JR東日本の補強選手として都市対抗の舞台に臨む永野将司【写真提供:全府中野球倶楽部】

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永野将司は「全府中野球倶楽部」に加入、JR東日本の補強選手で都市対抗に出場

 昨年限りでロッテを戦力外となった最速154キロ左腕が、今年からクラブチームの「全府中野球倶楽部」に加入。18日に東京ドームで開幕した社会人野球の最高峰「第93回都市対抗野球大会」に、JR東日本の補強選手として出場している。永野将司投手、29歳。4年間のプロ生活は、公共交通機関での長距離移動が困難な「広場恐怖症」との闘いでもあった。万感の思いを抱き、新たな野球人生のステージに立つ。

「中継ぎなのか、先発なのかはわかりませんが、任された場面を0点で抑えることを目標にして頑張りたいです」と永野は言う。ロッテ時代は主に中継ぎを務め、通算22試合0勝1敗3ホールド、防御率4.30。退団後の昨年12月8日には、埼玉県のメットライフドーム(現ベルーナドーム)で行われた12球団合同トライアウトに参加した。これをきっかけに、1930年(昭和5年)創設で国内屈指の伝統を誇る全府中からオファーを受け入団した。

 今年5月3日には、都市対抗東京都1次予選のJR東日本戦に先発し、3回無安打無失点の快投。しかし、あえてこの回限りで降板している。5日後の8日に、チームが最も重視する「全日本クラブ選手権」東京都予選の準決勝が控えていたからだ。永野降板後、チームは救援陣が打たれて2-9のコールド負け。ただ、この好投が決め手となり、永野自身は相手のJR東日本から補強選手として招請され、都市対抗本戦の大舞台に臨むことになったのだ。

 戦前から長い歴史を持つ全府中も、都市対抗の本戦に出場したことはなく、所属選手が補強選手として出場するのも初の快挙だ。「トライアウトを受けてから半年足らずの時期で、バリバリ投げられる状態だったのが良かったです」とうなずく。

 最速154キロを誇ったロッテ時代を「ほぼ真っすぐとスライダーの2種類だけで勝負していました。1、2年目は7割が真っすぐ。甘いコースにさえ行かなければ、ファウルか空振りを取れていました。3、4年目に真っすぐの質が落ちてきて、スライダーに頼るようになると怪我も増えました」と振り返る。全府中入団後のMAXは147キロ。ストレート、スライダーに加え、カーブ、ツーシーム、最近習得したフォークを駆使している。

ロッテでは北海道遠征に参加せず、仙台と大阪にはマイカーで移動した

 九州国際大在学中、広場恐怖症を発症した。疲労回復のため酸素カプセルに入っていて、45分で出るはずが手違いで約1時間半閉じ込められた。「当時のカプセルは古いタイプで外からしか開けることができず、いつ出られるのか分からずにトラウマになってしまいました」。以降、飛行機や新幹線など「1度動き始めたら、長時間自分の意志で降りられない乗り物」には強い不安を感じ、過呼吸、激しい動悸、意識がもうろうとするなどの症状を呈するようになった。

 ロッテでは1軍に帯同して仙台、大阪に移動する際、1人だけマイカー移動を許可されていた。シーズン終了後の宮崎フェニックスリーグに参加した時には、約20時間かけて宮崎まで車を運転した。「自分が運転する分には、最悪の場合でも路肩に止めて外に出ることができる。安心感があります」と説明する。

 日本ハムの本拠地である北海道への遠征には、陸路だけでは行けないため1度も参加したことがない。飛行機・新幹線の移動を、睡眠薬を常用して乗り越えようと試みたこともあったが徐々に薬は効かなくなり、副作用の倦怠感がプレーに悪影響を与えたことから、取りやめざるをえなかった。

 病気がなければ、もっともっと1軍で働けていたはず。それでも永野自身は「ロッテには病気を承知で獲っていただき、入団後も最大限配慮していただいて感謝しています。最後は病気とは関係なく、左肩を痛めて戦力になれず残念でした。年齢的にも自由契約は覚悟していました」と淡々と振り返る。

平日は一般企業の営業職、チームではロッテの経験を若手に伝える

 野球漬けだったロッテ時代とは対照的に、全府中の活動は週1-2回程度だ。平日は一般企業の営業職として、埼玉県内の自宅から毎日約2時間かけて担当の栃木、茨城へ車を走らせている。「実は独立リーグなどからもお話をいただいたのですが、クラブチームであれば一般企業の仕事にも就けることが魅力でした。今は仕事を覚えるのに必死です」と言いつつ口元をほころばせる。

「短時間であれば、なるべく頑張って電車にも乗るようにしています。乗客の多い東京都内は無理ですし、その日の調子にもよりますが、完全に避けてしまうと症状が良くなりませんから」とも。4歳下の妻で看護師の紗央里さん、4歳の長女の存在が心の支えだ。

 毎晩タオルを手にシャドーピッチングに取り組んでいるが、野球のコンディションを維持するのは容易ではない。「これほどストライクを取るのに苦労するとは思いませんでした」と頭をかきつつ、「ロッテでチームや先輩方から教わった技術、練習メニューを全府中の他の投手に伝えています」と新たな役割にもやりがいを感じている。

「できる限り長く野球を続けていきたいです」と清々しい笑顔を浮かべる永野。病気を言い訳にせず、前向きに人生に立ち向かう姿は、多くの人たちとって指針になるのではないだろうか。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)