れていないということですか?
伊井先生
汚れていないというよりも、子どもや動物はその場の感覚に基づいて好きな行動をするじゃないですか。ただ、大人になるとどんどん思考の世界に入っていきます。
坂上さん
計算が入る?
伊井先生
はい。計算が入ります。もともとは感覚で生きていたところが、その場の思考で物事を行動するように分別がつきすぎてしまうということですね。
坂上さん
なるほど。
伊井先生
坂上さんが、動物保護を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
坂上さん
この数十年の間でペットの需要が高まる反面、捨てられてしまうペットも増えているという状況を知ったことが大きいです。それまでは、ただ好きで動物を飼っていましたが、しんどい子たちもいるという状況を知り、自分の家で抱えきれる範囲であれば迎え入れようと、保護活動をしている方々と知り合いになり、保護活動が始まりました。
伊井先生
保護ハウスは自然な流れで、普段関わっている動物をもう少し大事にしたいという思いから活動が広がったということですね。
坂上さん
はい。何かを訴えたいという気持ちがない訳ではないですが、自分ができる範囲のことをすることで、動物たちが少しでも幸せになったらという思いが一番です。僕自身、動物と一緒に暮らしてだいぶ助けられたので。
伊井先生
坂上さんにとって、保護犬や保護猫の魅力とはなんですか?
坂上さん
ペットショップで売られている多くの動物は、人間に飼われるための動物だと思っています。その反面、保護犬や保護猫は捨てられたり、虐待を受けたりするなど、それぞれのトラウマを抱えているケースが多いです。そのため、人馴れするまでに時間はかかりますが、逆にいうとそれが動物本来の姿だと思っています。本来、人間に懐くために生まれてきた動物はいない訳なので、懐かないのが当たり前だし、時間がかかるのも当たり前だと思います。人によっては、「なつきが遅い子は可愛くない」とか、「めんどくさい」、「飼いづらい」という人もいますが、それが動物本来の姿なんです。そこに対して人間が待つという姿勢や、見守るという姿勢を見せることが大事だと思いますし、その距離感が僕にとっては貴重ですね。
伊井先生
人間主体でしつけをするのが普通ではなく、動物本来の姿勢に寄り添うというのは本当にその通りだと思います。
坂上さん
僕も含めて、動物と一緒に過ごすと「癒やされる」という表現を使うじゃないですか。仕事から帰ってきて疲れたなーと思っていても、うちの子達がお出迎えしてくれると、疲れがふっとぶみたいな。これって医学的な根拠はあるのでしょうか?
伊井先生
一般的に言われているのは、オキシトシンの効果によるものだと言われています。
坂上さん
>オキシトシンが出るとどうなるのですか?
伊井先生
幸福を感じます。もともとは子どもを育てるモードに切り替える司令として、オキシトシンが使われるということはわかっています。それが赤ちゃんを産んでいなくても、動物を可愛がることによって、オキシトシンが分泌されると言われています。
坂上さん
じゃあ僕の場合、動物を見た時に、オキシトシンが出ていると思うのですが、例えば彼女相手に喧嘩になりそうな時に、自力でオキシトシンが出るように操作は可能なのでしょうか?
伊井先生
意図的だと効果は低いかもしれないです。喧嘩をしたり、うまくいかなかったりすることをコントロールしたいという気持ちで動物と触れ合っても、オキシトシンは出ないですね。
坂上さん
作為的じゃだめなんですね。
伊井先生
もし喧嘩をしている時に、偶然犬が通りかかってそれを見た時に、邪念なくかわいいと気づくことができれば、オキシトシンも分泌されるかもしれないですね。
坂上さん
僕の家に高木ブー太郎という犬がいるんですが、僕と彼女が口喧嘩をしていると、人の話をよく聞いて、ものすごく悲しそうな目でみていたんです。それで、喧嘩の時にブー太郎の顔を見たら、歯止めがきくなって感じました。それから喧嘩をしそうな時に、ブー太郎を探すようになってから、少し我慢できるようになった気がするのですが、それは意図的ではないですよね? そういうことはあるんですか?
伊井先生
はい。喧嘩の時って視野狭窄になるんですね。視野狭窄になると、意識がそこにしか向かなくなります。そこに自然界のもの、例えば風が吹いたり、動物が視界に入ったりするなどのイレギュラーな気づきがあると、狭くなった意識から抜け出すことができて、心の柔軟性が高まり、選択肢が広がるということはあると思いますね。
坂上さん
なるほど。ここまでは医学的な根拠について、お話をお聞きしました。それでは動物に癒されることによる効果はありますか?
伊井先生
もともとは瞑想による効果で、マインドフルネスという方法論になります。マインドフルネスとは、マインド=心を気にするということであり、瞑想することにより自分の感情や思考に気づくことによって、それがメンタル不調にも良いということがわかっています。そのひとつの方法として動物と触れ合うことが、マインドフルネスのきっかけにもなり、メンタル不調の改善やその予防、仕事のパフォーマンス向上などにも影響するとされています。
坂上さん
動物と触れ合うことによって、良いメンタルバランスに落ち着いていくのですね。じゃあ例えば、こういった病気に効果があるとか、心以外への効果はあるのですか?
伊井先生
セラピードッグなど、動物を飼うことによって治療効果が出たという研究結果はあります。ただし、動物が嫌いな人が動物と触れ合ってもそういった効果は出ないということは想像できると思います。ここで大事なのは動物に限らず、感覚を意識して何かと接することです。実際に欧米では、セラピードッグのような形式でメンタル不調を安定させるために動物を使うことが流行っていたりします。
坂上さん
病気にかかったとしても、動物と触れ合うことによって、患者さんの心が穏やかなほうが、さまざまな治療に対して素直に体が順応しやすいということでしょうか?
伊井先生
はい。実際に穏やかになるというよりは、自分が穏やかなじゃなかったことに気づくことが穏やかな状態につながるのだと思います。
坂上さん
笑うことが医療に効果をもたらすことと近いイメージですか?
伊井先生
近しいものはあると思います。
坂上さん
意図的ではなく、自然に笑うことによって効果が現れるのですね。
伊井先生
その場にあるものを素直に受け止めるということが重要です。笑うということは自分がおもしろいと感じた感覚に気づいているから笑うわけです。その状態は、マインドフルネスに近い状態にあると思います。
坂上さん
セラピードックには、どういう子が適しているのでしょうか?
伊井先生
相手との相性次第ですね。
坂上さん
それを聞くと、自然ですよね。
伊井先生
その犬が適しているかどうかというよりも、人間側が何を必要としているのか整理ができていないと、相性が合わないと思い込むということになりかねないです。その人自身が必要としているものに、はっきりと気づけていることが重要だと思います。
坂上さん
人間側の姿勢や気づきが重要ということですね。現代社会において、動物との暮らし方など明らかに変わりつつあると思うのですが、いかがですか?
伊井先生
野良犬や野良猫のように、自然に動物がいるという状態が失われつつあると思います。その状態が、しつけをちゃんとして、人間が動物をコントロールしなければならないという風潮につながっていると思います。そもそもコントロールしすぎることが辛くてペットを飼うのに、ペットをコントロールしようとすると元も子もないですよね。
坂上さん
僕も東京で動物と生活している時はそうでした。東京は住宅が密集しているので、ご近所さんに迷惑をかけちゃいけないという思いから、しつけをしていました。でも、これって自分の自己満足や人間の流儀に従わせているだけで、この子たちは本当に幸せなのかなって思うようになったんです。そこで、千葉に移住することにしたんです。そして移住したら、アスファルトよりも土と草の効果がすごくて。こんなに喜ぶんだと思ったら、それからまったくしつけをする気がなくなりましたね。
伊井先生
そうですよね。コントロールしなきゃいけないという囚われから抜けた状態ですね。
坂上さん
はい。気持ちがだいぶ楽になりました。
伊井先生
動物にとってコントロールするものが人間だけの環境にいると、動物自身も忖度するようになります。人間はなおさら、コントロールしたほうが良いと思い込んでいる限り、コントロールをしないと不幸になるとしか考えられなくなります。それがちゃんと五感を使えるような場所や状況へと環境を変えることによって、動物も人間も柔軟になり、関係性が変わるきっかけになると思いますね。
伊井先生
子どもの成長に重要なことはなんだと思いますか?
坂上さん
子どもは十人十色です。僕も子役のスクールなどもやっていますが、いろんな子がいます。本音でいうと、お芝居など技術的なことを教えるのは簡単ですが、最も大切なことは、子どもたち一人ひとりのことを見ていることだと思います。しっかりと見ていれば、今その子にはどんな言葉が必要で、どんな導き方が適切なのかがわかるのだと思います。
伊井先生
見ているという姿勢は、本質だと思いますね。私がやっているメンタルのトレーニングの根幹はマインドフルネスというものです。問題自体を解決しようとするのではなく、本人の気づきを見守るという姿勢が重要ですね。言葉で見ているというのは簡単ですが、それは無視でもなく、強制でもありません。見ているという姿勢は、とても難しいですが、子どもにとって大事なことだと思います。
坂上さん
大人でも子どもでも、誰かに見ていてもらえるというのは、安心しますよね。保護犬、保護猫でもそうですが、気づくのに時間がかかる子もいます。すぐ気づく子ももちろんいますが、これがうさぎと亀のようにいつの間にか逆転する場合もあると思います。何がおこるかわからないからこそ、やはり見ているという姿勢が僕たち大人の役割なのだと思います。
伊井先生
それが本質的ですよね。
坂上さん
僕はお子さんのいる家庭は、特に動物と一緒に暮らして欲しいと思っています。なぜかというと、命の面倒をみるという責任感が養われますし、動物と一緒にいると楽しいですよね。ただ一方で、猫であれば20年くらい、犬であれば10~15年と限られた命であるわけで、当然命の重みを知ることができると思っています。このように、子どもの成長にとって、動物と一緒に生活することは好影響と言っていいんでしょうか?
伊井先生
子どもの成長は、かなり長期的なものになります。薬などであれば効果があるとかないとか言えますが、なかなか子どもの成長にこれがいいのか悪いのかというエビデンスは出てこないと思います。そこを踏まえて僕自身の感覚で言うと、動物と触れ合う機会や命というものを実感するという意味でも子どもの成長には、良いと思います。
坂上さん
こういう言い方をすると、動物を利用しているようですが、例えば家族の中に動物がいたとします。その面倒を子どもがみている時に、動物がいることによって間接的に物事を伝えることができるような気がするのですが、それはどうですか?
伊井先生
そうですね。動物でも人間関係でも、1対1では煮詰まってしまうこともありますよね。その意味で第3者の存在が、お互いのぶつかり合いから、抜け出すきっかけになるということはあると思いますね。坂上さんは動物をたくさん飼われていて、看取りの経験も多くあると思うのですが、その時感じたことや経験について聞かせてください。
坂上さん
僕でもペットロス的な感じになりますね。ただ、動物を保護したいという思いの方が強いかもしれないです。一番初めに動物を亡くした時はしんどかったんですが、10分くらい経って、「この子が1席開けてくれたんだから、もう1人家に呼んであげなきゃだめだな。」と思って、すぐに知り合いに代わりの子を引き取れますよって、連絡をしました。僕の場合強い部分もあるので、どこか自分の中で消化できてしまう部分もありますね。このご時世、深いペットロスにおちいる方が多いですよね? それは、人間のほうが依存してしまうことが原因なのでしょうか?
伊井先生
人間と一緒ですね。遺伝的にみて自分の仲間の死は、そういうメンタルの状態におちいるようにプログラミングされているのだと思います。仲間を亡くして辛い、悲しいという思いは、動物だから割り切れる訳ではなく、同じように辛く悲しく感じるのだと思います。ただ表現の仕方は人それぞれ違いますね。悲しくて1日中泣いている人もいますが、坂上さんの場合、悲しくなかった訳ではないですよね。人それぞれ表現の方法は違うけれど、何かを失った時にそれをなんとか埋め合わせしようとするやり方が、人によって違うのだと思います。
坂上さん
例えばチワワを飼っていて亡くなってしまったとして、その時にそれ以降犬と暮らすことができないと遠ざける人もいれば、その次もチワワを飼う人もいますよね。その中には亡くなった子とそっくりのチワワを飼う人もいて、その果てがクローンみたいなことになると思うんです。そうやって引きずる方もいますよね。
伊井先生
その通りですね。ペットを亡くすということは、コントロールできないことに直面するという辛さがあると思います。クローンで同じ犬が欲しいっていう人は、すごくそのことを悲しんだり、大事に思ったりしているというよりも、受け入れられていないのだと思います。
ペットロスの時に何をすればいいかというと、ちゃんと失ったということを自分の中で受け入れるという過程が大事なのだと思います。
坂上さん
ペットロスから抜け出すために、可愛がっていた動物が死んだんだっていうことを受け入れるということは、最もわかりやすいですね。
伊井先生
誰かを亡くしてしまった人には、ちゃんと悲しんであげてください、泣いてくださいということを伝えます。その時の感情に正直になることが、乗り越える方法になるのだと思います。
坂上さん
大人は受け入れることが大事なのですね。僕は身近な人や動物が亡くなった時に、その死を目にすることは、自分の経験値になると思っています。55歳になった今でも何が正しいかわからないですが、死生観みたいなものって生まれるじゃないですか。子どもっていうのは、そういう時はどういう受け止め方をするのですか?
伊井先生
子どもにとって、一番重要なのは自分を保護してくれる親ですよね。だから、親の死はめちゃくちゃ怖いことです。逆に大人になると遺伝的な問題で、自分の保護している子どもの死が怖くなります。動物の死において、子どもは自分の親と同じように悲しむ訳ではないですね。そこに関しては薄情な訳ではなく、遺伝的なスイッチが働かないという理由があります。ある意味、客観的になれてしまうということはあるのかもしれないですね。
坂上さん
とはいえ、命あるものが果てるということは、その子にとっての経験として残りますよね。
伊井先生
残りますね。失って悲しいという遺伝的な要素とは別に、動物を失うということを経験し、その感覚が自分の中で整理されることは、身近な人が亡くなった時にそれをちゃんと受け止めて、次に進むための糧にはなると思います。
編集部より
私たち人間は大人になるにつれ、時間に追われることや、それぞれの場面における役割に縛られていくことを実感します。その変化が、感覚で行動する機会を減少させ、思考を基に行動することを増やしていくのだと考えられます。
もちろん、子どもや動物主体で行動を決定するということが、子どもの成長や動物との関わりにおいて重要ということは、誰しもが理解しているものの、時間の制約や周囲の目などの影響もあり、その場に適した行動をするよう他者を無意識にコントロールしようとしてしまっている人も多いのではないでしょうか。
これらの行動が、子どもの成長や動物本来の姿を抑え込んでいるだけでなく、自分自身を苦しめているということに気づくことが、最初の一歩として重要なのだと実感しました。
「みている」という姿勢は、子どもの成長や動物本来の姿につながるだけでなく、自分自身の「気づき」を深めます。
今回の対談が、読者の皆様の心の栄養となり、思考だけではなく、感覚で行動することのきっかけとなることを願います。