●モスクワ特派員時代に起きた「シガチョフ事件」

フジテレビの現役社員・初瀬礼氏が、最新小説『警察庁特命捜査官 水野乃亜 デビルズチョイス』(双葉文庫、14日刊行)を書き下ろした。

未知のウイルスを用いたテロという、実際の現代社会にリンクする題材であるとともに、かつて日本を震撼させたオウム真理教事件を想起されるシーンは、当時、報道記者として実際に取材した経験が生かされているという。作家活動10年目に入ったが、「これまでの作品で一番、取材した経験が盛り込まれています」と、リアリティのある作品に仕上がった。

フジテレビ現役社員の小説家・初瀬礼氏

○■アメリカとの関係性、警察と外務省の縄張り争いの描写も

今作は、カルト教団のロシア人信者が、逮捕された教祖を拘置所から奪還するためにテロ事件を引き起こすというストーリー。オウムにおいても、2000年に松本智津夫被告の奪還を目的としたテロ未遂「シガチョフ事件」があったが、当時、初瀬氏はモスクワ支局に派遣されていた。

「容疑者はロシア当局に捕まったのですが、そのときの一連の話を取材していて、小説を書き始めたときから、あの事件をモチーフに作品を書こうと思っていたんです。外国の人が、自分が教えを請うた教団のトップを救い出そうと日本に来るというその意思と動機の強さに驚いて、すごく印象に残っていたんですよね」

ロシアは、海外の中でもオウムの信者が特に多かった国。「98年から特派員になったのですが、モスクワの郊外の村にたくさんの信者が住んでいて、現地では社会問題になっていたんです」といい、オウム関連の取材をする機会が多かったそうだ。

ほかにも、アメリカとの関係性、警察と外務省の縄張り争いといった描写で、取材の経験が生かされている。

「取材で見聞きしたことをそのまま移植はできないので、相当アレンジはしていますが、自分自身の経験で細かいところまで見て、そこから真実を導くという仕事をしているので、それは小説を書く仕事に生きていると思います。やはり小さな積み上げが大事であって、そこを踏み外してしまうとあまりにも荒唐無稽になってしまいますから」

○■YouTuberと既存報道メディアとの問題意識

こうした取材経験に基づく描写や、実際にあった事件をモチーフにしたり、化学兵器を登場させたりしてリアリティを担保する一方で、人々を脅かす架空の感染症がキーポイントで描かれている。

「作品の感想をネットで見て『荒唐無稽だ』と言われると落ち込んでしまうので(笑)、リアリティを求めるタイプだと思うのですが、やはりエンタテインメントとしてはそれだけでは成立しない。そこのバランスをどうするかというのは、結構重視しています」

ただ、現在起こっている新型コロナウイルスによるパンデミックは、数年前であればフィクションの出来事。「今回描いているのは、かつてオウム事件として起こったことですし、今後現実に起きてもおかしくないことを書いています」と意識を語った。

今後起こりうる描写で言えば、YouTuberと既存報道メディアとの関係性も、1つの場面として登場。後者に携わる人間として、「いわゆるメディアの枠組みというのは、ネットに限らず、破られる要素がいくらでもあるので、そういう問題意識はいつも持っています。これは前から考えている関心事でもあるので、今回は書いておこうと思いました」という。

最新のデジタル技術と、アナログながらも人間の能力が存分に発揮される様も描かれ、ラストに向けて怒涛の展開を見せていく今作。「一見起こりそうもない、だけどちょっと考えれば起こりうるというのは、現実の社会がまざまざと物語っています。今回描いていることも、もしかしたらいつか起こるのかもしれないというのを、感じていただければ」と呼びかけた。

●3作目の『警察庁特命捜査官 水野乃亜』シリーズ、今後は…

『警察庁特命捜査官 水野乃亜 デビルズチョイス』イスラム過激派による日本人拉致事件がカザフスタンで発生した。現地に飛んだ警察庁国際テロリズム対策課の水野乃亜は、邦人救出と並行して、国際指名手配中のテロリスト・遠藤美沙との関係がウワサされる上司・佐山英吾の行動を監視するよう命じられていた。アメリカの特殊部隊によって救出された邦人たちがチャーター機で成田空港に降り立った頃、警察庁にカルト教団の信者を名乗る者から驚がくの犯行声明がもたらされる。さらに未知のウイルスへの感染が疑われる女が、忽然と空港から姿を消し――。

『警察庁特命捜査官 水野乃亜』シリーズは、これが3作目。警察官僚の水野乃亜は、警視庁刑事部捜査共助課係長(警部)、千葉県警刑事部捜査第二課課長(警視)、警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第二課管理官(警視)と出向し、今作では警察庁警備局国際テロリズム対策課課長補佐(警視)とキャリアを積んできたが、どのようにキャラクターを作ってきたのか。

「刑事だったお父さんが殺害されたというところからシリーズ第1作が始まっているので、あまり陽キャラではない。スポーツはそれなりにできるけど、元からスーパーウーマンだったわけでなくて、彼氏の影響で鍛錬していって…という感じで広げていきました。3作目になるとやはり愛着がわいてきますが、“この要素を付け足したい”というのがどんどん増えてくると、当初のキャラとちょっとブレてくるので、そこは抑えながらという感じですね」

今作の最後でも、また新たな展開が示唆されているが、「彼女ももういい年齢になってきたので、今が現場に出るギリギリのところだと思うんです。やはりストーリーとしては現場の躍動感があるほうが描いていて面白いですから、次に書くとしたらちょっと違う形で活躍させたいですね。キャリア官僚の彼女は出世していっているので、そこのリアリティは崩したくないなと思います」と構想を明かした。

●初瀬礼1966年、長野県安曇野市生まれ。上智大学卒業後、フジテレビジョンに入社し、社会部記者、モスクワ特派員、報道・情報番組のディレクター・プロデューサーを歴任。小説家として、13年にサスペンス小説『血讐』で第1回日本エンタメ小説大賞・優秀賞を受賞。同作品でデビューし、パンデミックをテーマとした『シスト』(16年、新潮社)、アフリカと東京を股にかけたサスペンス『呪術』(18年、新潮社)に続き、双葉文庫から『警察庁特命捜査官 水野乃亜』シリーズとなる『ホークアイ』(19年)、『モールハンター』(21年)、そして今作『デビルズチョイス』(22年)を発表した。